第五話 真実の愛の代用品
リヴィアは、夜会の支度には笑顔より先に必要なものがあると知った。
朝から青の間に座り、白紙の招待状を十二枚並べている。前回の七人では少なすぎた。今度こそ、レオナールの友人と自分の知人を集め、華やかな場にしたい。
名前を十二人分書くところまでは簡単だった。
その先で筆が止まる。
誰と誰を隣にするのか。食事の前に音楽を入れるか。亡くなった家族、終わった婚約、表へ出ていない借金。リヴィアは客の好きな色なら知っていても、触れてはいけない沈黙までは知らない。
先日の夜会でミュゼン伯爵夫人が帰った理由を、マリアンヌへ尋ねた。十年前の婚約破棄と聞いても、なぜ庭からなら帰れたのかが分からなかった。正面玄関で元婚約者と馬車を待てば、人目が集まる。庭の小門なら、誰にも敗者の顔を見られずに済む。そこまで説明されて、ようやく理解した。
セシリアは、帰る扉まで席に含めていた。
「難しい顔をしているな」
レオナールが青の間へ入ってきた。リヴィアの肩越しに招待状を眺め、最初の一枚を手に取る。
「ハルベルク侯爵は呼ばなくていい。先日は欠席した」
「ご長男を亡くされたからではないの」
「息子は軍人だ。名誉ある死だろう」
「どんな音楽をお好きなのかしら」
「侯爵が?」
「セシリア様が。あの方なら、今夜の曲をどう選ぶのかと思って」
レオナールは招待状を机へ戻した。
「昔から静かな曲を好んでいたはずだ」
「昔とは、いつ」
「婚礼の頃だ」
八年の間に好みが変わったかどうか、彼は知らない。何を聴けば疲れがほどけるかも。リヴィアは自分の好きな曲をレオナールへ何度も聴かせた。彼は明るくて君らしいと笑った。
セシリアについて語る時、レオナールの口から出るのは仕事ばかりだった。客の顔を覚える。詫び状を書く。母の命日を家族へ知らせる。使用人の不和を収める。食卓では聞き役に回る。
「あの方は、いつ休んでいたの」
「夜会は月に一度だ」
「夜会の日を聞いたのではないわ」
「セシリアは休みたいなどと言わなかった」
それは答えになっていない。
レオナールは空いた席へ腰を下ろし、卓上の紙を官職順へ並べ替えた。
「名簿が戻れば、こんなことで悩む必要はない。マリアンヌにも、もう一度ラセル家へ行かせる」
「セシリア様は、渡さないとおっしゃったのでしょう」
「離縁直後で感情的になっているだけだ。必要なことだと分かれば戻す」
「必要なのは、どなたにとって」
レオナールは答えず、誤字のある招待状を一枚脇へよけた。
「君は笑っていればいい。名簿さえあれば、あとはセシリアがしていた通りにできる」
笑っていればいい。
それは、最初に惹かれたと言われたものだった。夫を亡くしたあとも明るく振る舞い、人目を気にせず馬に乗り、礼儀より本音を選ぶ。セシリアの作られた微笑みと違い、リヴィアの笑顔には嘘がないとレオナールは言った。
だが、今求められた笑顔には、中身が要らない。
客の事情はセシリアが残す。席も手紙も、失言の後始末も、彼女のやり方をなぞればよい。リヴィアは珊瑚色のドレスを着て、その上へ笑顔を置く。
「わたくしが公爵夫人になれば、夜会以外は何をするの」
「今までどおりでいい」
「あなたと旅をして、領地の湖へ行きたいと話したわ」
「公爵夫人が長く王都を空けるのは難しい。セシリアも領地へは必要な時だけ行った」
また、セシリア。
「子どもは」
「いずれ必要だが、今すぐの話ではない」
「わたくしが望まなかったら」
「君は子どもが好きだろう」
好きだと言ったのは、姪の話をした時だ。自分が産みたいとは言っていない。
真実の愛は、何も決めずに同じ方向へ歩けることだと思っていた。レオナールが愛したのは自由な自分で、その自由を守るために彼は結婚を終わらせるのだと。セシリアも家へ戻ることを望み、身軽になって喜ぶのだと聞いていた。
「セシリア様は、本当にわたくしを教えると約束なさったの」
「あれは責任感が強い。公爵家が困ると分かれば引き受ける」
「約束は」
レオナールの指が、招待状の角を揃えた。
「まだだ。だが、セシリアならそうする」
リヴィアは椅子から立った。
セシリアの静けさを、勝手に納得の証しにしてしまう。客前で涙を見せなかったから、傷も浅いと思った。あの夜、リヴィアは彼女の休符札が下がるのを待ってから、レオナールの隣へ進んだ。音楽も客の動揺も、最後までセシリアが整えてくれると疑わなかった。自分に都合のよい話を信じたのはレオナールだけではない。夫を奪うと知りながら、その妻の配慮を足元の絨毯のように踏んでいた。今さら知らなかったとは言えない。
それでも、その間違いを次の女性へ渡す必要はなかった。
「あなたが愛したのは、彼女が整えたあなたです」
「何を言っている」
「わたくしは、礼儀を嫌う率直なあなたが好きでした。けれど、その率直さで人を傷つけても許されていたのは、セシリア様が先に痛みを引き受けていたからでしょう」
「彼女は、そんなことを苦にしていなかった」
「それも、ご本人に聞いてはいないのですね」
扉の近くで音がした。マリアンヌが立っていた。王宮から戻ったばかりらしく、外套も脱いでいない。
「アルノー伯爵夫人、お話し中でしたら出直します」
「いいえ、マリアンヌ様。いてくださった方がよいですわ」
リヴィアは書き損じの招待状を裏返し、持参していた便箋を上へ置いた。昨夜、自邸で書いた関係解消の書面。恋人同士の約束に法的な手続きは要らない。それでも言葉にして残したかった。
「レオナール、わたくしは亡夫の領地へ戻ります」
「夜会がうまくいかなかった程度で、何を」
「夜会のことだけではございません」
ここから先は、名を変える。
「グレイヴ公爵様。私は、あの方の代わりになるために選ばれたのではありません」
レオナールの顔から、怒りが一度消えた。理解ではない。話の順番を失った人の空白だった。
「君を愛している」
「それなら、わたくしが断った人生を、愛の名で着せないでください」
リヴィアはセシリアにも短い手紙を用意していた。謝罪と、自分が聞かされていたことだけを書く。許しも返事も求めない。マリアンヌへ預け、届けるかどうかはセシリアに選んでもらう。
珊瑚色の裾を整え、青の間の正面扉へ向かった。庭から逃げる理由はない。誰かが用意した帰り道ではなく、自分で選んだ退出だった。
背後で紙の擦れる音がする。
真実の愛を告げた同じ手で、レオナールは別れの書面を受け取った。




