第29話 エスプレッソより濃い人間模様
ボゴタ空港の到着ロビーで、腕組みをしてふくれっ面をしているイオナを見つけた俺は、思わず「やれやれだぜ」と心の中で呟いた。
ルーマニアから遠路はるばる、このコロンビアまでやってきてくれた恩人……いや、俺の奇妙な共同生活の“仲間”だが、彼女の機嫌を直すのは、ルーマニアの役人よりも難しいことを知っている。
「いやいや、俺ずっとゲートの前にいたって! まさかベンチの奥に座り込んでるとは思わなかったんだ! なんで連絡くれなかったんだよ、携帯くらい持っているだろうに」
俺が必死に弁解すると、イオナはプイッと顔を背け、「ローミング料金が怖い」と一言。
やれやれ、相変わらず抜かりない。
彼女の小さなトランクを受け取り、ようやく肩を並べて歩き出した。
ボゴタの熱気とスモッグ、クラクションの嵐に、さすがのイオナも表情を引き締めていた。
俺たちは、ラファに与えられたような感じで紹介された少し郊外の事務所兼住居に向かった。
事務所のドアを開けると、そこには、陽だまりのように明るい笑顔を振りまく、エキゾチックな美女マリアが俺たちを出迎えてくれた。
艶やかな黒髪、健康的な肌、そして、南米特有の奔放な雰囲気を全身から発している。
「イオナさん、はじめまして! マリアです! 今日からよろしくお願いね」
彼女は、まるで俺の胸に飛び込んでくるかのように、屈託のない笑顔で自己紹介した。
その無邪気な明るさに、俺は一瞬たじろいだ。
ルーマニアのエレナを思い出すような、太陽のような魅力だ。
だが、隣にいたイオナの表情は、一瞬で凍りついた。
「あなた、なんでAoshimaの事務所にいるの? 不審者」
イオナの目は、まるでレーザービームのようにマリアを射抜く。
ああ、始まった。女の戦場が。
マリアはそんなイオナの敵意にも臆することなく、ニッコリと笑った。
「あら、なんでと言われても二人で暮らしてるから……」
マリアの意味深な言葉に、イオナの顔がサッと青ざめる。
そして、俺の顔も。
やっべ、ルーマニアでの「公私混同」が、早くもコロンビアでバレるのか!?
俺は慌てて二人の間に割って入り、「二人とも、落ち着け!仕事の話をしよう!ほら、コーヒーでも飲むか?」と、とりあえず場を和ませようとした。
「あの、マリアさん。まずは自己紹介をお願いします。どういう経緯で、そのあたりをイオナに説明してもらえると……」
俺が必死に仲を取り持つと、マリアはニコニコしながら話し始めた。
「私、マリア。コロンビアの元上院議員の娘なの」
その言葉に、イオナは目を見開いた。
俺もだ。元上院議員の娘?なんだそれ。
「数年前の政変で政権が交代した時、父は反対派のスキャンダルに巻き込まれて、危うく命まで危ない状況になったの。国外逃亡もできず、母親とも離れ離れに……そんな時に助けてくれたのが、ラファ様だったわ」
マリアは、ラファの庇護の下で、これまで身を潜めていたらしい。
ラファは、彼女のような『便利なコマ』としての活用も考えていたようだが、俺に『秘書』として譲渡した、という運びになったと説明された。
「ラファ様は私に『アオシマさんのところへ行け』と言われた時も、私には迷いはなかったわ。ラファ様には恩があるの」
俺は、イオナ以上に驚いた。
俺に譲渡?
まるで物みたいじゃないか。
これが南米のやり方なのか?
俺は、ますますこの街のルールが分からなくなってきた。
すると、イオナが冷ややかに言った。
「そう。それで? そういう危ない状況から逃げてきたくせに、なんでAoshimaみたいな危ない男のところに来るの? あなた、もしかして、そっちの趣味?」
「あら。あなたこそ、なんでAoshimaと一緒にいるの? ルーマニアで何かあったの?」
マリアの言葉に、イオナは顔を真っ赤にした。そして、口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「ふん。私とナオトは、家族よりも濃い関係よ。ルーマニアでは、毎晩同じベッドで寝てたし、朝は一緒に朝食を作ってたわ。まるで、夫婦みたいにね」
イオナがマウントを取りながら、ルーマニアでの“閨”での出来事を包み隠さず暴露し始めた。
俺は、その大胆さに心臓が止まりそうになった。やめろ、イオナ!
マリアも負けていない。
「あら、まあ。それはそれは。でも、私もアオシマさんと同じベッドで寝たし、夜も尽くしたわ。ラファ様がそう言って送ってくれたんだから」
マリアも、真っ赤な顔で、しかし挑発的に言い返した。
俺は「なんでそこだけ声が低くなるんですか!」と心の中で叫んだ。
俺が慌てて「いや、それは、その……」と口ごもると、二人の視線が俺に突き刺さる。
そこから話が二転三転と飛び回る。
ついにはエレナとの関係にまで話が出る始末だ。
「ずるい!」
「ずるいね!」
同時に二人の声が響き渡った。
怒りの矛先が、俺に集中した瞬間だった。
「ナオト、あなた、まさか私のお母さんともそういう関係だったの!?」
おかし、イオナは絶対に知っていたはずなのに、ここでそんなことウィい始めた。
「アオシマさん、ルーマニアでも、他にも女がいたのね!?」
修羅場だ。これは完全に修羅場だ!
