第20話 凱旋、同期の闇と光、そして揺れるマドンナの視線
ラドゥを病院で見舞った後、俺はもう一度神戸の本店に向かう。
帰りのチケットを用意してもらわないとルーマニアには帰れない。
本店総務部で大沢さんにチケットを取ってもらった。
「社内規定で、ビジネスクラスをお取りしました、所長様」
大沢さんは冗談めかして俺の役職をからかうようにチケットを渡してくれた。
「本当は、幸が渡すはずだったのだけれど、今上に呼ばれてね。
ついて無いわね」
誰が何についてないと言ってるのだろうか。
多分俺が長峰に会えなかったことについて茶々を入れているのだろうな。
「そうそう、今日も行くわよ。枦谷さんが張り切って予約入れていましたからね。先ほど連絡を貰い、所長を捕まえておけと命じられたのよ」
「あいつも偉くなったものだな。
大沢さんたちは残業はないの?」
「ええ、まだこの時期は比較的暇ですし、先輩たちも私たちの同期が帰ってきたのだからと気を利かせてくれましたから」
「総務は良いとして、営業って、大丈夫なのかな」
「大丈夫じゃないかな。青島さんって、結構有名ですしね。営業も気を利かせてくれているでしょ」
大沢さんの話は、俺にはちょっと気にかかる部分はあるが、とりあえずはこの後飲みに行くことで、一旦総務から離れた。
人事部で、社内の電話を借りて岡山に連絡を入れる。
流石に今回は急な帰国だったこともあり、すぐに戻らないとまずい。
倉敷繊維さんからの注文も追加で来ているのだ。
その処理もあるから、電話であいさつを済ませて、俺は待ち合わせの場所に向かう。
その夜は恒例の同期飲み会が開かれた。
場所は、もちろん神戸元町のおしゃれなバルだ。
すぐに、4人の飲み会は始まる。
今回の急な帰国に関して、みんな興味があるのか聞かれたので、俺は素直に答えた。
「ねぇ、青島くん。今度の帰国ってなにかあったのかな?」
「俺は素直に、現地で雇った女性がエリート官僚と結婚を決めたのだけれど、相手がすごいお土産を寄こしたので、急遽呼ばれた」
俺はそう言ってから、簡単に説明だけして降りた。
あ、そう言えばまだどこにも知られていないとか言って無かったけか。
「あ、わるい。この件オフレコでね。すぐに知れ渡すかとは思うけど、今はね」
「それにしても、お前、すげえよな!」
枦谷がジョッキを傾けながら言った。
「まさか、入社二年目で海外事務所の所長なんて! 普通、海外赴任なんて入社五年みないとありえないはずなのに」
「しかも、係長待遇だもんな! 社内でもかなりざわついてたらしいよ、あれ」
大沢が笑顔で続けた。
「総務にいる私たちからしたら、青島くんの人事って、まさに『異常』なんだから!」
「はは……まあ、俺もよく分かってないんだけどな」
俺は苦笑いした。
「でも、その『異常』ついでにさ、長嶋の噂は聞いたか?」
俺がそう切り出すと、枦谷の表情が少し曇った。
「ああ……最近、あいつあんまり見かけないと思ったら、東京本社の資料室勤務になったらしいな」
「資料室?」
俺は目を丸くした。あの長嶋が、社内の隅っこで地味な仕事をしているとは信じられない。
「そうなんだよ。あの長谷川が言ってたんだけどな。あれほどそこら中にマウントを取っていた長嶋だが、現在は東京本社の資料室勤務でおとなしくしているそうだ」
「ふうん……」
長峰が静かに呟いた。
「長嶋くん、少しは落ち着いたのかしら」
総務部の彼女たちは、あのルーマニアの羊毛プロジェクトに関する社内の大騒動を、おそらく知っていたのだろう。
社内では厳重な緘口令が敷かれていたが、彼女たちのいる場所は、そういう情報が集まる特異点だ。
