騒動
ようやく無事に2代将軍となり浮かれている秀忠を尻目に私は大坂への使者へと向かいいちお弁明の使者となり大阪城へ入城する。
大広間では秀頼と淀殿や局が並んで私を待っており私は座り一礼すると、
「今回の将軍就任と言い大軍を率いての事と言い家康殿はいかがお考えか、話によっては許さぬ。」
そう切り出され話が始まる。
「我ら豊臣家を蔑ろにするのか」「秀頼が秀忠の後に将軍を継ぐことは当然であろうな、一時的に貸しているだけだし」「おまえの嫁は女郎ではないか」「たかだか三万石の貧乏大名ではないか」
そんなことを言いたい放題言われながら気にせず聞いていると、
「徳川からの使者に対する豊臣家の礼儀か、女子供がしゃしゃり出るな。」
そう力強い声と共に片桐且元が入ってきた。
片桐は豊臣家の七本槍と呼ばれた重臣であり家康の覚えもめでたい武将であり唯一淀殿に意見を言える気骨の持ち主である。
私の横に座り、
「徳川からの使者に敵対する行為ととられ京にいる十六万が大坂への攻撃にため出陣すればどうなると思いますか、準備もなにもないこの城は簡単に落ちますぞ。」
そうお局達を睨み付けると私に謝罪をする。私は、
「いえいえ、大坂へ出入りしている商人がお局様が「徳川が来ても何者ぞ」そう言っていると大坂の町でいいふらし市民が逃げ出しているとか、ほんとの事でございましょうか」
そう訪ねるとひそひそと話して、
「そんなこと知るわけなかろうて、わらわたちが大坂の民の噂など」
そう顔をひきつらせながら私に言い返したので、
「そうですか、その他の事も知らないのですね、致し方ありません。」
そう肝心の京にいる十六万をとぼけてみることにして、
「私の妻の事気にかけていただきありがとうございます。なか睦まじくさせていただいておりますれば私は幸福者にございます。」
そう照れながらいうと、乳母である大蔵卿局が
「そんな事はどうでもよい秀忠殿が率いるあの兵についてじゃ」
そう思わず発してしまい悔しそうに睨み付けるので、さらにとぼけ
「特に噂であがっている徳川に対するものがここから発せられた物ではなければ問題無いと思いますがいかがでしょうか大蔵卿局」
そう言うと、小さい声で
「わらわは知らぬぞわらわは、」
そう繰り返し言い始めたので私は片桐に向きなおし、
「徳川家は豊臣家にどうと言う事はありません安心していただきたい。お祝いが終われば江戸へと戻りますれば淀殿にもご安心くださいとお伝えくだされ。」
そう言うと片桐は頷き、
「松平殿にそう言っていただければ豊臣家も安心して見守ることができますれば家康殿と秀忠殿にお祝いと感謝をお伝えくだされ。」
そう言われ私は秀頼に礼を言うと大坂を退去した。
私は家康と秀忠に報告を済ませ家康について駿河へと戻っていく隊列に入り吉田経由で駿河へと向かった。
駿河は普請中であり大御所として江戸の秀忠の幕府と二重の政治体制をつくることになり私は家康に組み込まれ動くことになる。
普請の監督をしながらその年の暮れを駿府で過ごすことになった。
年明けは家康に年賀の挨拶をして一旦下がると正純から家康の元へ参上するように伝えられ出向く。
珍しく正信がおり家康が、
「伊賀上野の筒井定次の代わりに高虎を入れたい、大阪対策だ。」
そう言われ頷くと正信が、
「定次の家臣、中坊秀祐を使い取り潰しの算段を、無論直臣に取り立ててもいいが任せる。」
私は無言のまま一礼すると退出して吉田へと戻った。
家臣に年賀の挨拶をおこない、小太郎に大久保長安の事についての報告を受け私は筒井家の情報と取り潰しの原因となることを至急調べるように頼み、2日ほどまことなか睦まじく過ごさせてもらうと京の屋敷へと向かった。
京に入ると早速小太郎から定次の悪政や鹿狩に毎日興じており、キリシタンについても優遇していると言うことで中坊秀祐を内密に屋敷まで来るようにと書状をしたため小太郎に持たせた。
