第33話 裏側の真実
ラファの手下たちに護衛され、俺たちはほうほうの体でホテルに戻った。
すっかり魂が抜けたようになった枦谷を部屋に押し込み、「いいから寝てろ」と言い聞かせる。
彼は布団にくるまると、子犬のように震えていた。
まあ、無理もない。
日本でぬくぬくと育ったエリートには、刺激が強すぎたのだろう。
マリアとイオナに枦谷のことを見ているよう頼み、俺は一人、ラファが滞在する最上階のペントハウスへと向かった。
俺達を助けてくれたラファに対して礼と、そして何より詫びを入れなければならない。
俺のせいで、とんでもない騒ぎを起こしてしまったのだから。
重厚なドアをノックすると、中から「入れ」という低い声が聞こえた。
「ラファ、すまなかった。俺たちのせいで……」
部屋に入るなり頭を下げる俺に、ラファは葉巻をくゆらせながら、ソファに座るよう目で促した。
彼の表情は、いつも通り何を考えているのか読めない。
「気にするな。お前たちが騒ぎを起こしたおかげで、色々と俺の抱えていた案件は好転した」
「……どういうことだ?」
ラファは、まるでチェスの駒を動かすように、ゆっくりと口を開いた。
「ナオト、お前が調べていたコーヒー豆の件。その裏には、今日お前たちが市場で遭遇した連中、中国マフィアが絡んでいる」
やはり、そうだったのか。FNCの煮え切らない態度の裏には、公にできない何かが存在していたのだ。
「奴らは、このカリを拠点に、あくどい手を使ってコーヒー豆を買い占めている。それが、お前の友人の会社のような正規のルートに豆が回らなくなった直接の原因だ」
「買い占め……。一体何のために?」
「経済問題だけなら、まだ可愛いものだ」
ラファはそう言うと、衝撃的な事実を口にした。
「買い占めた豆の半分は、表向きの貿易品として中国本国に送っている。問題は、残りの半分だ」
ゴクリと、俺は唾をのんだ。
「奴らは、コーヒー豆に薬物を混ぜ、それをアメリカに密輸している。コロンビアから正規に輸出されるコーヒー豆は、検問も比較的緩い。そこを突いた、悪質な手口だ」
コーヒー豆に混ぜられた薬物。
そんなものが、アメリカの市場に紛れ込んでいるというのか。
事のスケールが、俺の想像を遥かに超えていた。
「俺が今回カリに来たのは、その証拠を掴み、奴らのルートを叩き潰すためだ。だが、奴らは実に巧妙でな。尻尾を掴ませなかった」
「そこに、俺たちが……」
「そうだ」
とラファは頷いた。
「お前たちが市場で騒ぎを起こしてくれたおかげで、奴らの注意がそちらに向いた。その一瞬の隙を突いて、俺の部下が奴らのアジトに忍び込み、薬物取引の決定的な証拠を手に入れることができた」
なんと。
俺たちのドタバタ劇が、マフィア壊滅作戦の重要な転機になっていたというのか。
人生、何がどう転ぶか分からないとはこのことだ。
「だが、問題がある」とラファは続けた。
「奴らは地元警察の一部も買収している。官憲は使えん。それに、背後には中国の諜報組織の影もちらついている。厄介な連中だ」
中国の諜報組織。
もはや商社の主任が関わっていい話の範疇を完全に逸脱している。
「そこで、だ」
ラファは葉巻の灰を灰皿に落とした。
「昔のコネを使って、アメリカの友人たちに協力を仰いだ。今夜、連中の倉庫を一斉に叩く」
「アメリカの友人……?」
聞くまでもない。諜報部か、それに類する特殊な組織だろう。
俺はもう、何を聞いても驚かなくなっていた。
「作戦は今夜決行だ。お前は何もせず、ホテルでおとなしくしていろ。朝には全て終わっている」
ラファの言葉は、有無を言わさぬ響きを持っていた。
