第30話 たびたびの帰国
日本への帰路は、一人での長距離フライトだった。
ボゴタから米国アトランタ、そして成田、そこから国内線で神戸へと、乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎ。
時差ボケと疲労で、機内食は流石にカレー出なかったが、それでも味気なく感じられた。
ルーマニア行きのフライトで隣にいたような胡散臭い男が今回は隣に現れなかっただけ、まだマシだったが、それでも精神的な疲労は大きい。
成田空港に降り立つと、日本の空気の湿気と、都会特有のせかせかした匂いが鼻をくすぐった。
国際線の入国審査を成田で済ませ、そのまま国内線へと乗り換える。
神戸空港は、今まで使っていた関空(関西国際空港)と比べるとこじんまりとした印象で、最初は驚いたが、国内移動なので特に問題もなく、スムーズに空港を後にすることができた。
すぐにタクシーに乗り込み、そのまま神戸の本社へと向かった。
本社ビルに到着すると、俺はすぐに最上階の役員室へと通された。
役員室の重厚な扉が開くと、そこには数人の役員がずらりと並んで俺を待っていた。
彼らの視線が、まるで尋問のように俺に突き刺さる。
「青島君、コロンビアでの報告、詳細を頼む」
役員の一人が、重々しく口を開いた。
俺は深呼吸し、持参した資料と、頭に叩き込んだ情報を報告した。
現地の治安状況、マリアを通して得た政界の裏情報、そしてコロンビアコーヒーの市場動向……。
そして、ラファについては、あくまで「地元の有力者」という曖昧な表現で濁した。
もちろん、彼の裏の顔については一切触れていない。
俺の報告は、意外にも好評だったらしい。
役員たちは時折頷き、メモを取り、真剣な表情で話を聞いてくれた。
最後に、役員の一人が言った。
「青島君の働きは高く評価している。つきましては、君の要望通り、現地採用枠として二名分の予算を認めよう。上限は設けるが、君の裁量で自由に採用して構わない。少ないが、有効活用してくれ」
まさかの二名分の採用許可。
そして、予算の追加も認められた。
俺は心の中でガッツポーズをした。これでマリアとイオナの二人を正式に迎え入れられる。
報告を終え、役員室を後にすると、そのまま人事本部へと連行された。
大量の書類が俺を待っていた。
人事部で採用手続きについて説明を受け、数々の書類にサインした後、俺は経理部へと送られた。
「青島君、今回の現地採用枠について、経費の承認手続きと精算で、これだけの書類が必要になる。今日中に処理してくれ」
経理課長は、まるでマナツプロジェクトの調査報告書かと思うほどの分厚い書類の束を俺のデスクに置いた。
俺はルーマニアでの「紙爆弾」の悪夢を思い出し、絶望で顔面蒼白になった。
書類と格闘していると、隣の総務部から声が聞こえてきた。
「あれ? 青島くん? なんで経理の隅っこで体育座りしてるの?」
声の主は、大沢葵だった。
彼女は総務部のデスクから俺を見つけ、ニヤニヤと笑っている。
「大沢さん! なんで俺がここにいるか分かるんですか!?」
「だって、青島くんの顔、すっごく分かりやすいもん。『また地獄に落ちてきた』って書いてあるよ!」
「地獄です! もう紙の山に埋もれて窒息死しそうです!」
大沢は笑いながら俺のデスクに近づいてきて、書類の山を覗き込んだ。
「うわ~、これ全部今日中? 青島くん、頑張ったねー。よし、私も手伝ってあげる!」
そう言って、大沢は俺の隣に座り、慣れた手つきで書類を捌き始めた。
彼女の正確で素早い仕事ぶりに、俺は感動すら覚えた。
さすがは総務の女神だ。
彼女の手伝いもあり、なんとかその日のうちに大量の書類仕事を終えることができた。
まさに日本での「書類クエスト」を、かろうじてクリアした気分だった。
大沢さんに見つかったこともあり、その日の夜は恒例の同期飲み会が開催された。
場所は、いつもの神戸のおしゃれなバルだ。
「おー! 青島! 世界最速の“スラムの王子様”が帰ってきたぞー!」
枦谷がシャンパングラスを片手に、陽気に出迎えてくれる。
隣には大沢葵が満面の笑顔で手を振っている。
「青島くん、おかえりなさい! 生きててよかったー!」
「大沢さん! 枦谷! みんな! 生きて帰ってきたぞー! 俺は、コロンビアの地で、人間として成長したぞー!」
俺は感動のあまり、ルーマニアで覚えた「ベレ!」(ビール)と叫びながら、二人に駆け寄った。
「ねぇ、青島くん。今度の帰国ってなにかあったのかな?」