中坊秀祐は私的には君主の寵愛を良いことに島左近を追い出したりとやりたい放題の家臣であり嫌いな男だが今回取り潰すには格好の目標である。
数日のち私の屋敷に中坊が訪ねてきた。私は率直に、
「悪政や鹿狩そしてキリシタンの事いついて聞きたい、場合によってはもあるのでそのつもりで」
そう言うと美しい顔だが何ともやな顔で、
「松平殿が言うことまことにごもっともでございます。内密にと言うことは私が行動を起こせばそれなりにと解釈をすればよろしいのでしょうか。」
そう言われ頷く。
「おりをみて駿府にお伺いさせていただきます。」
中坊はそう言うと伊賀へと戻っていった。
しばらくは吉田と駿府を往復しているとまこが、
「懐妊いたしました。医師からは順調だと言われております。」
そう言われ大喜びで皆と喜び家康にも駿府へ行ったときに報告を行った。
「その子を次期当主として育て、豊寿丸は養子かしかるべき家をたてさせる。」
そう言われ豊寿丸は8つになり家茂を守役として養育を任せることにして頼む事になる。
そんなことをしていると夏前に中坊秀祐が手はず通りに駿府に来ると家康の御前で訴え始める。
「まことに心苦しいですが君主である定次が民に重税をそして政務をないがしろにして鹿狩に毎日興じておりキリシタンにも優遇措置をしており伊賀は今乱れております。」
そう言うと芝居なのか顔をしかめいくつかきつい質問を始めており、シナリオ道理とはいえ家康の近習を前になかなかの演技だった。
家康は改易を指示し私に江戸に向かい将軍秀忠の命令を受けるようにと指示をされ書簡をいただき江戸へと向かった。
江戸は来るたびに目を見張る程の発展しており急ぎ江戸へと上がると秀忠と土井利勝が迎えてくれ即日決済してもらう。利勝が、
「信忠殿、中坊秀祐については如何するのか。」
そう聞かれたので、
「大御所様の手配で奈良奉行に任じられると思います。元々筒井氏は奈良のでなので。」
そう言うと中坊秀祐を使い筒井を潰したとわかったようで秀忠は訴えた中坊を召し抱えることに驚いており、私はその日のうちに駿府へ向かった。
駿府へ戻ると中坊秀祐を連れ、一時受け取りのため吉田により利光と兵五百を率いて伊賀上野へ向かった。
道中中坊秀祐は、
「松平殿のお陰で奈良奉行に内示頂きました。上野城受け渡しは何事もなくさせていただきます。」
そう美しい顔で嬉しそうに言いながら途中伊賀にはいる予定の藤堂高虎に津で会うと引き渡しについても相談して後詰めとして藤堂勢五百をつけてもらい上野城へ入城した。
幕府の使者として入城し筒井家家臣を大広間に集まった所で定次本人に、
「筒井定次、藩主としてあるまじき民を苦しめ鹿狩り等に興じキリシタンを優遇そして家中をおさめられない事実」
そう一息おいて、
「その事をかんがみて改易とし藩主定次は鳥居忠政に預ける。家老である中坊秀祐については大御所様の預かりとするものとし速やかに明け渡すように。」
そう言うと藩主家臣一同呆然として私を見ており静まり返り中坊秀祐が、
「このようなことになったのは私の不徳のいたすところ申し訳ございません。」
そう自分が告発したがぬけぬけと言いながら家臣に自宅での謹慎を伝え私は、
「勘定方等の役は残り城の兵糧等の封印をするための数の立合を申し付ける。以上だ。」
そう言い、定次は寝所で家族と軟禁して鳥居が迎えい来るのを待ち、私は利光と手分けをして上野城の家財一切を封印して筒井家家臣の家には私と藤堂勢の者が監視に入る。
2日で確認が終わり正純の手配の者に書面と共に引き渡すと定次に挨拶をして駿府へと戻ることにした。定次はまだ呆然としており、
「なぜ改易になるのでしょうか、関ヶ原でも東軍についたのに。」
そう私に今更ながらに聞いてきたので、