だが、噂好きでもないので、あえて口には出さない。
俺は、枦谷にだけ、ことの顛末を話すことにした。
あいにく俺には緘口令は敷かれていない。
「実はな、あのルーマニアの羊毛の件で、長嶋が俺の仕事を邪魔しようとしてきてたんだ」
枦谷は驚いたように目を見開いた。
「マジかよ!? 何のためにだよ!」
「あいつは、リスク管理がなってないって本社に騒ぎ立てて、俺のルーマニアからの輸入ルートを税関で止めさせようとしていたらしいんだ」
「クソッ、なんて奴だ!」
枦谷はテーブルを叩いて憤った。
「でも、どうやって解決したんだよ?」
「それがな……岡山事務所の所長が、本社の役員に怒鳴り込んでくれたらしいんだ」
俺がそう言うと、枦谷と大沢は呆れたような、信じられないような顔で俺を見た。
「え、所長が? 本社に?」
大沢が目を丸くする。
「そう。長嶋が音頭を取ったが、実際に邪魔をしたのは長嶋の上司の課長だったらしくてな。所長は役員全員の前で、その課長を『会社のガンだ!今すぐクビにしろ!』って怒鳴りつけたんだと」
「ひええ……」
枦谷は顔面蒼白だ。
「そりゃ、長嶋も大人しくなるわけだ……」
「結局、その課長も降格処分を食らい、国内の別の支社に転勤させられたらしい」
「ま、でも、そういう奴らはまたすぐ戻ってくるだろ」
枦谷はため息をついた。
「安宅興商はT大閥が力を持ち、東京本社の長である副社長がその閥を率いているからな。よほどのことがない限り、派閥内は守るらしい」
「今回は流石に、岡山の所長が役員会に怒鳴り込んだこともあり、目に見える形での処罰が必要だったらしいけどな」
俺は続けた。
「何せ、倉敷繊維が請け負っていた東京の大手アパレルメーカーの新ブランド立ち上げも大成功したそうでな。倉敷繊維のウール布も増産に入るとか聞いている。長嶋たちはそれを邪魔しようとしていたんだ」
「いくら、安宅の重要な取引先でない、ライバル商社傘下のアパレルメーカーだとは言え、あれは簡単な処分程度で済まされることじゃないだろ」
そんな重い話題になり、せっかくのおしゃれなバルでの飲み会は、一気にビジネスの場と化した。
「まったく、こいつらは……」
長峰がグラスを傾けながら、呆れたような顔で呟いた。
彼女の表情は、どこかこの熱気を冷ます氷のような、それでいて諦めにも似た雰囲気だった。
「でも、青島くん、所長のおかげで無事だったんでしょ」
大沢が、隣で枦谷の手をそっと握りながら言った。
その仕草はあまりにも自然で、俺は心の中で「お、これは……」とニヤリとした。
「あ、そういえばさ、大沢と枦谷って、なんか最近いい感じじゃない?」
俺はわざとらしく長峰に囁いた。
長峰は一瞬目を見開いた後、ふっと微笑んだ。
「そうね。私、二人のこと、応援してるの」
その日の帰り道、長峰が少しだけ俺の隣に並んだ。
「あんまり……無茶しないでね。ちゃんと帰ってきてよね」
その声は、どこか切なげで、俺の胸にじんわりと染み渡った。
数日後、俺は再びルーマニア行きの飛行機に乗り込んだ。
関空の空港のロビーには、枦谷と大沢、そして長峰がいた。
「じゃあな、青島! また無茶せず、帰ってこいよ!」
「お土産、期待してるからねー。できれば、ルーマニア産のイケメンでも連れてきて!」
大沢が明るく言い、枦谷が隣で苦笑いしている。
俺は、窓の外に小さくなっていく同期たちの姿を見送った。
ルーマニアの地で、どんな「クエスト」が俺を待っているのか。
そして、その先で、俺はどんな「物語」を紡いでいくのだろうか。
俺の「規格外のサラリーマン人生」は、まだ始まったばかりだ。




