第21話 帰国?ルーマニアに帰る
ブカレスト・オトペニ国際空港。
十数時間のフライトを終え、ようやくルーマニアの地に降り立った俺、青島直人は、パスポートを握りしめたまま、フラフラと到着ロビーへと足を踏み入れた。
機内食のカレーは相変わらず胃もたれを誘発するし、隣のおじさんのルーマニア語の独り言はエンドレスで、精神的に削られまくった俺は、もはやHPゼロ状態だった。
(長峰さん……俺、生きて帰ってきたよ……! 顔は死んでるけど!)
そんな思いを胸に、人の波をかき分けていると、突然、冷徹な声が響いた。
「……飛行機がとっくに着いたのに、出てくるのが遅い。三時間待ってたんだけど」
ゾクリと背筋が凍り、声のした方を振り向くと、そこに立っていたのは、見慣れた顔――イオナだった。
わずか数日見ない間に、見違えるほど大人びた雰囲気の彼女は、腕を組み、切れ長の瞳で俺を睨みつけていた。
まるで、俺が借りていた金を返さない悪徳業者でも見るかのような目だ。
「い、イオナ!? なんでこんなところに!?」
「当たり前でしょ。ナオトが帰って来るんだから」
彼女はそう言って、当然のように俺の隣に並び、俺のキャリーケースを片手でひょいと持ち上げた。
は? 俺、男なんですけど?
俺が両手でヒーヒー言ってたやつを、彼女は軽々と……まさか、これもルーマニアでの「現地適応力」の一環なのか?
空港のベンチに座り、俺が機内でもらった水をがぶ飲みしていると、イオナが冷ややかに言った。
「母は、もう事務所にはいないわ。結婚準備で、先週退職したから」
「そ、そうか……。ヴァシレと、幸せにやってるか?」
俺がそう尋ねると、イオナはふいと顔を背けた。
その横顔には、なぜか複雑な感情が滲んでいるように見えた。
いや、気のせいか。
「それより、あなたに伝言がある」
イオナはスマホを取り出し、画面に表示されたメールを読み上げた。
「明日、日本から到着する本店社員をアテンドしてほしい、とのことよ」
「……は?」
俺の頭の中で、鈍いセンサーが鳴り響いた。
どっ、どっ、どっ……と、脳内警報が鳴り止まない。
「は、本社からって、誰が来るんだ!?」
「人事部の課長、法務部の課長、それから企画部の課長クラスが二人、あと秘書室の人が一人。計五人よ」
「ご、五人!? しかも課長クラスが!? 今、何時だと思ってんだ!」
時計を見ると、深夜の零時を回っていた。
時差ボケで頭はガンガン、足は棒。
その上、ブカレスト到着から数時間も経たないうちに、新たな「クエスト」が始まったのだ。
しかも「アテンド」とは、要するに「お守り」だ。
俺はFラン大卒だぞ?
エリート様のお守りなんて、できるわけがない!
翌朝、俺は死んだ魚のような目でブカレスト空港の到着ロビーに立っていた。
もちろん、隣にはイオナもいる。
彼女は、完璧な発音で英語とルーマニア語を操り、まるでベテラン秘書のように振る舞っている。
「ナオト、顔色が悪いわ。昨夜、眠れなかったの?」
「いや、時差ボケと、倉敷繊維の追加の輸出書類に追われててな……」
そう、今回の帰国は、ルーマニアでのガス田プロジェクトの他にも、倉敷繊維からの追加の羊毛輸出業務が残っていたのだ。
俺が日本にいる間も、書類は山のように溜まっていた。
時差ボケで朦朧とする意識の中、深夜までオフィスにこもって書類を捌いていたのだ。
そこに現れたのは、ピシッとスーツを着こなし、顔には「超エリート」と書いてあるかのような五人組だった。
人事課長らしき人物が、俺を一瞥して鼻で笑った。
「ふむ、君がルーマニアの青島君か。噂通りの顔色だな。まあいい、我々は明日から早速動く。アテンド、よろしく頼む」
その日からの一週間は、まさに地獄だった。
朝から晩まで、俺は彼らの「ガイド」としてブカレスト中を引きずり回された。
歴史的建造物の説明、現地の経済状況、交通機関の案内、おすすめレストランの予約……。
俺は、まるでAI搭載のコンシェルジュロボットになったかのようだった。
彼らの質問は多岐にわたり、時に意地悪な質問も飛んでくる。
「青島君、この建物の建設様式は?」
「え、えーと……ええ感じの、石造りっす!」
「フン。その程度か」
夜遅くに事務所に戻ると、イオナが黙々と溜まった輸出書類を片付けてくれている。
その隣で、俺は栄養ドリンクを煽りながら、眠気と戦い、さらなる書類作成に追われた。
これは、俺に与えられた「強制レベル上げクエスト」なのか……!?
一週間が過ぎ、憔悴しきった俺は、最後の切り札を切ることにした。
ヴァシレだ。
「ヴァシレ、頼む! 彼らを接待してくれ!」
俺が懇願すると、ヴァシレは鷹揚に頷いた。
彼はどうやら、日本から来たエリート社員たちに、自分がどれだけ「優秀で、コネクションがあるか」を見せつけたかったらしい。
そして、彼が連れてきたのは、なんと婚約者のエレナだった。
「ご紹介します。私の婚約者のエレナです。彼女が、通訳を買って出てくれました」
エレナは、まるで舞台女優のように、にこやかに微笑み、完璧な日本語とルーマニア語を操って通訳を始めた。
彼女のプロフェッショナルな仕事ぶりに、日本のエリート社員たちは感嘆の声を上げていた。
俺は、隣で呆然とエレナを見つめるしかなかった。
一体いつの間に、そんな関係に…… 俺の頭の中は、疑問符で埋め尽くされた。
ヴァシレとイオナの完璧なアテンドのおかげで、日本のエリート社員たちは大満足だったようだ。
彼らはヴァシレに絶賛の言葉を送り、俺には「青島君も、なかなか面白い人脈を持っているじゃないか」と、まるで犬に褒美を与えるかのような視線を向けた。
そして、彼らは嵐のように去っていった。
「やれやれ、これでやっと平和が訪れたか……」
俺はソファに倒れ込み、安堵のため息をついた。
これで心置きなく、溜まった書類と「ルーマニアでの公私混同」の記憶を整理できる……。
だが、俺の甘い期待は、あっけなく打ち砕かれた。
その数日後、ブカレスト空港の到着ロビーに、再び見慣れた顔ぶれがぞろぞろと現れた。
「うお……エリート感満載の服着て歩いてる……!」
先頭を歩くのは、白髪混じりの威圧感ある部長クラス。
その後ろには、T大・K大・早慶上位層で構成された、見るからに「選ばれし者」感をまとった精鋭たちが、総勢10名。
彼らは、それぞれ最新のノートパソコンと分厚い資料を抱え、ブカレストの空気を切り裂くかのような鋭い視線を放っていた。
(……マジかよ。ボス戦、第二ラウンドか!?)
俺は、思わず心の底から絶叫した。
俺のルーマニアでの「サバイバル」は、どうやら第二章へと突入したらしい。
しかも、今度の敵は、明らかに格上だ。
この地で、俺は一体どうなるのだろうか。
俺の「規格外のサクセスストーリー」は、まだまだ波乱に満ちていく予感しかしないのだった。