「一番大きな勘違いは豊臣家の治世ではなく徳川家の治世です。それなのに大坂と連絡を取り合い、キリシタンに関しては太閤殿下の頃から禁止をされているのに自ら進め、一番は中坊秀祐のような輩を寵愛し島殿等優秀な部下を手放されたことでしょう。自分のしてこられたことが帰ってきただけの事そこを考えて過ごせばよろしいかと存じ上げます。」
そう言い切ると私を見て愕然とし、
「中坊秀祐が訴えたとはまことの事だったと言うことですね。」
そう言うとさらに肩を落として丁度鳥居が迎えに来たので引き渡すとそのまま一緒に駿府へと向かい報告をした。
「藤堂殿これが引渡しの内容でございます。」
そう言いながら家康の前で正純が高虎に引渡し私の仕事は終わる。
高虎や正純が退出すると家康と二人になり、
「信忠、今回の事ご苦労これからこう言う事が続くであろうが頼むぞ。」
そう言いながら太刀を褒美として自ら渡され感謝をすると共に徳川安定のために豊臣恩顧の武将を次々と改易することになると思い頷くしかなかった。
私は伏見城の改築の監視のためそのまま京へ上がり年末に吉田へ戻ろうと祇園を通り馬で通り抜けている途中、私の前に商家の主人が泣きながら飛び出してきて護衛の利光が切りかかるところを止める。
「三河守様と存じ上げます。お願いです武家様が娘に乱暴を働き止めようとしましたが刀を抜いて暴れています。お助けください。」
そう言われ馬を降りると商家のなかに入る。商家の者に所司代の板倉へ通報するように言いながら中へ入ると、護衛の武士を含め6人がおり女を手込めにしているのは大名の津田信成と稲葉通重であり私と同じように伏見の普請が終わった者達であった。私は、
「松平三河守信忠である。町民に迷惑をかけるとは直ちに娘をはなし藩邸で謹慎しなさい。」
そう越権ではあるが普請の監督でもあったので言うと酔っぱらっているのか、
「うるさいぞ普請が終わったからお前に指図されるおぼえはない。」
そう言いながら狼藉を働こうとするので利光と護衛の者に、
「かまわない6人を捕らえよ、反抗するなら徳川家に対する謀叛として切り捨てい。」
そう言うと相手の護衛は青い顔でお互いを見て刀をさやごと抜いて床においてその場を下がり、利光は津田と稲葉に縄をかけ騒ぐ二人を板倉が率いた役人に引き渡すと状況を説明した。
勝重は家康から京での狼藉は厳罰になると言われ本来は監督の私にも責任があるが工事は終わっているのでおとがめはないだろうと言われる。
ごたごたで一度伏見の館に戻ると、先程助けられた近江屋という者が面会を求めていると言われた。私は居間に通すと先程の商家の主人が入ってきて、
「先程はお礼もいたさず申し訳ありません。娘は傷物にならなくて済みました。」
そう言いながらお菓子とお金をお礼と置いていき、私はそれを利光と護衛の者でわけるように言いながら明日は取り調べがあるだろうから明後日に出発する事を伝えた。
翌日は朝早くから所司代に赴き事件の事を話して昼過ぎには解放され館に戻ると、昨日礼を言いに来た近江屋が待っており中へ通す。
「三河守様、昨日の今日で申し訳ありませぬ。実は私の娘が襲われたことを嫁にはいる予定の商家に知られ破談となり絶望しております。こんな事を頼むのもいささか不適切とは思いますが娘のさえを貰ってやっていただけませんでしょうか。」
そう言われ私は難しい顔をして、
「それは大変なことであったが私には大御所様の娘を妻としており側室をもとうとは思っておりませぬ、しかるに別の者を世話するのでよければお受けいたしましょう。」
そう言うと嬉しそうに近江屋は礼を言うので横に控えている利光に、
「その方私よりひとつ上なのに今だ独身だな、利光がよければ清幽に養子としてその後縁組してめとると言うのはどうか。」
そういきなりふると、ポカンとした顔のあと慌てて赤い顔をしながら、
「殿がよろしければ私には問題はありません。よろしくお願いします。」
そう言われ私は、
