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十字紋  作者: まうりあ
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大阪

この時期は戦いがないのですよねもう少し前の朝鮮の頃から書けばと後悔しています。

九州から船に乗り一路大阪へ向かう船に乗りながら島津への対応を引き伸ばしていくことはかなりもめる状況であり、家康と正信は察してくれるが他の重臣には難しいのを井伊殿に押さえてもらうかと思いながらその性格を思ってこちらからは働きかけず中立をと思いながら堺へ到着し津田への挨拶もそこそこに大阪の西の丸へと向かう。


家康の前に進み出ると正信が同席しており私は一礼すると報告をする事になる。

「報告は上がっているので、立花宗茂殿は私の客将として預かりたいと思います。島津に関しては急ぎ結果を求めれば豊久殿を次々と生み出すことになり新たな火種になりかねません。」

そう言うと家康は、

「宗茂の事は任せる。島津に関しては直政が取り潰しに反対をしておる義弘からと言うことだがな。」

そう言いながら私を見ており私が義弘に井伊に助けを求めさせたことは見透かされているが島津を残すと言うことには同意しているのかそれ以上の追求はなかったが正信が、

「上様は島津をどう扱おうと思っておられますか」

そう静かに核心をついてきており、

「なにも問わないとはいかないだろう、転封か減封が良いかと思うが正信。」

正信は私を見て、

「答えは信忠の顔に出ております。」

そう言われてしまい笑顔をと思いながらひきつった顔に正信の見透かした目つきで見つめており、黙っているしかなかった。


翌日には加増の発表があり豊臣恩顧の福島正則等加増の沙汰があったが西国へと転封となり喜びのあとの複雑な顔で沙汰を受けていっており、本来豊臣政権では同僚であるはずの徳川家からの言葉に正則は不満な顔をしている。

その後は徳川の加増があり、家康本人は四百万石となり上杉を押さえた結城秀康は越前で大幅な加増となり、私は関ヶ原で五千石の加増となったので関係ないと思いながら聞いていると本多正純が、

「松平信忠、三河吉田城三万石の加増とす。以上」

そう言われ、家康の養女であるまことをいただくと言うことと理解して頷くことにした。


翌日は島津の事で正信と直政そして忠勝と話し合いになり直政は取り潰しには反対しており、忠勝も島津には好意的であるが正信は義弘の上洛をしてからの話といい私はそれに同意する。直政が私に、

「信忠、その方は島津まで行ったが義弘殿が上洛しなければ決められないと言うのか、その方は好意的に行動をしていたのではないのか。」

そう言われ正信をチラッと見ながら、

「確かに好意的でありますが責任は問わなければと思います。いくら伏見で三成の足留めで西軍への参加は致し方ないですが鍋島の様な必死の挽回がなければ示しがつきません。」

そう言うと忠勝は頷き、

「信忠の言うこともっとも島津の上洛をもって対応を考えると言うことでいかがかな正信」

そう言うと正信は頷いた。

それを家康に報告をしたあと家康から、

「信忠、城もちとなったが東海道の要所であり宗茂や清幽としっかりおさめるように。それと祝言は年末に執り行うそのつもりで正純と打ち合わせをするように。」

そう言われ退室すると九州から別に戻ってきていた清幽と共に出発して新たなる任地となる吉田城へ向かった。


小太郎が合流すると道々吉田城の状況報告を受けており、池田輝政が城主を務めており城は近代的な城郭への改修半ばでありこの費用はもう少しで完成とはいえ十五万石の池田家と違い三万石の松平家では重く感じるものであった。

石高的には表では三万石だが実質十万石は下らないと言うことであり家康の配慮に感謝しつつ小太郎から、奥三河に信玄が採掘していて今は放置されている津具金山での採掘を提案され大規模で知られないようにと言う指示を与え、風魔から五百人の兵を雇うことを伝えると三百は良いが残りは募集してほしいと言われ了承した。


到着すると石垣は工事を終えていたが鐘楼や天守などは完成しておらず、輝政の嫡男である利隆が出迎えてくれ兵糧の状況や工事の事などを説明され引き継ぎを終わらせようやく大広間におさまった。


清幽、利光そして家茂、客将として宗茂が揃い小太郎が控えている。父の代からの家臣は島津に兄と共に殲滅の憂き目を受けており譜代と言うのはいないため新たな出発となった。


私は、

「関ヶ原から色々ありすぎて私もようやく落ち着いたと思うが、経営は始めてなのでよろしく頼む。資金は津田から貿易の投資を送るように言ったので資金はそれで、後は金山を頼みたいが小太郎そこは任せる。」

