第3話 厄災の魔女(3)
厄災の魔女と後世に伝わるヴァレリアの幻影を前に、私は対話を続ける。
こんな機会滅多に訪れるものではない。
決して巡り会うことのできない、違う時間軸に生きる存在との対話。
例え悪名を残した魔女だろうが、彼女の見た世界、培った知識、魔法理論が現在に生きる私たちの糧になる可能性があるのだから。
「立ったままおしゃべりするなんて無作法ね。座ってちょうだい。紅茶に毒なんて入ってないわよ。大丈夫、ここに罠なんてないわ。……ここにはね」
警戒しすぎると、ヴァレリアの心証を悪くするだけ。
私は両拳を握りしめながら椅子に座り、彼女の赤紫の目を真っ直ぐに見つめた。
「あなたは生きている時、6人……いえ、あなたの生きている時代、七賢魔と呼ばれる7人の魔女を頂点とする邪教組織『真実の眼』と関与はありましたか?」
私の言葉にヴァレリアはつまらなそうに、くるりと目を泳がせた。
「いいえ、一切ないわ。……でも、邪教の噂くらいは聞いたことがあるわね。私も誘ってほしかったけれど」
彼女は一拍おいて、くっくっと喉の奥で笑う。
「当時の私はただの普通の主婦でしかなかったから、お呼びじゃなかったのかもね。連中は幼少時代を無残に過ごし、この世に絶望した者を好んだと聞いたことあるわ。そのほうが、駒として利用しやすいからかしら?」
「それはその通りです。今も若い魔女を中心に配下に置いています。……他に、あなたが聞いた邪教の噂とはなんでしょう?」
「そうねえ……実験が大好きで、たま~に現れては邪魔する人間を皆殺しする、古より生きる大魔女の集いということ。基本、干渉しなければ害がないどころか、豊富な知識で人々に真実を教えたそうよ」
「真実……ですか」
私が呟くと、ヴァレリアは楽しそうに頷いた。
「ええ。未知の医療技術や、この世界の理を解き明かす数式や薬物学の知識よ」
ディルたち七賢魔が、洪水や旱魃から人々を救った伝承と合致する。
ただ、それは正義でもなければ名声を得るためでもない。
単純に、自分たちの利害が一致しただけ。
「私も随分恩恵に与ったわ。クスッ、既知の情報だったようね」
「ええ。だからこそ、時の権力者たちは邪教を利用しようとし、消された。真実の眼の頂点にいる魔女たちにとって、大陸の支配も、富も、栄耀栄華もどうでもいいことだったから」
「あら、大した情報を与えられずごめんなさいね」
「そうでもありません。あなたの時代から、七賢魔の魔女が活動していた事実を、当時を知る人物の証言で得られたのは大きな収穫です」
「そう。ならよかったわ。……でも、あなたは何かに興味を持ったようね。聞かせてくれる?」
ヴァレリアの言う通り、私は彼女の存在が胸の中で引っかかってならない。
旅の途中で、狂気の果てに壊れた魔女を多く見てきた。
誇りと意地を貫き、救済より自害を選んだ魔女。
愛する人を甦らせるために、一つの王国を滅ぼした魔女。
愛する日常を守ろうとした末に、自ら日常を壊していった魔女。
私は多くの魔女の絶望を見てきた。
魔女が悲劇に向かうのが、魔女の宿命であるかのように。
ヴァレリアも、かつてはただの主婦だったと言う。
ならば、間に何があったのか。
「……どうして、普通の主婦だったあなたが、愛する夫と子供を殺害し、街を一つ滅ぼしたんですか?」
一瞬の静寂のあとヴァレリアはカップを置き、少し意外そうに目を細めた。
「あら、後世で私はそんな大悪党として語り継がれているの?」
「事実と違うのでしたら、教えてくれませんか? もし冤罪で、悲しいすれ違いがあったのなら、私が後世に真実を詳らかにします」
今度は少し長い間、ヴァレリアは私を見つめた。
表情は先ほどの軽い笑みとは異なり、何かを測るような深い注意深さがあった。
やがて、彼女は口を開く。
「ふふっ、本当に真っ直ぐで優しい魔女ちゃんなのね。でも、魔女である以上、あなたも私と同じ側よ」
ヴァレリアはこう続ける。
「ねえ、あなたには今の私が、どう見えているのかしら?」
私は目の前の幻影を、じっと見つめて気配を読み、醸し出す魔力の質を感じ取る。
立ち居振る舞いの奥に潜む感情の色を、正確に読み解こうとしていく。
しばらくして、私は言った。
「……そうですね。あなたは今、深い絶望や後悔などしていません。むしろ……やりきったという、晴れやかな達成感で充足しているように見えます」
「ええ、オリジナルはこの塔で研究に没頭し、私を完成させ、たまに来る悪党を皆殺しにして寿命で亡くなったわ。……ということは?」
「後世に伝わった惨殺と破壊の伝承は……事実、ということですか」
ヴァレリアの表情が、ふっと変わった。
それは満開の花が、一度に咲き誇るような笑顔。
あどけなく、美しく、一切の陰を持たない、無邪気な笑みだった。
「大正解。夫も子供も、私がこの手で殺したわ。街も綺麗に焼き払ってあげたの」
悪びれず、後悔せず、釈明もせず、ただ事実としてそこにある存在に、私の背筋に冷や汗が走った。
恐怖ではない。もっと根源的な人の業の深さを直視した時の、生理的な戦慄だった。
「……なぜ、ですか?」
私は問うた。
ヴァレリアは小首を傾け、友人に今日の紅茶の銘柄を問われたかのように、軽い口調で逆に訊いてくる。
「逆に質問。ねえ、ローゼちゃん? 人を殺すことって、いけないことだと思う?」
部屋に、花の香りだけが漂っていった。
「人を殺すことがいけないことか、ですか……」
私は彼女の問いを繰り返した。
それは回答を保留しているのではなく、問いの重さを自分の中で正確に受け止めようとしているからだ。
隠し持つ水晶球越しに、塔の下層で仲間たちが息を呑む気配が伝わる。
全員が私とヴァレリアの間に流れる空気を、固唾を呑んで見守っているのを感じた。
私が逡巡していると、ヴァレリアが笑みをこぼしてくる。
「ふふっ、答えに窮するわよね。それじゃあ……一つ、昔話をしましょうか? 私が厄災の魔女と呼ばれるようになった日の話を」
ヴァレリアは紅茶の香りを楽しむように吸い込み、語り始めた。
遠い日の出来事を懐かしむように、声は穏やかで落ち着いていた。




