第18話 ビッグビジネス
その後、エレナとヴァシレとの交際は順調に進み、いや、順調どころではなかった。
まるで竜巻がオフィスを吹き荒れるかのように、ヴァシレの「暴走気味」な動きが始まったのだ。
「エレナの結婚式は来週中に決定! 場所はルーマニア政府が所有するあの古城で、招待客リストは今日中に提出だ!」
ある日、ヴァシレがそう宣言した時、俺は思わず飲んでいたコーヒーを噴き出した。
彼の「動き」は、まさに「ヴァシレ旋風」とでも呼ぶべきものだった。
電話はひっきりなしに鳴り響き、政府の役人や、なぜか軍の高官までが彼の指示一つで動き出す。
通常なら数ヶ月、いや数年かかるような手続きが、彼の手に掛かると、まるで魔法のように片付いていく。
「ナオトさん、エレナさんのドレス選びは私の秘書に任せてください! 最高のデザイナーを用意します! 費用は全て私が負担しますから、ご心配なく!」
ヴァシレはそう言い放つと、目をハートにし [プロンプト]、エレナを抱き上げて軽々とクルクルと回り出した。
エレナは「ヴァシレったら!」と嬉しそうに照れていたが、その顔には微かに「ちょっとやりすぎよ」という困惑が浮かんでいた。
俺の目には、ヴァシレの背後に、まるで「一年分の成果をたった数日で叩き出した」という文字が見えた気がした。
彼の圧倒的な行動力の前には、時間という概念すら捻じ曲げられてしまうかのようだった。
まるで国を挙げてのエレナとヴァシレの結婚プロジェクトが始まったかのような勢いだった。
そして、その猛スピードで、二人の婚約はあっという間に、まるで昨日の出来事のように決まってしまったのだ。
そして数日後、婚約が正式に決まった二人が、わざわざ俺の事務所に報告に来た。
エレナは幸せそうな笑顔で、ヴァシレの隣に立っている。
イオナは、相変わらず仏頂面で、ヴァシレを睨みつけていたが 、エレナが幸せなら、それでいい。
「Naoto、本当にありがとう。あなたのおかげで、私は新しい人生を始めることができた」
そう言って差し出された薬指には、輝く指輪が光っていた。
その指輪は、ルーマニア中の宝石を寄せ集めたかのようにキラキラと輝き、俺の安っぽい蛍光灯の下でも眩いばかりだった。
「……おめでとう。マジで」
俺は本心で言った。
Fラン大卒の俺が、異国の地で、一人の女性の人生を好転させることができた。
これぞ、商社マンの醍醐味!
……なのか?
すると、ヴァシレがニヤリと笑った。
その笑顔は、どこか俺への感謝と、そして「これでエレナは俺のものだ」という優越感が入り混じっていた 。
彼は大きく息を吸い込むと、まるでオペラ歌手のように胸を張り、俺に向かって右手を差し出した。
「青島さん、そしてアタカ興商さんに、とっておきの情報があります!」
そう言って、ヴァシレは従者に合図を送った。
すると、屈強な男たちが、事務所の入り口から何やら巨大なものを運び込んできた。
それは、まるで大漁旗のように巻かれた、特大の巻物だった。縦3メートル、横5メートルはあろうかという巨大さだ。無理やり巻かれた巻物は、膨れ上がって廊下を塞ぎ、運び込んできた従者の一人が、入り口のドア枠に頭をぶつけて悶絶している。
ドタバタコメディそのものだった。
「これは、黒海沿岸で、新しい天然ガス田が発見された、その調査報告書です!」
ヴァシレが誇らしげに叫ぶ。俺は目を剥いた。
まさかこれが、「お土産」か?
物理的にも特大すぎるだろ!
「国としても本腰を入れる、国家の一大プロジェクト、『マナツプロジェクト』です! これは、ルーマニアの未来を左右するでしょう……青島さん、安宅興商さん、投資先、探してみませんか?」
彼の言葉に、俺の眠っていた『商社マンとしての血』が、まさに「ピピピピピ!」とけたたましいアラーム音を鳴らしながら覚醒した。
それはまるで、数年間止まっていた古時計が、突然動き出したかのような衝撃だった。
この『マナツプロジェクト』は、数年前から存在自体はしていたが、これまで凍結されていた幻のプロジェクトだ。
しかし、ヴァシレが言うには、ルーマニア政府がこのプロジェクトを再開させ、今まさに、外資と協力してくれる企業を探し始めたというのだ!
俺は、即座に、これはまたとないチャンスだと悟った。
エレナの幸せの代償に、ビジネスチャンスを掴む!
これぞ、まさに商社マン!
そうか、俺はまだ終わっていなかった!
俺の中に眠っていたビジネスの鬼が、今、目を覚ましたのだ!
いや、ヘタレの俺が、やっと少しだけ、ビジネスマンの皮を被っただけかもしれないが……。
別れは、終わりじゃない。
人の縁は、ときに新しいチャンスを連れてくる。
このヴァシレという男は、エレナとの縁をきっかけに、とんでもないビッグビジネスを運んできた。
俺は、震える手でその巨大な巻物の端を少しだけ広げた。
そこには、ぎっしりとルーマニア語で書かれた専門用語と、難解なグラフの数々。
見るだけで頭痛がするような代物だが、このミミズの這ったような領収書 と格闘する日々で鍛えられた俺には、もはや読むことなど造作もない……わけではなかった。
相変わらず読めない。
だが、内容は理解できた。
俺は、この情報をすぐに本社へ繋いだ。
そして、その数日後……。
「青島さん、至急、本社まで来ていただけますか?」
まさかの国際電話だった。
俺は、その電話口の声に、一瞬で背筋が凍った。
本社から呼び出される羽目になったのだ。
またかよ!と心の中で叫んだ。
俺が本社に呼ばれる時なんて、ロクなことがない。
いつもは『難攻不落プロジェクト』の進捗を報告するたびに、遠回しに「君は使えない」とやんわりとクビを宣告されるようなものだった。
それが今回は、ヴァシレからの情報だ。
もしや、何かやらかしたのか?
それとも、俺のヘタレぶりがいよいよ本社の目に留まり、本気のクビ宣告か?
不安と期待が入り混じった複雑な心境で、俺は次の出張の準備を始めた。 ルーマニアでのドタバタ劇は、まだまだ終わりそうになかった。