「近江屋よ、娘のさえ殿をわが家老の清幽の養女としそのあと娘を助けた利光にめとらせる如何かな。」
そう言うと何度もお礼を言い来年にも養女に迎えることを決め吉田に戻ると清幽に話すと、
「利光をわが息子とできるならこんな嬉しいことはありませぬ、近江屋と話して養女として迎えましょう。」
そう約束をすると正月を迎えほっとした。
正月を迎え広間で家臣家族一同で年賀を行っていると家茂を見る娘の様子に妻に聞いてみると、
「ようやく気がつかれましたか、守役として出入りしているうちに惚れたようですがいかがいたしましょう。」
そう言われ考えてしまう。普通なら問題はないが便宜上は家康の孫に当たるので勝手に決められないので、
「大御所様の意思を確認してからだ。」
それだけ言うと年賀のため駿府へと向かった。
道中娘の事を考え家茂と夫婦にさせてあげたいがどうなることかと思いながら駿府に到着し大広間で挨拶を行うため入室すると後ろから押され転びそうになり片膝をつきながら相手を見ると伏見で普請に参加していた前田茂勝であり、人を惨殺したような血なまぐさいというか狂喜の目をしており、私を見て睨み付けながらも口は中ば開いており異常者と言ってもおかしくない。
私は何事もなかったように立つと前田の後ろに座り不足の事態に備えたが特に何もなく終わり、祇園での一件もあり正純に大御所への面会を求めるとすんなり許可がおりた。
珍しく茶室に通されると家康と正純が待っておりお茶をいただき再度挨拶をすると家康から切り出された。
「先程の挨拶でその方が緊張した面持ちでいたが前田の事だな。」
そう言われ私が感じた異常な事を話すと家康も同意して私に調べるようにと指示をだし正純に報告をするようにと家康は話す。
私は、
「私の娘の日羽を家臣である家茂に嫁がせたいのですがお許し願えませんでしょうか。」
そう言うと少し考えていた家康が、
「どこぞの大名にと思ったがそうかたしか関ヶ原で昔からの家臣は兄と共に亡くなっておるのだな、家の安定のためなら許そう信忠。」
そう言われほっとしながらお礼をのべたが家の安定となるとどうなのかと思いながら吉田城へ戻りながら小太郎に前田を追跡することで情報を集めるように指示した。
吉田に戻るとまこが迎えてくれ日羽と家茂を呼ぶように伝え私は書斎にはいると目を閉じてこれからすることを意識して二人が来るのを待った。
ふすまが開きまこが私に横に座りおそらく若い二人が私の前に座る。私はそのまましばらく黙っていると、
「父上、お呼びになったのは私たちの事ではないのですか、呼び出しておいて黙っているのは何故ですか。」
そう日羽が言ったが私は沈黙をまもり目も開かない。日羽はさらに焦っているのか、
「母上、父上は何故黙っておいでなのです私に対する当て付けでしょうか、家茂も何か言いなさい。」
そう言うのを薄目で見ていると、何か日羽に言いたそうな家茂がいたが遠慮しているのか言い出せずにいる。私は目をゆっくり開くと家茂に、
「その方の怠慢でもあるな家臣としてけじめをつけろ。」
そう言い黙ると家茂は脇差しを前に置くと切腹の準備を始め、それを呆然と見ていた日羽は家茂の脇差しを胸に抱くと、
「父上、家茂を切腹させるとはどの様なことなのです。いきなり発した言葉がけじめをつけろと、父上」
そう悲鳴をあげるように私に言い母親であるまこに、
「母上止めてくださいなぜなのです。母上からも父上におっしゃってください。」
そういっている間にも家茂は切腹の準備を整え脇差しを渡すように言ったががんとして日羽は渡さず、私は自分のを家茂の前においた。
悲鳴をあげながらそれを奪う日羽に、
「その方の傲慢の結果だ。大人しくそれを家茂に渡し自分のしたことで最愛の人を亡くすことを自覚せよ。」
そうゆっくり言うと日羽は、
「なんでいきなりそうなの、家臣と結婚することがそんなに悪いことなのどうしてなの」
そう言うので私は家茂に促すと、
