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Fラン大卒の逆転人生  作者: へいたれAI
第三章:ブカレストダンジョン

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第15話 仮設事務所の日常と背徳の夜



 ブカレストでの奇妙な共同生活が始まって、一ヶ月が過ぎた。

  俺、青島直人、二十三歳。大手総合商社「安宅興商」ブカレスト仮設事務所長(仮)。

 そして、この事務所兼住居には、現地職員(という名の愛人)であるエレナと、その娘(ということになっているが、もはや関係性は不明)のイオナがいる。


 なんだこの状況……。

 毎日が、予測不能のイベント連続発生クエストだ。


「ナオト、ニホンから、また何か来た」


 リビングでぼーっとしていると、イオナがパタパタと駆け寄ってきた。

 その手には、国際郵便の不在票が握られている。


「おお、マジか! 木下さんからだ!」


  俺は喜び勇んで郵便局へと走り、巨大な段ボール箱をヒーヒー言いながらアパートまで運んだ。

 やれやれ、これが今の俺にとって最大の楽しみになっているんだから、情けない話だ。


 箱を開けると、中からは宝の山がザクザクと出てきた。

  カップラーメン、レトルトカレー、パックご飯、そして大量の缶詰。

 俺の生命線だ。

 それから、週刊漫画雑誌の最新号。


「ナオト、これは何?」


 エレナが、不思議そうにサバの味噌煮缶を手に取る。


「日本のソウルフードだよ。食ってみるか?」


 俺が缶を開けてやると、二人は恐る恐る口に運び、そして目を丸くした。

 どうやら、口に合ったらしい。

 こんなささやかな異文化交流が、今の俺には何よりの癒しだった。


 だが、箱の中身はそれだけじゃない。

 底のほうには、厳重に梱包された別の『ブツ』が隠されていた。


「さて、と。こいつが俺の武器だな」


  俺が取り出したのは、一本の美しいボトル。

 日本の高級ウイスキー『山崎』だ。

 他にも、吟醸酒の『獺祭』、カートン入りの日本のタバコ。

 これらはすべて、木下さんに頼んで「仕事用」として送ってもらったものだ。


「青島、いいか。この国はまだ、人脈がモノを言う世界だ。理屈じゃ動かん役人も、美味い酒と美味いタバコの前ではただのオッサンになる。賄賂じゃねえ、友好の証だ。これを『コミュニケーション費用』として、うまく使え」


 電話の向こうで、木下さんはそう言ってニヤリと笑った。

 まさに、裏技の伝授だ。

 翌日、俺は大使館の大場さん経由で紹介してもらった税関の役人の元を訪れていた。


 案の定、話はまったく進まない。

 だが、俺がカバンからおもむろに『山崎』を取り出すと、彼の目の色が変わった。


「……ほう、これはジャパニーズ・ウイスキー。素晴らしい香りだ」


 そこからは、もう話が早いこと早いこと。

 さっきまでの仏頂面はどこへやら、彼は上機嫌で俺の肩を叩き、面倒な手続きをすべて片付けてくれると約束してくれた。


  チョロい。

 チョロすぎるだろ、この国の役人。

 やれやれ、こんなRPGのNPCみたいな攻略法がまかり通るなんてな。

 こうして、俺は日本の酒とタバコを武器に、ブカレストの役人たちを次々と『攻略』していった。


 順調だ。

 順調すぎる。


 そう思っていた矢先、最大のトラブルは唐突に発生した。


「――通関で、コンテナが止められた?」


 ロム・テクスティルの担当者からの電話に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。

 記念すべき、倉敷繊維向けの羊毛第一便。

 それが、港で足止めを食らっているというのだ。


 理由は「書類の不備」。

 そんな馬鹿な。

 何度も木下さんや本社の営業部隊と確認したはずだ。


 すぐに港へ飛んだが、税関の職員は「本国からの指示だ」の一点張り。

 どうにもならない。

 これは、明らかに誰かが裏で糸を引いている。

  東京の本社に助けを求めると、営業部の先輩がすぐに動いてくれた。だが、数時間後、その先輩からかかってきた電話の内容は、俺を絶望させるのに十分だった。


「――悪い、青島。どうやら、情報が漏れてる。お前の同期の長嶋ってやつが、横からしゃしゃり出てきてるみたいだ」


 長嶋。

 その名を聞いた瞬間、全身の血が逆流するような感覚に陥った。

 あいつ、また俺の邪魔を……!