そう言うと、

「我らの一族に大久保長安というおのがおります。その者に任せようと思います。」

そう言われ了承すると明日からは宗茂と共に領内の巡察を行い他の三名には財務や兵の再編成を頼んだ。


領内を歩くと南側は陸から入り込んでいるところでも大雨があると水没するところも多くその辺りの治水を宗茂の助言をもらいながら進めていくことにして吉田城へ戻ると小太郎が、

「これに控えるは大久保長安にございます。」

そう紹介されると四十をこえた少し不気味な男がおり、

「お初にお目にかかります。鉱山については南蛮技術にて信玄公の頃の数倍以上取れる見込みです。上様から他の鉱山も任されましたので一緒に経営をしていきますればこれからもよろしくお願いします。」

そう言われすべてを任せたが小太郎に特に注意して長安を監視するように後で伝えた。


その後長安から鉄砲が送られてきてりと気持ち悪いほどの接待攻勢があり、いちを正信には報告したが家康の覚えめでたい長安のこと気にするなと書簡を受け取った。


島津のことと佐竹の事で大阪を行き来しながら長安の手助けを得て吉田の町作りと産業を大いに進行させ、城の方も当初よりは縮小させたものの来年には完成のめどもつく。

秋に入り大阪城では私と水野家の養女から家康の養女となったまこととの祝言が執り行われることとなり、これはある意味淀殿にいやがらせとも思える祝宴になった。

私の妻が花魁であり淀殿が下選な者といやがっているのを徳川一族のためということで祝いの使者を出させるように仕向け成功させると共に京都の伏見城へと家康は移り住み私も伏見と江戸にそれぞれ屋敷をいただいた。


ようやく一息つけるかと思ったが佐竹義宣についての事で転封先をどこにするかという大詰めの話になり、島津と同じ兵力を関ヶ原から温存しておりそれを試金石とすること等が話し合われる。