「日羽様、もし私の元へ嫁いでこられれば上様の娘ではなく家臣の妻です。このように呼ばれたときは上様から声がかからない限りは黙って待つのです。そのような自覚がない日羽様と遠慮してそれを注意しない私に上様は怒り私に切腹を命じられたということです。」
そう言うと日羽は、私を見てさらに母親を見て、
「母上、私の行いはそんなにダメなことなのですね。私の普段の行動が父上を怒らせたと言うことなのですね。」
そう言うとまこはやんわり、
「人にはそれぞれ立場という者があります。以前貴女は父を馬鹿にしておられましたが娘としてならまだ父は許してくれますが、家臣の妻なら許されるわけではありません。私の教育不足であったことは貴方に謝らなければなりませんが貴女はもう大人です行動に結果を伴うということを自覚しなさい。」
そう言い私は、
「家茂、豊寿丸の守役を外ししばらく謹慎していなさい、日羽も同じくだ。」
そう言うと私は外に出て池田の頃に作られた豪奢な茶室に入ると足を投げ出し天井を見上げ、今まで潰した筒井のことやこれからの前田の事を考え悶々としていると、何度か家臣が来たが居留守を使い黙りを決め込んでいる。
しばらくするとふすまが開き、
「殿失礼します。」
そう言いながらまこが入ってきて私の頭のすぐ横に座った。
私は何も話す元気もなく黙って天井を見ていると、
「娘の気持ちばかり考えてしまい殿と家の事など考えずに申し訳ございません。」
そう言われたが黙っているとまこも同じように座っておりしゃべりたくはないので、仰向けに転がりながらまこの膝の上にかおをしたに向け両手をおしりに回して安心するいいにおいをかいで落ち着いていると、まこの手のひらが私の頭にのびてゆっくりさすってくれる。
そのまま顔を起こしてまこにさらにだきつき自分でも甘えん坊の子供と一緒だなと思いながら、
「先程からすまない、自分でもあれがよかったのかはわからないがああしないとお家騒動のもとになるかと思ったのだ。」
「なので日羽にも家茂にもきつく当たった。うらんでおろうな日羽は特に。」
そう言うと子供をあやすように背中を軽くゆっくり叩きながら、
「いいえ日羽は殿の言うことわかると思います。口では色々でしたが気にはしておりますから、それと私の態度も殿にたいして良くなかったの思います。ごめんなさい信忠様」
そう言われ余計に力が抜けてしまい気がついたら寝てしまっておりまこはそのままの体制で夜中私が起きるまで背中を撫でてくれていたようだった。
戻るのも面倒なので外に控えている者に寝具と火を持ってくるように伝えそのまま茶室でまことと寝てしまった。
翌日も清幽に任せ仮病で茶室にこもりまこの横でゆっくりしていると小太郎が至急というので起きて茶室の外で聞くことにした。
小太郎から、
「水口宿で宿主と喧嘩をして奉行所に捕らえられており信忠の名を使いお止めておいておりますれば急ぎ出立を」
そう言われまこに仕度をと言い髭などをそり衣服を整えると馬を走らせる。
利光は豊寿丸の守役とし家茂は謹慎中なので護衛はいないが良いかと思いながら近江へと東海道を急いで走らせた。
ようやく到着し水口の奉行所に入ろうとすると外に前田の家臣と思われる10人ほどがたむろしており藩主を取り返そうと騒いでおり私は馬をおりると、
「松平三河守信忠である。聞きたいことがあるので奉行所内で大人しくまってほしい」
そう言うが興奮しているのか言うことを聞く気がなく再度、
「幕府からの調べによって来た。大人しくしろ。」
そう言うがやはり興奮している前田家家臣は聞く耳持たず。私はずっと抱えていた物を吐き出すように目の前の男を袈裟懸けに切りつけ、隣の男も切り捨てる。
前田家家臣は慌てて刀を抜くが私は無言のまま駆け寄り次々と切り捨てていくが、
