第5話 厄災の魔女(5)
ヴァレリアの昔語が終わり、私は水晶球の向こうの光景を思い浮かべる。
ベレニスとレオノールは唇を震わせ、フィーリアとクリスは瞳を伏せているだろう。
ヴィレッタは胸の前で両手を組み、祈るように目を閉じているに違いない。
リョウだけは目を開いたまま、奥歯を噛み締め、真っ直ぐ前を向いているはずだ。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
「……信じていた人たちに裏切られる。そんなことさえなければ、あなたは平凡な人生のまま終えていたはず。……悲劇が、あなたの人生を変えてしまった」
「月並みな言葉はいらないわ。……あらあら、そんな顔をしないでちょうだい。大丈夫、ローゼちゃんが心から悲しんでいるの、わかってるから。そんなことより、どう思った? 聞かせてくれる? 伝承と、真実を比較して」
冷たく突き放されたことに一瞬言葉に詰まったが、私は感情を押し殺して事実の確認に努めた。
「……つまり、後世の伝承への訂正としては」
感情的になることも、動揺することも、押し殺す。
「起点はヴァレリアによる家族殺しではなく、また、捕らえられて処刑されるから虐殺したのではなく、殺されそうになったから、正体不明の男と共に皆殺しにした、ということですね」
「ええ、そうよ。不思議な男だったわ。最後まで顔色一つ変えなかった。きっと、あの男も何かを失った人間だったのね」
「……男の特徴を覚えていますか?」
「そうね……大柄で無精髭……もし身分の高い家柄に生まれていたなら、後世に名を残すほどの胆力と剣技の持ち主だったでしょうね。乱世なら生まれ育ち関係なく王になれる逸材だったかしら」
彼女の説明に、私の脳裏に1人の男が浮かび上がる。
――ノイズ・グレゴリオ。
今の世で大陸最悪の人物と呼ばれ、邪教に力を貸す存在にして、リョウの宿敵。
ただ、時間軸だけが合わないだけ。
元々、ノイズの存在はおかしい。
なぜ、邪教はノイズを使うのか?
なぜ、ノイズは邪教に属するのか?
こう考えられないだろうか?
ノイズ・グレゴリオも、七賢魔と同じく千年の時を輪廻する存在だとしたら――
コトンと音を立て、ヴァレリアがカップを置き、私は思考の海から彼女へと意識を戻した。
「邪教はどうして、私を誘わなかったのかしら?」
遠い目をしてヴァレリアが呟く。
「誘われたかったんですか?」
「さて、どうかしら?」
「……率直に言います。あなたは自己完結しています。恨みも、憎悪も、すべてを自分だけで解決して満足したあなたに、邪教は利用価値を見出せなかったでしょう」
「あらあら、手厳しいわね。そうね。別に誘われたら断っていたでしょうし、お互いのためですものね」
そこでヴァレリアは言葉を区切り、少し身体を前に傾け、私を見つめる。
「じゃあ、答えを聞かせてくれる? 人を殺すことっていけないこと? でも、私も農夫の男も、ああしなければ殺されていたわ」
私はヴァレリアの赤紫の瞳を、まっすぐ見据え返す。
「私は、殺人を絶対的な悪と断定しません」
揺れない声で告げていく。
「私自身、生きるために戦闘で敵を殺したことがあります。戦いが回避できなくなった段階で、相手を殺す覚悟を決めるからです」
ヴァレリアの瞳がわずかに細まった。
私の答えが意外だったのだろう。
それとも、興味の色が増したのかもしれない。
「でも」
私は続ける。
「あなたの魔力なら、脅しだけで現場を制圧できたはずです。その場合、最小限の犠牲……元凶である領主の息子たちだけで済んだ可能性が高いと思います」
「あら?」
ヴァレリアの今度の笑みは明確な棘があった。
「私に殺意を向けた夫や子供、街の人たちと、その後も一緒に平然と暮らすべきだったと言うの?」
「嫌なら、離縁し、別の街に移り住む選択はできたはずです」
「そこで生まれ、そこで育ったのに? 何も非がないこの私が、恥を飲み込んで惨めに逃げ出せと?」
「死、以外の制裁方法も可能だったはずです」
私の声に、揺るぎはない。
「復讐ではなく、あなたが違う幸せを掴むという方法が、あなたならできたはずです。どこへでも行き、どんな生き方も選べた。あなたはそれだけの力を持っていた」
ヴァレリアは、しばらく私を見つめた。
人を愛することと人を傷つけることの紙一重の距離。
日常という幸福が崩れた時、人はどちらへ向かうのか。
私は多くの魔女を見て、答えを自分の中に持ち続けていた。
だからこそ今、この言葉を言える。
ヴァレリアは、フッと笑った。
「口で言うのは簡単だわ」
声には批難も賛同もなかった。
ただ、何か深いところで納得したような穏やかな響きがあった。
「あなたは、私と同じ立場になったら逃げたかしら?」
「どうでしょう? 私自身、あなたのような裏切りを体験したことありませんから……でも」
「でも?」
「私は、これまでも今現在も、逃げている存在です。あなたのように、大量殺戮する機会は多くありました」
私はヴァレリアに、自分のこれまでの半生を話した。
ベルガー王国の王女として生まれたこと。
両親が惨殺され、王女の身分を失ったこと。
それと……。
「私は邪教が欲する魔王の器だそうです。……魔王アリスの記憶に侵食されたこともあります。私はその運命から逃げ続ける決意をしています」
「あらあら。驚いたわ。……面白いわ。ローゼちゃん」
「カッコ悪いですよね、私。でも、この運命から逃げ、仲間たちと出会い、共に旅をする現在に、私は満足しています」
言い切った私に、ヴァレリアはティーカップをテーブルにそっと置いた。
「……まあ、確かに、そうかもしれないわね」
ヴァレリアはゆっくりと立ち上がり、言葉を紡ぐ。
「なら、逃げ切れなくなったらどうかしら?」
ヴァレリアが指を鳴らす。
すると塔全体が、低く、深く、鳴動した。
床の石が微かに震え、壁の松明の炎が一斉に揺れ、花々がさらさらと花びらを落とし、出入り口である扉が消えた。
「……まさか」
私はヴァレリアの狙いに気づき、すぐに扉のあった場所へ駆けるが、そこにはもう何もない。
あるのは穏やかで長閑な、ヴァレリアのプライベートルームのみ。
「見事ですね。脱出方法は罠を作動した者の死、のみ。けれどヴァレリア本人はすでに死亡し、幻影であるあなたを倒すことは不可能」
「察しがいいわね。さすが魔王の器ってとこかしら」
「……永遠に、私をここに囚えるつもりなら舐めないでください。仲間たちが必ず解決策を見出してくれます」
「そうね。でもそれは何年後かしら? 1年後? 10年後? その間の時間をローゼちゃんたちは無駄にするの?」
「それは……!」
技術や知識のあるフィーリアやヴィレッタでも、解決策がない無から、オリジナルのヴァレリアが生涯を賭けた塔を無効化するのに、相当な労力が必要なのが手に取るようにわかる。
まずい。このままだと本当に数年間ここで足止めを食らってしまう。
「ふふっ、焦るローゼちゃんもいいわね。でも、私もそこまで意地悪じゃないわ」
「要求があるなら、聞きます」
「こういうのはどうかしら?……次は逃げずに選択するの」
声の温度が変わる。柔らかい部分が、すっと消えた。
「ここで、仲間の誰か一人を犠牲にするか選びなさい。そうすれば、ローゼちゃんと残りの仲間は無傷でこの塔から解放してあげるわ」




