第四話 私の名で届く招待
王宮から届いた呼出状には、セシリアの名だけが記されていた。
離縁の承認が下りて三日。公爵家の姓が消えた封筒を手にしても、最初は自分宛てだと分からなかった。ラセル家の家令に「お嬢様へ」と渡され、二度読み直したほどである。
王太后エレーヌの小応接室には、十二脚の椅子があった。どれも壁際へ寄せられ、中央の円卓には冬至夜会の見取図が広げられている。
アドリアンが入口で迎えた。
「セシリア様。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「まだ、お引き受けすると決めたわけではございません」
「承知しています」
彼は長椅子と一人掛けの椅子を示した。王太后の正面、隣、少し離れた窓辺。どこへ座るかを口にせず、三つの場所を等しく空けている。
セシリアは窓辺を選んだ。背後に庭があり、扉からも遠くない。
「先日の書類を拝見しました。顧問契約について、伺いたいことがございます」
「どうぞ」
「席の提案を退けられた場合、理由の説明を求める権利はありますか」
「あります。提案を採らないのは王室の権限ですが、判断材料をあなたへ返すのはこちらの責任です」
「招待客の私的な事情を、外交院の記録へ残さないことは」
「契約に明記できます。公務上の危険がある場合だけ、本人へ確認を取って記録する形ではいかがでしょう」
答えが早い。早いからといって、決定を迫る調子はなかった。
アドリアンは机上の書類をセシリア側へ押しやらない。手元に置いたまま、質問だけを受けている。
「共同主催を選ばない理由を、お尋ねにならないのですね」
「尋ねれば、答えを用意なさるでしょう」
「答えてはいけませんか」
「あなたは、相手が困らない答えを先に作る方です。今、それを私が求めるべきではありません」
セシリアの指が膝の上で止まった。
青の間で沈黙していた時、誰も彼女の言葉を待ってはいなかった。夫の言い過ぎをどの形へ直すか。怒った客へ何を差し出すか。会話の隙間はいつも、セシリアが埋めるものだった。
アドリアンは空いたままにしている。
「あなたの席順は愛嬌ではありません。人を争わせずに動かす技術です」
「技術」
「記憶し、危険を見分け、話せる条件を作る。停戦交渉でも同じことをします。規模と場所が違うだけです」
夜会は女主人の勘で整うものだと教えられてきた。微笑み、季節の花を選び、話の得意な客を中央へ置く。それが女性らしい才覚であり、妻なら家へ差し出すものだと。
技術なら、対価と権限を決められる。
「ただし、今は何も選ばなくてかまいません」
「王太后陛下をお待たせしても」
「待つと決められたのは陛下です」
奥の扉が開き、エレーヌが侍女を伴って入ってきた。セシリアは立ち上がり、深く礼を取る。
「お久しぶりね、セシリア」
「王太后陛下におかれましては、ご健勝のご様子を拝し」
「挨拶はそこまででよろしい。今日は、あなたの時間を買う相談です」
エレーヌは円卓へ向かい、見取図の上に置かれた小さな駒を一つ動かした。隣国の大使を示す銀色の駒。その向かいには、国境を管理する侯爵の黒い駒がある。
「この二人を、同じ卓へ置けると思いますか」
セシリアは見取図を眺めた。国境で起きた小競り合いは、まだ調査中である。向かい合わせれば、どちらが先に視線を外したかまで政治の材料になる。
「同じ卓には置けます。向かいにはいたしません」
「間へ誰を」
「今は決められません。大使がこの十年で失った方と、侯爵が守ろうとしている村を、先に伺う必要がございます」
エレーヌの口元がわずかに上がった。
「アドリアンは、音楽院の院長を勧めました」
「音楽なら国境の話を避けられます。ただ、避けたまま夜を終えるなら、停戦十年の席にはなりません」
「では、あなたなら二人を和解させられると」
「いいえ。お話をするかどうかは、お二人がお決めになることです。わたくしにできるのは、拒んでも顔を失わない席を用意するところまでです」
万能な答えはない。知らないことも多い。王太后の問いへ答えられない部分を、そのまま残した。
エレーヌは銀と黒の駒を横並びへ変え、間に空白を作った。
「青の間で、あなたはいつもこうしていたのですね」
「公爵家の夜会として務めておりました」
「わたくしが見ていたのは、公爵の名ではありません。誰が帰り道を残し、誰が言葉を待ったかです」
王太后の視線は、セシリアが黒真珠をつけていた場所を通り過ぎた。そこにない物を惜しむ様子はない。
「グレイヴ公爵の名ではなく、セシリア・ラセルの判断を借りたいのです」
借りる。所有するとも、返すべきだとも言わない。期間と対価を定めて、必要な分だけ求める言葉だった。
セシリアは円卓へ歩み寄った。
「三か月の有償顧問契約を希望いたします。主催者としてではなく、招待と席の提案に限って」
「よろしい。三か月後、続けるかやめるかは、またあなたが決めなさい」
アドリアンが契約書を開く。すでに用意された三案のうち、一番薄い紙束だった。そこへ守秘範囲と説明を受ける権利を書き加える。
セシリアは自分の名を署名した。公爵家の姓を使わない署名は、まだ文字の間隔が定まらない。最後の一画だけが、紙の上で少し長く伸びた。
退室すると、廊下の長椅子にマリアンヌが座っていた。王太后への伺候に来たらしい。セシリアを見ると立ち上がり、抱えていた扇を持ち直す。
「セシリア様。少し、お時間はございますか」
「次の打ち合わせまででしたら」
「もう、お仕事を」
「三か月だけ、王太后陛下の冬至夜会をお手伝いします」
マリアンヌの視線が、セシリアの手にある契約書へ落ちた。封筒には王室の印と、契約当事者としてセシリアの名が並んでいる。
「兄の夜会が、先日」
そこで言葉が止まる。
青の間へ戻ってほしい。名簿だけでも貸してほしい。兄の顔を立ててほしい。続くはずだった言葉が、扇の骨の間へ沈んだ。
「いいえ。お引き止めして申し訳ありません」
「マリアンヌ様も、王太后陛下へご用がおありなのでしょう」
「ええ。失礼いたします、セシリア様」
彼女は頼みを口にしなかった。理解したからか、王宮の廊下だったからかは分からない。セシリアも尋ねず、礼を返す。
外交院の印刷室では、活字を拾う音が続いていた。
冬至夜会の仮招待状が一枚、試し刷りとして台から上がる。上部には王家の紋章。その下に主催者エレーヌ、実務責任者アドリアン、顧問セシリアの名が、それぞれの役目とともに並んでいた。
「刷り直したい箇所はありますか」
アドリアンに尋ねられ、セシリアは紙を両手で持った。誰かの妻として添えられた名ではない。大きすぎも、小さすぎもしなかった。
「このままでお願いいたします」
印刷工が次の白紙を台へ差し入れる。版が下り、同じ名がもう一枚生まれた。
その招待状の差出人欄には、セシリア・ラセルと記されていた。