四人を倒した所で男達も反撃をしてきて腕や服そして袴等が切られ私の体は返り血で真っ赤になりながらも捨て身といってよい攻撃で最後の一人までも切り捨てて私は視界が血で赤くなっているのに気がつきその場で崩れてしまった。
小太郎とその配下のものが駆け寄ってくるのを見ながら、
「小太郎誰のせいでもない私のせいだ、責任を感じて腹を切るとかはいらない、そう清幽に伝えろ。」
そう言いながら意識が飛び小太郎が呼び掛けているのも消えていった。
痛みと共に視界が広がり、体を起こそうとしたが何か言われて体を押さえられる。
ようやく目の焦点があうとそこには清幽と正信そして小太郎がおり、私がようやく起きたのをホッとした顔で見つめていて正信が、
「医者も見捨てたほどの重傷であったのだぞ、10日間も意識もなく高熱にうなされて、」
少し疲れた顔でため息をつき正信は、
「大御所様はお怒りだ、命を捨てるようなことをしおって当分は謹慎を申し付ける。それとあの者に感謝するんだな、手当てをして報告書をお前の名で持ってきたので前田は親類へお預けとし改易した。」
そう小太郎を見て私が無事なのを確認すると駿府へと戻っていった。
「そう上様も心配しておられたぞ関ヶ原での借りは返しておらぬと」
そう秀忠にも心配をかけおってと正信は首を左右にふりながら出ていった。
清幽は、
「殿、小太郎からお聞きしましたが何故なのですか。」
そう言われ、
「自分に改めて気がつかされた。弱いと言うことをそれに押し潰されただけだ。」
そう言うと困った顔をして、
「謹慎中なので療養ください。藩はなんとかやっときます。」
そう言うと小太郎に言い含めて吉田城へと戻っていった。
小太郎は、
「駿府での大御所からの一言がきっかけでしょうか、しかしあそこで一人でとはよく生きておられましたな、風魔の護衛も殿の言葉がなければ責任を感じてですから。しかし無謀なのに計算ずくの言葉生きることにそんなに冷めてしまわれましたか、佐賀の鍋島藩の兵と同じですな彼らの場合意識的なのですが。」
そう言われ何かと聞くと、
「彼らは毎朝起きると色々な情景を思い浮かべながら自分の死に様を体験して生きているのに死兵となると言うこと、殿は経験された中で無意識にされてしまったようですね。」
そうあきれながら私を何時もの表情がない顔ではなく暖かい眼差しで見つめており、自分でも自分の事が何となくわかったような気がしてホッとした気持ちになる。
「殿は豊久殿に始まり義弘公の死兵を体験してしまいそれが何かもわからず引き寄せられてしまったのだと思います。長篠で織田の鉄砲に向かう武田の馬場や山県そして真田の兄弟みな死を越えてそこに最後の場所を作ったのだと、しかし今は戦国の終わりを告げそんな武辺者は淘汰される。本多忠勝や井伊直政などは幕閣から外されており殿はその片棒を担ぎ次々とその者達の生存本能を奪っていく。それが殿の原因と思います。」
確かに加増はあり一見幸せそうに見えるが武官は遠ざけられており、加藤や福島等も敵がいないただの厄介者でありその息の根を止めるのは私だと言うことだ。
今更ながら心の引っ掛かっていたことに気づかされ手をあげて小太郎に感謝する。
そのまま年をこしてようやく動けるようになりそれにあわせて謹慎が解かれ吉田を通り過ぎ駿府へと向かった。
「よく戻った信忠よ、さつそくだが越後の堀直寄を堀直清と主である堀忠俊に追放したため直寄が専横と横暴を訴えてきた。詳細を調べ直清と忠俊を召喚する。」
そう言われ一礼をすると急ぎ堀家の本城である越後の福嶋城へ向かった。
雪は深く傷がいえたばかりの体ではきついが小太郎と配下の護衛と共に信濃を進み越後へとようやく到着する。
忠俊は私と同じように家康から養女の妻をめとっているがそれを傘にきて直清が専横しているとの事、そして何より私が気になったのは直清が、浄土宗と日蓮宗の僧侶を10人ほど集めて宗論を行なわせ、敗れた浄土宗の僧侶を全員死罪にしていたといい、家康が三河の一向一揆で一番配慮した事を根本的に打ち砕く行為でありこれだけでも判断の材料になると思った。
