第31話 初めてのコロンビア出張
本社での慌ただしい報告と、まさかの主任降格&コロンビア赴任というジェットコースターのような人事を乗り越え、俺は再びボゴタの地に立っていた。
やれやれ、俺の社会人人生、どうしてこうも波瀾万丈なのか。
平穏という言葉は俺の辞書からはとっくに削除されているらしい。
とはいえ、落ち込んでばかりもいられない。
郷に入っては郷に従え、いや、郷を使い倒すのが俺のやり方だ。
ラファというコロンビアの裏も表も知り尽くした大物の庇護のもと、事務所兼住居はプール付きの豪邸、おまけにマリアという才色兼備の秘書までいる。
さらにはルーマニアからヴァシレのコネを駆使して追いかけてきたイオナも合流し、図らずも美女二人に囲まれるという、傍から見れば羨ましい限りの環境である。
まあ、内情は毎日がドタバタ喜劇なのだが。
そんな新しい生活にも慣れてきたある日、俺はふと日本を発つ直前の、親友との会話を思い出していた。
先日も直接電話をもらったくらいに困っているようだ。
「青島……頼む! コロンビア産のコーヒー豆、なんとかならないか……」
電話の向こうで半泣きになっていたのは、同期の枦谷優斗だ。
彼が言うには最後の切り札的な食品専門商社ですら、主力商品であるコロンビアコーヒーの仕入れが滞り、窮地に陥っているという。
そのことが原因で大沢さんとの関係にも影を落としているとあっては、親友として黙って見過ごすわけにはいかない。
「まあ、調べるだけはしてみる」
安請け合いするつもりはなかったが、あの時の切羽詰まった声がどうにも耳に残っている。
それに、前にコロンビアに帰る時に約束したこともあるので、電話でもそのように約束はした。
何より今の俺はレポートが本社で評価されたとはいえ、具体的な成果は何一つ上げていない。
何か目に見える実績が欲しいのも事実だ。
よし、やってみるか。Fラン大卒のドブ板営業で培った交渉術、今こそ見せてやる。
……いや、相手は国レベルの組織か?
まあ、なんとかなるだろう。
「というわけで、コロンビアのコーヒーについて調べてみたいんだ」
朝食の席でマリアとイオナにそう切り出すと、二人は意外そうな顔をした。
「コーヒーですか? 青島さんは紅茶派だと思っていました」
「仕事として、ですか?」
イオナの的を射た質問に、俺は頷いた。
「友人に頼まれてな。俺の同期で友人の日本にいる営業なんだが、コロンビアからの豆の輸入が難しくなっているらしい。何か情報はないか?」
俺の言葉に、マリアがタブレットを数回タップする。仕事が早い。
「コロンビアのコーヒー生産者を束ねているのは、FNC(コロンビアコーヒー生産者連合会)ですね。 本部はここ、ボゴタにあります。 まずはそこにアポイントを取ってみてはいかがでしょう」
さすがはラファが遣わした秘書だ。的確なアドバイスである。
「なるほど、FNCか。よし、行ってみるか」
善は急げと、俺は日本大使館に連絡を取った。
安宅興商の駐在員という身分はこういう時に役に立つ。
大使館の口利きで、俺はFNC本部を訪れるアポイントメントを取り付けた。
ボゴタの中心部にそびえ立つFNCの本部は、想像以上に立派なビルだった。
歴史と権威を感じさせるその建物に、俺は少し気圧される。
やれやれ、俺みたいなFラン大卒が来ていい場所じゃないんじゃないか。
通された応接室で待っていると、人の良さそうな、しかし目の奥が笑っていない担当者が現れた。
俺は単刀直入に本題を切り出した。
日本の商社がコロンビアコーヒーの新規購入に苦戦していること、その背景に何があるのかを知りたい、と。
担当者はにこやかな表情を崩さずに答える。
「青島さん、ご存知の通り、近年、世界中でコーヒーの需要は高まっています。特にコロンビア産のアラビカ種は品質の高さから人気がありまして。 加えて、近年のラニーニャ現象による天候不順で生産量が落ち込んでいるのも事実です」
まあ、それは予想通りの答えだ。
「では、新規の取引は不可能だと?」
「いえいえ、そんなことはありません。ただ、既存のパートナー、例えば日本の伍星商事さんのような長年お付き合いのある企業への供給を優先するのは、ビジネスとして当然のことご理解いただけますよね?」