俺は正直の応える
「俺の書いたレポートが評価されたのか直接報告を求められた。ついでに現地職員の採用枠を希望したら許可されたので、その手続きを大沢さんに手伝ってもらいながら先ほど終えたばかりだ」
長峰が、俺と大沢、枦谷の様子を眺めながら、こっそり俺に耳打ちしてきた。
「ねぇ、青島くん。大沢さんと枦谷くんのことなんだけど……一進一退というか、とにかくじれったいのよ。枦谷くん、ヘタレすぎじゃない?」
俺も同感だ。枦谷は、前に会った時より少し暗い顔をしているように見えた。
俺はジョッキを傾ける枦谷に尋ねた。
「おい、枦谷。お前、なんかあったのか?」
枦谷は、ため息をついてから重い口を開いた。
「実はな……取引先からコーヒー豆の量を増やすように依頼されたんだ。でも、コストも割高で希望には程遠くて、それにそれ以上に問題なのが、最近急にコロンビアからのコーヒー豆が入手できにくくなってきててな。上司にも相談して、本店から正式に手続きを取って東京本社に輸入の依頼はかけてるんだが、東京本社はあのガス田のビッグプロジェクトにかかりきりで、新たな取引には及び腰で、話にならないんだ」
さらに枦谷は続けた。
「間に専門商社でも通すかって意見も出てるらしいんだけど、それすらなかなか話が進まなくて……」
俺は、前にルーマニア時代に岡山所長の顔の広さに驚いた記憶が蘇った。
あの人はとんでもない人脈を持っていたはずだ。
「だったらさ、岡山所長に相談してみたらどうだ? あの人なら、なんか妙案をくれるかもしれないぞ」
俺がそうアドバイスすると、枦谷は「え? 所長に? でも、あんな小さな事務所の……」と困惑した顔をした。
飲み会では、大沢から俺と長峰の関係を進めるよう冷やかしを散々頂くし、長峰は長峰で、俺に「枦谷くんをせっついてくれ」と、最後の方は、酒の飲み過ぎかちょっとしたカオスになってきたので、お開きになった。
愚痴や、恋バナなど少しあったが、このメンバーで飲む酒はやはり楽しかった。
コロンビアに戻る前日、俺は岡山事務所の所長に電話をかけた。
枦谷の苦悩を伝え、相談があったら力になってくれるようお願いした。
「ふむ、なるほど。青島君の同期だったか、本店の枦谷君がコロンビアのコーヒー豆で困っていると。……よし、伍星にでも輸入させるか。あそこの専務に貸しもあるしな」
電話口から聞こえてきた所長の言葉に、俺は思わず二度聞きしてしまった。
「伍星?」
まさか、あの総合商社一番の一流と言われる伍星商事のことか?
うちのような会社でも見取りすらされないような大商社だ。
本当に所長の人脈の不思議を見た気がする。
一体この人は何者なんだと、改めて呆れてしまった。
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帰りも、神戸空港から成田経由で米国アトランタに寄り、そこからボゴタへと、相変わらずやたら乗り換えの多いルートだった。
神戸空港には、いつもの枦谷、大沢、そして長峰の三人が見送りに来てくれていた。
「じゃあな、青島! また無茶せず、帰ってこいよ!」
枦谷が、相変わらず情けない笑顔で手を振っている。
「お土産、期待してるからねー。できれば、コロンビア産のイケメンでも連れてきて!」
大沢が明るく言い、枦谷が隣で苦笑いしている。
ゲートを通る直前、俺は枦谷の肩をポンと叩き、軽くリップサービスをした。
「お前が困ってるコーヒー豆の件、コロンビアに戻り、少し調べてみるよ」
俺にとっては軽い気持ちで言ったのだが、枦谷は「マジかよ! 青島、お前、神か!?」と、そう簡単な話ではないことくらいは理解しているはずなのに、目を輝かせ、信じられないくらい感激していた。
その姿があまりに大げさなので、俺はニヤリと笑った。
「よし、枦谷。もしこの件がうまくいって、お前が営業部の神になったら……その時は、大沢に告白するんだぞ。約束だ」
枦谷の顔は一瞬で固まり、まるで「そんなことできるか~」と言い出しそうな顔をしていた。
俺は返事を聞かずに、ゲートの向こうへと向かいながら、最後に念を押した。
「約束だぞ」
俺の言葉は、彼の心に重く響いたはずだ。
振り返らず、ゲートの向こうへ消えるまで、三人は手を振ってくれていた。
遥か南米コロンビア。
俺の「規格外のサラリーマン人生」は、まだまだ波乱に満ちていく予感しかしなかった。
そして、枦谷のコーヒー豆のクエストは、俺の想像を遥かに超える展開を見せることになるのだが、それはまた別の話だ。