俺にできることは、ただ彼の言葉を信じ、このとんでもない夜が明けるのを待つことだけだった。
翌朝、俺が目を覚ますと、カリの街はいつもと変わらぬ朝を迎えていた。
ただ一つ、ローカルニュースが、昨夜、港湾地区の倉庫街で大規模な火災があったことを報じているのを除けば。
俺が朝食のためにレストランへ向かうと、そこには既にラファが座っていた。
「終わったぞ」
彼はコーヒーを一口すすると、短く告げた。
「作戦は成功だ。奴らの倉庫は燃え落ち、備蓄されていた薬物は全て灰になった。マフィアの主要メンバーも拘束した」
あまりにあっけない幕切れに、俺は言葉を失った。
「コーヒー豆は……?」
「幸い、倉庫に運び込まれる前のものが多く、被害は最小限だ。これで、不当な買い占めもなくなるだろう。市場は正常化に向かうはずだ」
つまり、枦谷の会社の悩みも、これで解決するということか。
俺が安堵のため息をついた、その時だった。
ラファが、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ああ、それから一つ。街ではちょっとした噂が広まっている」
「噂?」
「昨日の市場の騒動をきっかけに、悪辣なマフィアの悪事を暴いた日本人の英雄がいる、と」
……はあ?
「誰だ、そんないらんこと吹聴したのは!」
「俺だが?」
ラファは悪びれもせずに答える。
この男!
「おかげで、俺たちの動きがカモフラージュできた。感謝しろ」
感謝できるか!
そんな面倒な英雄の称号、誰が欲しがるものか。
俺はただ、平穏に生きたいだけなんだ!
俺の心の叫びを知ってか知らずか、そこにタイミングよく(悪く?)、目を覚ました枦谷がやってきた。
彼の顔にはまだ昨日の恐怖が残っている。
「青島、おはよう……。昨日は一体……」
その瞬間、俺の頭に悪魔的なアイデアが閃いた。
そうだ。こいつに押し付ければいい。
俺は枦谷の肩をがっしりと掴み、真剣な顔で言った。
「枦谷、よくやったな」
「へ? な、何が?」
「お前が昨日、勇気を振り絞ってマフィアに立ち向かったおかげで、このカリに平和が戻ったんだ。お前は英雄だ!」
「えええええ!?」
俺はラファと目配せし、マリアとイオナにも口裏を合わせるよう指示する。
事情を察した三人は、完璧な演技で枦谷を褒め称え始めた。
「枦谷さん、素晴らしかったですわ!」
「あなたの勇気には感服いたしました」
「友よ、お前こそ真のヒーローだ」
混乱の極みにいる枦谷をよそに、話はとんとん拍子で進められた。
「英雄殿、コーヒー豆の問題は解決した。これでお前の会社も安泰だ。大手柄だな。さあ、日本の恋人の元へ帰るんだ」
「え? あ? でも、農園の視察は……」
「不要だ! 問題は解決したんだからな!」
俺は半ば強引に枦谷の荷物をまとめさせ、その日のうちに帰国の途につかせた。
彼は最後まで「俺が英雄……?」と首を傾げていたが、コーヒー問題が解決した(らしい)ことと、大沢さんに良い報告ができるという喜びで、最終的には納得して飛行機に乗っていった。
幸い、この「日本人の英雄」の話は、カリ周辺だけのローカルな話題で終わり、日本のニュースになることはなかったようだ。
まあ、地球の裏側の市場での小競り合い(実態は大規模なマフィア掃討作戦だが)など、日本の誰も気にしないだろう。
枦谷の日常に影響が出ることもないはずだ。
一人、ホテルの部屋に戻った俺は、どっと疲労感に襲われた。
「やれやれ、俺の人生、なんでいつもこうなんだ……」
だが、親友の窮地は救えた。結果オーライ、ということにしよう。
俺はカリの街並みを見下ろし、この騒がしい街での、まだ終わらないであろう新たな日々に思いを馳せるのだった。