遠回しに「あんたみたいな新参者に回す豆はない」と言われているようなものだ。
確かに、伍星商事のような大手総合商社は、古くからコロンビアと太いパイプを持っているのだろう。
だが、それにしても新規の大口取引がほとんど見られないというのは、どうにも不自然だ。
何か、俺の知らない裏がある。
そんな気がしてならなかった。
担当者に食い下がっていくつか質問を重ねたが、返ってくるのは当たり障りのない模範解答ばかり。
結局、大した成果も得られず、俺はFNC本部を後にした。
その後、紹介状を書いてくれた日本大使館にも足を運び、情報を求めた。
しかし、大使館員の見解も「世界的な需要の高まりが原因ではないか」という、FNCの担当者と寸分違わぬものだった。
「本当に、ただそれだけなのか……?」
ボゴタの喧騒の中、俺の心に不安がよぎる。
このままでは、枦谷に「ごめん、無理だった」と報告するしかない。
それはつまり、俺のせいで枦谷と大沢さんの恋路が絶たれることを意味する。
いや、それは考えすぎか。
だが、親友の頼みを無下にするのは、どうにも後味が悪い。
俺はスマートフォンを取り出し、枦谷にSNSで短いメッセージを送った。
『コーヒーの件、調査中。だが、かなり手強い。まあ、もう少し粘ってみる。お前も大沢さんとの恋、粘れよ。こっちが成功したら、ちゃんと告白しろよな』
送信ボタンを押しながら、俺は小さくため息をついた。
人の恋路をダシにするなんて、我ながら悪趣味だ。
だが、こうでもしないと、この巨大な壁に立ち向かう気力が湧いてこないのも事実だった。
調査が行き詰まり、俺の眉間のしわが深くなる一方の、ある日の夜だった。
ラファ邸では、特に何もない日でも自然と人が集まり、食事が始まる。
今夜もラファを中心に、俺とマリア、イオナ、そしてどこからともなく現れたラファの友人たちがテーブルを囲んでいた。
上質なコロンビアワインとマリアの手料理に舌鼓を打ちながら、会話は他愛のないことからビジネスの話まで、めまぐるしく移り変わる。
その中で、ラファが俺に尋ねた。
「そういえばナオト、最近何やらこそこそと動いているようだが、何を調べているんだ?」
俺は観念して、コーヒー豆の一件を洗いざらい話した。
FNCでのけんもほろろな対応、大使館の頼りない返事、そして見えない壁の存在。
俺の話を黙って聞いていたラファは、肉の塊をナイフで切り分けながら、こともなげに言った。
「なるほどな。ボゴタで話を聞いても、上っ面のことしか分からんさ。本気で知りたければ、現場に行くしかない」
「現場、ですか?」
「そうだ。農家だよ。豆を作っている連中に直接話を聞くのが一番だ。ちょうどいい、俺も近々カリに行く用事がある。農産品の取引の中心地だ。 ついでにいくつか農園を訪ねてみるか?」
……ついで、だと?
この男の「ついで」は、俺の出張とは規模の次元が違う。
だが、これ以上ないほどの渡りに船だった。
「本当ですか!? 是非お願いします!」
俺が頭を下げると、ラファはにやりと笑った。
「よし、決まりだ。マリア、イオナ、お前たちも準備しておけ。数日後に出るぞ」
「はい、ボス」
「分かりましたわ!」
こうして、俺の初めてのコロンビア国内出張は、事務所のメンバー総出で、しかも謎の大物ラファと共に行くという、なんとも大げさなものになったのである。
やれやれ、俺の人生、シンプルという言葉とは無縁らしい。
カリへの出張準備を進めていると、日本の枦谷からSNSの返信があった。
『青島、ありがとう! 実は、岡山の所長が本社に掛け合ってくれて、伍星商事からなんとか1コンテナ分だけ豆を回してもらえることになったんだ!』
おお、あの豪腕所長、まだ俺たちのことを気にかけてくれていたのか。
ありがたい話だ。
『ただ、あくまで今回限りの緊急措置で、しかも若干割増価格なんだ。伍星も自社の在庫に余裕があるわけじゃないから、次はないって釘を刺されてて……。根本的な解決にはなってないんだよ』
文面からは、安堵と焦りが入り混じった枦谷の表情が目に浮かぶようだ。
俺は、カリの農園を訪ねる話をしたためた。
すると、数分もしないうちに、興奮した様子の返信が届いた。
『本当か!? 青島、俺もそっちへ行く!』
「はあ!?」
思わず声が出た。
いや待て、あいつ、何を言ってるんだ?