藩主忠俊は私が関ヶ原で戦った年頃より若く若くて元気のよい少年で、横にいる直清は控えめに見ても控え目な所がない自信と権威を鼻にかけている男であった。
私は、
「今回の直寄殿の追放はどの様な事でしょうか」
そう聞くと忠俊は直清を見て直清が
「直寄は悪政と藩の公金横領の罪があり本来は重罪ですが一族とかんがみ放逐といたしました。」
そう言われ、
「その証拠をもち直ちに駿府へと堀忠俊殿そして直清殿向かいます。すぐにしたくを。」
そう言いって裏工作をさせずにすぐに出発した。雪がまだあるため移動は大変だったが一月中には到着し江戸から秀忠などの幕閣が来るのを待った。
ようやく月始めに到着すると、忠俊そして直清そして直寄に召集した。
それぞれの意見が上がり家康が忠俊に、
「その方は何か意見はあるか。」
そう聞くと、
「直清はわが忠臣であり言われるようなことありません。」
そうかばうような事を言うと家康の表情が曇る。家康は私を見て、
「信忠、何かつけたす事はないか。」
そう言われ進み出ると、
「直清殿は浄土宗と日蓮宗を論争させ負けた浄土宗の僧侶を殺しました10人を。」
そう言うと秀忠を含めた幕閣の重臣は驚き私に確認し直清にも確認をして事実だとわかると蒼白な顔になり家康から、
「そんな事をして良いと思うとは、秀忠どうする。」
そう言われ忠俊に一字を与えたがさすがに宗教の失点は大きすぎ、
「大御所様の御意のままに」
そう言ってその結果を容認した。正純が、
「幼いとはいえ家臣の監督不届きである。よって堀忠俊は改易四十五万石は没収忠俊及び直清は大名預かりとする。直寄は落ち度はないが一万石減らして転封とする。」
そう言われまさか改易とは思っていなかった当事者の堀家3人は呆然とした顔で終わった。
私は直寄に、
「直寄殿の責はないです。これからは堀家としてしっかりつげばよいでしょう私も微力ながら何かあれば助けましょう。」
そう言うと気持ちを切り替えて礼を言ってきた。
堀家の面々が退出すると家康が、
「堀家の後には忠輝をいれる。秀忠よいかな」
そう言われ秀忠は間違いなく弟である忠輝を嫌っているが、
「大御所に同意いたします。」
そう言いながら挨拶をして江戸へと戻っていった。
家康は、
「信忠、体力を回復させるついでといってはなんだか江戸から駿府へと忠輝を連れてきてくれ。」
そう言われ私も秀忠の列に加わると江戸へと向かっていった。私はそのときに謹慎を申し付けている家茂に謹慎をとくとくと清幽に書状を出して知らせた。
江戸への戻りには秀忠の駕籠の横に馬を進め水口での切りあいの事などを話すと。
「その方は関ヶ原で豊久を討ち取り武官と思ったが内務もできる文官と思うたが訳がわからないがどうなのだ。」
そう言われ、
「関ヶ原に出るまでは兄もおり目立たない日陰かと思っていたら出遅れそこに豊久殿が来たので」
そう言いながら鉄砲を撃つ真似をし、
「当たったのですが腹に豊久殿は意に介さずそのまましんがりを続けられ私は着かず離れず追撃して首をとることができました。」
そう言うと、
「そうであろうしかし運もあるな今回も含めてだが」
そう言われ私は小太郎から柳生が一人助太刀に入ってくれたことを思いだし、
「上様には感謝いたします。今回の柳生の助太刀がなければ死んでいたでしょうから。」
そう言うと少し目を見開き、
「知っておったか、柳生には伝えておく。もし柳生にあったなら便宜をはかってやれ」
そう言われ頷き、
「そう言えば上様の弟はかなり変わっていると言われてますが、鬼子だと」
そう普通なら不敬に当たるのだがよほど苦手か嫌いなのか秀忠は、
「あやつが江戸から居なくなるのはホッとするが大名とは頭が痛い」
そう言って本音を言ってハッとした顔をしたが私は聞かなかった事にして馬を進めた。




