第2話 厄災の魔女(2)
声が途絶え、私が歩き出そうとするとリョウが剣の柄に手をかけ、私の前に立ち塞がってくる。
「駄目だ、ローゼを一人で行かせるわけにはいかない」
「リョウ様の言う通りです。なぜ、先ほどの声がローゼを指名するのか、まず理由を考えるべきです」
「考えられる理由として、魔女としての知識欲を満たす意見交換か、ローゼさんの魔力を道具として利用するかっすね。自分としても、ローゼさんだけに荷を背負わすのは気が引けるっす」
ヴィレッタとフィーリアも即座に否定してきた。
「姉様だけを危険な目に遭わせるなど、私も拒否します! 全員を塔に入れておきながら会うのは一人だけというのは、古来より罠と相場が決まっているものです!」
レオノールが剣を抜き放ち、リョウの隣に並ぶ。
「私とレオノールとリョウで前衛を務めるよ~。ローゼは後ろからついてきて。敵の狙いはローゼなんだから」
「蜃気楼ごときにデカい顔させないわよ。全員でチャチャっと片付けましょ!」
クリスがロングソードを、ベレニスもすでにレイピアを構え、剣先が塔の扉へと向けられていた。
普段は飄々としている2人だけれど、いざという時の行動に迷いはない。
……フタエゴとバラオビは、『はよなんとかせい』って言いたそうに、上から目線で私を見てるけど。
仲間たちの言葉に温もりを感じつつ、私は首を横に振った。
「みんな待って。塔の防衛魔法が作動すれば、あの声の持ち主が何者であれ、この場所で数百年間塔を維持してきた術者の仕掛けなら、何が起こるか分からない」
リョウが唇を引き結ぶ。反論したい衝動を理性が押さえ込んでいるのだと、表情から見て取れた。
私は彼の目を真っ直ぐに見返す。
「それに私、彼女に興味がある。あの声の持ち主が本当にヴァレリアなら……なぜ今ここに現れたのかを私は知りたいと思っている。魔女同士なら、話し合いで解決できるかもしれない」
ヴィレッタが、ふう、と小さく息を吐いた。
ため息は諦念でも賛同でもなく、何か深いものを受け入れたかのような音色に聞こえた。
「……わかりました」
彼女はそう言いながら、ベレニスに顔を向ける。
「ですが、丸腰で行かせるわけにはいきません。ベレニス、あの水晶球を」
「ああ、あれね」
差し出されたのは手のひらに収まるほどの、薄く透き通った遠視用の水晶球だ。
あまりいい思い出のある品じゃないけど、これからの行動の用途に、これ以上の魔導具はない。
「なるほど。それは妙案っすね。水晶球に魔力を通しておけば、ローゼさんの視界と音声がこっちにもわかるっす」
「ローゼに何かあったら、私が塔ごと燃やし尽くしちゃうからね~」
クリスが薄く微笑みながら言ってくる。
笑顔は穏やかだったが、瞳の奥に揺れる炎の色は本物だ。
リョウはしばらく黙り、剣から手を離すまでに数秒の間があった。
「……絶対に無理はするな」
リョウはそれだけ言って横を向いた。
それが彼なりの励ましだとわかっているから、私は小さく微笑む。
ベレニスから水晶球を受け取り、握りしめると仲間の体温が宿っているような気がした。
私はみんなと別れ、塔の奥を進んでいく。
塔の内部は外の石造りの印象よりさらに古い。
螺旋を描く石の階段は一段一段が微妙に高さが違い、慎重に足を運ばなければならない。
壁に等間隔で取り付けられた松明が、私の影を長く揺らした。
外の灼熱が嘘のような、墓所を思わせる冷気は階段を上るほどに薄れていき、代わりに花の香りに似た甘く香しい気配が漂い始める。
どれほど登ったか分からない足が重くなり始めた頃、ようやく頭上に重厚な扉が現れた。