 どうやら、俺たちの前例のないプロジェクトが本社の役員会で話題になった際、それを聞きつけた長嶋が「リスク管理がなっていない」と騒ぎ立て、自分の息のかかった部署を通じて、ルーマニアの税関に圧力をかけたらしい。


「Fラン大卒の思いつきみたいな事業に、会社の看板を使わせるわけにはいかないんでね。これは、会社のためだよ、青島」


 電話口の向こうで、長嶋の勝ち誇ったような声が響く。

 クソッ、どうしようもねえ。完全に詰み、チェックメイトだ。

 俺が事務所で頭を抱えていると、岡山から一本の電話が入った。木下さんからだった。


「おい、青島! 大丈夫か!」


「……木下さん。もう、ダメです。終わりました」


  俺が力なく状況を伝えると、電話の向こうで木下さんは一瞬黙り込み、そして、静かに、だが猛烈な怒りを滲ませた声で言った。


「……そうか。わかった。あとは、こっちでやる」


「え?」


「うちの所長が、今、ブチ切れてる」


 その言葉の意味を、俺が理解したのは翌日のことだった。

  本社から、半泣きの営業の先輩が電話をかけてきた。


「お、青島……! すごいことになったぞ! 岡山の所長が、昨日、東京に乗り込んできてな……!」


  話によれば、俺たちの所長は役員会議に単身で乗り込み、長嶋とその上司を吊し上げ、猛抗議の末に、今回の妨害工作のすべてを白日の下に晒したらしい。


「『現場の足を引っ張るしか能がねえボンボンは、会社のガンだ! 今すぐこの場でクビにしろ!』って、役員全員の前で怒鳴りつけてな……。もう、誰も何も言えなかったよ。長嶋のやつ、顔面蒼白で失神寸前だったぞ」


 なんだそれ……。

 うちの所長、一体何者なんだ?