『夏休みを取って、そっちへ行く。このチャンスを逃すわけにはいかない。上司に相談したら、個人的な調査旅行という名目ならって許可が出た。しかも、少しだけど援助も出してくれるって!』
入社2年目の若手社員が、自腹同然で地球の裏側まで飛んでくるというのか。
その行動力には脱帽するしかない。
いや、恋する男のパワーというべきか。
大沢さんのためなら、エンヤコラというわけだ。
「分かった。日程を調整しよう。カリの空港で落ち合うぞ」
俺は返信しながら、おかしくてたまらなかった。
Fラン大卒の俺が、南米コロンビアで、日本のエリート商社マンの友人と合流し、コーヒー豆の未来を賭けた交渉(?)に臨む。
一体どんなドタバタ喜劇が待っているというのか。
数日後。
俺とマリア、イオナの三人は、ラファと共にカリ行きの飛行機に乗っていた。
もちろん、エコノミークラスではない。
ラファが手配したプライベートジェットまがいの豪華な機内に、俺はもはや驚きもしなくなっていた。
これが日常になりつつあるのが恐ろしい。
ボゴタからカリまでは飛行機で1時間もかからない。
眼下に広がる緑豊かな風景を眺めているうちに、飛行機はアルフォンソ・ボニーラ・アラゴン国際空港へと着陸した。
空港の到着ロビーで、俺たちは枦谷を待っていた。
国際線の出口をじっと見つめていると、やがて見慣れた顔が、疲れ切った表情で現れた。
長いフライトと慣れない乗り継ぎで、顔には疲労の色が濃く浮かんでいる。
「枦谷!」
俺が手を振ると、彼は目を丸くし、そして次の瞬間、安堵の表情を浮かべて駆け寄ってきた。
「青島! よかった、本当に会えた……!」
「おう、お疲れ。大変だったろ」
「もう、乗り継ぎが分からなくて死ぬかと思ったよ……」
半泣きで訴える親友の肩を叩きながら、俺は後ろに控える二人を紹介した。
「こっちが秘書のマリアで、こっちがイオナだ」
「初めまして、マリアです」
「イオナですわ! あなたが直人の言っていた……」
枦谷は、突然現れた美女二人に目を白黒させ、ぎこちなく頭を下げた。
「は、はじめまして、枦谷です。いつも青島がお世話になって……いや、俺がお世話になってます」
その慌てぶりに、イオナがくすくすと笑う。
やれやれ、こいつは前から変わらない。
「さあ、行こう。ラファが待ってる。ホテルは取ってあるから」
俺たちは空港の外に出た。待っていたのは、ラファが手配した黒塗りの高級車だ。
車に乗り込み、俺は枦谷に尋ねた。
「で、ホテルなんだが」
「うん、どこかの安宿でも探そうかと……」
「いや、ラファと同じホテルだ」
「えっ」
車が向かった先は、カリでも最高級と謳われるホテルだった。
豪華絢爛なロビーを抜け、案内された部屋の広さと眺望に、枦谷は完全にフリーズしている。
「なあ、青島……俺、ここに泊まっていいのか……? 宿泊費、援助じゃ足りないぞ……」
「心配するな。ラファ持ちだ」
「らふぁ……って、その、青島のボスなのか?」
「ボスというか、まあ、なんだ。色々と世話になってる大物だ」
言葉を濁す俺に、枦谷は不安そうな顔を向ける。
まあ、無理もない。
いきなりこんな世界に放り込まれれば、誰だって混乱するだろう。
「とにかく、今日はゆっくり休め。明日からが本番だ」
部屋の窓からカリの街並みを見下ろす。
活気と熱気に満ちた、サルサのリズムが聞こえてきそうな街。
ここで、俺たちの無謀な挑戦が始まるのだ。