古びた木材の扉に複雑な紋様が彫り込まれている。
魔法陣だろうか、私の持つ知識のどれとも一致しなかった。
けれど、強力な封印術が施されていたことだけは肌で感じ取れた。
いや、正確には施されていた、だ。今はすでに解除されている。
まるで私を待ち受けていたかのように。
私は扉に手をかけ、押し開いた。
すると、ひんやりとした螺旋階段の空気が温かな光に変わった。
塔の最上階に広がる部屋は、不気味な石造りの外観からは想像もできない場所だった。
天井に近い位置に設けられた大きな窓から、砂漠地帯の午後の陽光が惜しみなく差し込み、部屋の隅から隅まで柔らかく満たしている。
窓辺には見事な花々が飾られていた。
白い芍薬、深紅のバラ、紫の菖蒲。色も種類も異なる花々が、それぞれ活き活きと咲いている。
数百年前の塔に、なぜ、という疑問は後回しにするしかない。
部屋の中央に上品な白木のテーブルと椅子が一組。
そしてもう一脚、私のために用意されていたかのような椅子が、テーブルを挟んで向かいに置かれていた。
席に座っていた人物が、ゆっくりと顔を上げて私を見つめる。
年の頃は20代半ばほど。
蜂蜜色の巻き毛が肩の上でふわりと揺れ、深みのある赤紫の瞳が私をまっすぐに捉えてくる。
絵画から切り出したような端正な顔立ちに、朱を引いた唇が弧を描く。
薄い磁器のカップを右手で持ち、紅茶の湯気が細い糸を描いていた。
こんな場所に、こんな気品ある人物がいる落差が、かえって私の警戒心を研ぎ澄ませた。
ヴァレリアと思われる存在が、私を見ると旧友を迎えるように微笑んだ。
「ようこそ、我が塔へ。せっかくだから、私の話し相手になってちょうだい」
私は入り口に立ったまま、部屋全体を素早く見渡した。
罠の気配を探り、術式の残滓を読み、逃げ道の位置を確認する。全て、無意識のうちに行われた動作だ。
それが終わってから、私は口を開く。
「まず、確認と質問です」
警戒は崩さないが、声は落ち着かせる。
「……あなたはヴァレリア本人ではない。塔が発見された時に作動し、侵入者を抹殺するか、または試練を与えるための術式の投影。すでに、ヴァレリア本人は数百年前に死亡している」
ヴァレリアは片眉をわずかに持ち上げ、上品に笑った。
「ふふっ、質問というより、答え合わせみたいね。ええ、その通りよ」
カップを持ち直し、少し首を傾げた彼女が口を開く。
「私からも質問させて。数百年も隠されていた私の塔が、どうして今になって現世に姿を現したのかしら? 私はそれに興味があるの」
私は部屋に踏み込み、向かいの椅子の前に立った。
座りはしない。まだ、安全ではないと判断したからだ。
「魔王軍宰相クレマンティーヌが復活した影響でしょう。現在、各地で古代の迷宮や遺跡が次々と姿を現しています。この塔の封印が解けたのも、強力な魔力波動の影響の可能性が高いです」
ヴァレリアは目を丸くした。
幻影であるはずなのに、驚きの感情が表情の端々からありありと滲み出ていた。
「あらあら、大変ね。魔王軍なんて昔話が、また現世に降臨するなんて」
くすっ、と笑って、ヴァレリアは付け加えてくる。
「……それじゃあ、この私も魔族の手先か何かだと思われているのかしら?」
「さあ、それはどうでしょう? 少なくとも、私はあなたに邪悪な気配を感じていません」
「あら、ありがと」
人懐っこい笑顔を見せてくるヴァレリア。
それでも緊張を、魔力の集中を解くことはできない。
解いたら最後、私は彼女に飲み込まれる。
厄災の魔女の幻影――彼女の底知れぬ魔力と対峙し、ただ純粋に、そう思った。