 まるで、隠し持っていた最終兵器を発動したみたいじゃないか。

 おかげで、通関トラブルは嘘のように解決した。


 長嶋は、この一件で左遷間違いなし、とのことだった。

  やれやれ、思わぬところから援護射撃が来たもんだ。

 その夜、俺は祝杯をあげていた。


 トラブル解決の安堵と、長嶋へのささやかな復讐が果たせた高揚感。

 そして、何より、遠い日本から俺を守ってくれた仲間がいるという事実が、嬉しくてたまらなかった。


「ナオト、嬉しそう」


  隣で、エレナが俺のグラスにツイカを注ぎ足してくれる。

 彼女の妖艶な微笑みに、俺の心は蕩けていく。

 トラブルの後の酒は、格別に美味い。


「ああ。今日は、最高の気分だ」


 俺は、彼女の腰を抱き寄せ、その唇を貪るように奪った。

 今ではもう、これが俺たちの日常になっていた。

 彼女の肌の温もりが、この異国での唯一の確かなものだった。


 その夜、俺は飲みすぎた。 エレナが寝室に消えた後も、俺は一人、リビングで酒を煽り続けた。

 意識が、だんだんと朦朧としてくる。


「……ナオト?」


 不意に、声がした。

  見ると、そこにイオナが立っていた。

 いつもの子供っぽいTシャツではなく、少し大人びたワンピースを着ている。

 十八歳になったばかりの彼女の体は、女性としての丸みを帯び始め、その視線は、妙に熱っぽかった。


「飲みすぎ。水、持ってきた」


  彼女は、俺の隣にそっと座り、グラスを差し出した。

 その指先が、俺の手に触れる。

 ドクン、と心臓が跳ねた。


「……イオナ」


「なあに?」


「お前、綺麗になったな」


  酔った勢いで、思ったことがそのまま口から滑り出た。

  すると、イオナは悪戯っぽく笑い、俺の顔に自分の顔を近づけてきた。


「……知ってる」


 次の瞬間、俺たちは唇を重ねていた。

 アルコールのせいだ。孤独のせいだ。

 だが、それだけじゃない。


 俺は、ずっと前から、この大人びた少女に惹かれていたのかもしれない。

 理性のタガが、音を立てて外れた。

 俺は、彼女を抱きしめ、そのままソファに押し倒していた。


  これは、ダメだ。絶対に、間違ってる。

 頭の片隅で警報が鳴り響いているのに、俺の体は止まらなかった。

 翌朝、俺は猛烈な頭痛と、それ以上に激しい自己嫌悪の中で目を覚ました。


  リビングのソファで、俺の隣にはイオナが眠っている。

 昨夜の出来事が、夢ではなかったことを物語っていた。


  やっちまった……。

 最悪だ。

 俺は、母親と娘、両方と関係を持ってしまった。

 人として、完全にアウトだろ。


 恐る恐るキッチンへ向かうと、そこには、いつも通りに朝食の準備をしているエレナの姿があった。


「おはよう、ナオト。よく眠れた?」


  彼女は、何も知らないかのように、にこやかに微笑む。

  いや、あるいは……。

 この母親は、もともと娘に対して複雑な感情を抱いていたのかもしれない。

 どこか突き放したような、ライバルを見るような視線を、俺は何度か感じたことがあった。

 その証拠に、その後、俺たちの奇妙な三角関係は、誰かが何かを言うでもなく、ずるずると続いていくことになった。


 そんな背徳的な日々の中、俺は本社へのレポートを書き続けていた。

  ネタは、エレナとイオナから仕入れる情報だ。


『今、ブカレストの主婦の間では、トルコ製の安い石鹸が流行している』


『若者たちは、西側の音楽を闇市場で手に入れ、政府への不満を募らせている』


 そんな、庶民のリアルな肌感覚。

 商社のレポートとしては、完全に異端だ。

 どうせ、誰もまともに読んでいないだろう。

 そう思っていた。


 だが、ある日、本社からかかってきた一本の電話が、俺の認識を根底から覆すことになる。


「青島君かね?  君のレポート、役員会で絶賛されているよ。素晴らしい視点だ。現地のマクロ経済データよりも、君のレポートのほうが、よほどこの国の『今』を正確に捉えている、とね」


 は?

 なんだって?


「ついては、君のこれまでの功績を高く評価し、近く、ブカレスト仮設事務所を正式な海外事務所へと格上げし、君を初代事務所長に任命する方向で調整に入った。辞令は、追って通達する」


 事務所長……?

 俺が?


  庶民の井戸端会議みたいな情報をレポートに書いていただけなのに?

 俺は、受話器を握りしめたまま、完全に思考が停止していた。

 俺は、事務所長と聞いて岡山の置物……誤りで、正直わけわからない、ひょっとして社内の化け物?


 のようなあの人のことを思い出す。

 それに、俺以外にいるだろう。

 木下先輩も何で岡山に潜んでいるか分からないくらいの商社マンとしてできる人だし、人間的には……考えないでおくとして、岡山案件なのだから順当に行って木下先輩の方がふさわしい。


 岡山って、ひょっとしてとんでもない重要な事務所……そんなはずはないか。

 でも、木下先輩くらいしか営業している人を俺はあまり知らないし、いなくなると困るという観点から言えば、いなくなっても痛くもかゆくもない俺が順当と言えば順当と言えるが……考えていると悲しくなってきたので思考を止めた。


  隣では、エレナとイオナが、何事かと顔を見合わせている。

  やれやれ、一体どうなってやがるんだ、俺の人生は。

  このゲームのシナリオライターは、とんでもない無茶苦茶を考えるやつらしい。


 俺は、もはや笑うしかなかった。


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