俺は、この『美人秘書たちの愛憎劇』から逃げ出すべく、「い、いかん! コーヒー豆を挽いて、落ち着かせねば!」と叫び、事務所の隅に設置されたコーヒーメーカーへと逃げ込んだ。
しばらくすると、背後から怒鳴り声が聞こえなくなった。
恐る恐る振り返ると、イオナとマリアが、なぜか肩を寄せ合って、俺をニヤニヤと見つめている。
「アオシマ、これで私たちの関係、はっきりしたわね」
「うん。もう、隠し事なしよ」
その言葉に、俺は背筋が凍った。
なぜか自然と収まった修羅場と、その後の『仲良し宣言』。
そして、二人の目が、獲物を狙う猛獣のようにギラギラしている。
「さ、アオシマ。今夜は徹底的に教えてあげる。どっちが、本当に『あなたのもの』なのかを」
俺は、その後の肉体的な『教育』に、言葉を失った。
母娘を抱いたことはあるが、それは一人ずつ、しかも違う国でだった。
しかし、その夜、俺は人生で初めての3Pを経験することになった。
コロンビアの夜は、文字通り熱かった。
その後のピロートークで、俺はぐったりとした体を抱えながら、イオナにラファとの関係について簡単に説明した。
ラファが彼女の父親の元雇い主であり、その雇い主がラファの兄にあたるという、複雑な血縁関係があること。
イオナは「そうだったの……」と、どこか複雑な表情を浮かべていた。
「それなら、一度ラファに挨拶に行くべきね」
マリアが提案した。
「ああ、そうだな。俺からも頼むことがあるし」
数日後、ラファから都合がついたとの連絡が入り、俺たちは市内の高級レストランで落ち合うことになった。
レストランの個室で、葉巻を燻らせるラファの前に、俺はイオナとマリアを連れて行った。
「よう、アオシマ。こいつらが、お前の新しい“同居人”か。賑やかでいいじゃないか」
ラファはニヤリと笑った。
イオナとマリアは、緊張しながらも自己紹介をした。
ラファはイオナを見ると、少しだけ目つきを和らげた。
「大きくなったな、イオナ。 エレナも元気そうで何よりだ」
その席で、ラファは上機嫌に葉巻を燻らせながら、自身の経歴を語り出した。
「俺の正体? まあ、昔話みたいなもんだがな。若い頃、俺はソビエトのKGBに協力していた。正式なスパイってわけじゃないが、あの時代、ルーマニアの地下に潜ってる若造は大体、どっかの諜報組織に“ちょっと手伝え”って言われるもんでな。俺もその一人だった」
彼は、共産主義体制の末期に、港湾労働者をやりつつ、裏では密輸、武器調達、スパイの手引きまでこなしていたという。
「で、その延長で、南米に流れてきたってわけさ。冷戦が終わってもしばらくは“便利な男”だったらしくてな、今でも旧ソ連圏や、ちょっと治安の悪い地域には顔が利く」
俺は内心、背筋が凍った。
KGBの手下?
アウトローを仕切る仕事?
なんだこの男は。
どう見てもカタギには見えないはずだわ。
「今はほとんど表の仕事をしてるが、裏からも完全には手を引いていない」と彼は続けた。
俺は、警戒レベルをさらに上げた。
この男は、俺の想像を遥かに超える『ラスボス』だ。
食事のあと分かれて、そのまま事務所へと戻った。
興奮冷めやらぬ俺たちは、もう一度、熱い夜を過ごした。
俺の人生は、どうも『昼はドタバタコメディ、夜は官能ドラマ』という、奇妙なルーティンに陥っているらしい。
その後は、イオナとマリアに手伝ってもらいながら、コロンビアの情報をゆっくりと収集していった。
「青島さん、この地域の特産品は、高品質なエメラルドと、幻のコカイン工場ですね」
「イオナ、後者は報告書に書いちゃダメだ!」
マリアは、現地の裏社会の噂話から、政界の裏側まで、驚くほど広い情報網を持っていた。
イオナは、その情報を冷静に分析し、レポートにまとめる。まさに、『最強の秘書コンビ』だ。
俺は、その二人に支えられ、コロンビアの『今』を克明に綴ったレポートを、神戸本店の役員室情報部に送った。
ルーマニアでの成功体験と同じく、庶民のリアルな肌感覚を重視したレポートだ。
数週間後、日本から連絡が入った。
「青島君かね? 君のレポート、役員会で絶賛されているよ。素晴らしい視点だ。現地のマクロ経済データよりも、君のレポートのほうが、よほどこの国の『今』を正確に捉えている、とね」
まさかの大絶賛だ。
どこに惹かれたかは知らないが、俺の『Fランレポート』が本社で評価されたのだ。
「ついては、君のこれまでの功績を高く評価し、君からの要望である経費内で現地人を雇いたいという件だが、一度本店に戻りそのあたりを話し合おう」となった。
俺は、受話器を握りしめたまま、イオナとマリアを振り返った。
「日本に、一度帰らないとまずい」
二人の顔が、驚きと不安そうにしている。
そりゃそうか、彼女たちを連れて日本に帰れるはずはないし、連れて行けるわけない。
俺の頭の中に長峰の冷たい笑顔が浮かんだ。
『ゾク!』
一瞬だが何か冷たい気配を感じぞくっとしたが気のせいだな。
しかし、俺のドタバタな商社マン人生は、まだまだ続くらしい。
そして、今回の帰国も、きっと一筋縄ではいかないだろう。
俺は、また新たな『修羅場』を予感しながら、深いため息をついた。