転封先は何度か話し合われたが決まったことは佐竹を転封させたあとに家康の五男である武田信吉を入れることに決まった。

直政が、

「伊達のおさえとなるように近くがいいと思われるが皆はいかが考えるか。」

そう言うと忠勝が、

「やはり西国それも山陰側にすれば池田などからは監視しやすいと思われる。」

そういう意見が出される。私は、

「北が良いかと思います。陸奥の方のどこかかそれなら伊達や上杉の監視役としても成り立つとおおわれます。」

正信にまとめを頼むと、

「出羽国秋田で概算で二十万石実質はもう少しあるが減封として島津の態度を促したい」

そう言うと家康への報告となった。


家康に正信が報告をすると、

「来年には将軍として宣旨をいただくことになっているが島津が片付かないとな。」

そう言うと秀忠が、

「それは困る。国を安定し徳川の支配を磐石とするためには征夷大将軍が必要である。正信なんとかいたせ」

そう発言させ家康を苦笑させ、

「秀忠の言うこともっともであり島津に関しては早期に決着をつけたいがどうすればいいか信忠よ」

私はようやくその言葉を聞くと一年以上前からの事にホッと力が抜け、

「上様から起請紙を本領安堵をいただければすぐにでもおさめるようにいたします。」

そう言うと正信が、

「そう言うところがすぐに顔に出る。愚か者と見られるぞ信忠」

そう言われ家康からは、

「わざと出している部分は認めるが正信の言う通りだ。対外的にはなにも出さないように意識せよ。」

そう言われ後日起請紙を島津へ届け当主と共に上洛せよと言う指示を受けて退出した。


伏見の屋敷には小太郎の配下の者をいれており私は城でのやり取りと島津に対する決着がつくと言うことでようやく落ち着いた気持ちで眠ることができる。

二日後に家康から書簡をいただくと大阪に泊めてある向かい水軍の船に乗り瀬戸内海を進んでいく。

この海を支配していた村上水軍は毛利の減封と共に消滅しており特に何もなく進み桜島を見ながら内城へと入城する。

義弘、義久そして忠恒が出迎え私は、

「今回上様より起請紙を頂き本領安堵を約束されました。これにて後は当主の上洛により終らせたいと思います。」

そう言いながら内容を島津家家臣の前で伝え当主の上洛になると義弘、義久は、

「ここまでこじれた事であり上洛をといわれましてもと言われましても同意しかねる。」

そう言われ今更ながらに島津の頑固に呆然とするしかなく、

「ここまで上様が譲歩されているのを疑うのでしょうか、井伊殿が尽力をしてどうやら収まるのをそのようなことで壊すのですか。」

そう思わず叫んでしまいしまったと思ったが後の祭りで、島津家家臣からは私の言葉に触発され立ち上がり次々と怒りで声をあらげており、忠恒がおさめると義久に、

「父上徳川がこれだけの譲歩をしていただいたのですからお礼をかね上洛したいと思います。」

そう言うと義久は、

「その申し出は親不孝な考え方でしかない、そのようなことをせずともよい。」

そう言うのを忠恒はこんこんと説き伏せ義久公の名代として向かうことを同意させる。


私はこの事を報告すればまた正信に言われると気持ちが沈み混みながら忠恒と共に出向する。舷側に忠恒と立つと、

「信忠殿帰国からここまで大変お世話になった。父や家臣はどう思っているかは別にしても私は感謝をいたす。」

忠恒は私の手を握り感謝を示してくれ、

「これでようやく徳川幕府を開くことができます。私こそ忠恒殿の気遣い感謝に絶えずありがたいです。」

二人で大阪への航海中は絶えず寝食を共にするほどの親密な関係となり、お互い上にいる偉大なる先輩に悩み相談しながらようやく大阪に到着し伏見へと上がった。


「今回の徳川殿のご配慮誠にありがたく体調不良で上洛できなかった父の名代として感謝いたします。」

そう言うと家康と秀忠は笑顔で対応をしており、表面的な感情の下に隠された怒りを見ながらようやく島津にたいしての仕置きが終わり関ヶ原からの戦いの終わりを宣言し新たな時代への幕開けとなった。


ようやく吉田へと戻ることができ急いで城へはいるとまこが笑顔で娘の日羽と息子の豊寿丸が抱かれて迎えてくれる。

実の子供ではないが家族を持てたことに嬉しく思いながら豊寿丸ごとまこを抱き上げると大騒ぎしながら大広間へはいると清幽や利光そして家茂があきれたような顔で待っており立花が居ないので清幽に聞くと、

「ついこないだ宗茂の正室闇千代様がなくなられたと言うことで家にて冥福を祈っておいでになります。」

そう言われまこをおろすと、

「すぐに宗茂殿のところへいってくる。」

そう言いながら広大すぎる城内の一角にある立花の館へと走って向かうと宗茂の家臣である石松が出迎え宗茂の前につれていってくれる。


宗茂は私を見ると悲しそうな顔で、

「闇千代とは小さい頃から兄弟のように育ち気の知れたなかであったが、立花家を継ぐ身として子供ができず私が側室を迎えなければならず失意のうちに身を引いてしまい、こんなに早くに亡くなるとは私はどうしたらよいのか」

そう言われ、

「闇千代様は直接は存じませんが宗茂殿の事そして立花家の事を願っているのは伝わります。時期を見て私からも立花家再興を上様にお願いしたいと思っております。」

そう伝えると宗茂は礼を言うと後日出仕してきた。


私は家族で夕食を食べられる幸せを顔を緩ませながらまこと美羽そして豊寿丸を見ながら食べ寝るまで騒ぎようやくまこと寝床に入った。

私は初めてのまこととの交わりに興奮してしまい夜がしらみ始めるまでとなり、翌日の評定では船をこぎながら清幽を呆れさせてしまう。

私は目を擦りながら城下に集落ごと移動させ鍛冶等の産業を奨励しようと提案して利光と家茂に調べさせると共に町割りを行うことを伝えた。


夜、まことから、

「清幽様から夜とぎは影響を受けないようにと言われましたのでそのつもりで」

そう笑顔で言われ私は胸に抱きつきながら顔を埋めると、

「殿駄目です。困りますまだ豊寿丸も起きておりますし」

そう笑いながら私の頭をなで、豊寿丸は嬉しそうに私の下に潜り込みまこに負けじと抱きついて嬉しそうに笑う。

豊寿丸に負けて押し出されてしまい板の間をごろごろしていると日羽が立っており、

「父上は徳川家家臣としてのほこりはないのでしょうか、色々な武将を見ていましたが見たことはありません。」

そう言われ、

「日羽も十三だもうすぐ誰かの嫁にいけばわかる。男とはこんな者よ、特に母上は美しいから父はたまらないのだ。これだけは譲れん。」

そう最後に真面目に返すと美羽はあきれた顔で、

「母上なんで父上と結婚したのですか、宗茂殿のように猛勇な武将には見えないですし、これでは私は嫁の貰い手もありませぬ。」

そう言うとまこは美羽を横に座らせ、

「父上は見た目はこのようなお方ですが関ヶ原でも戦功をあげその後も徳川家の中核として働いており、一千石から三万石に加増されているのです。見た目で判断しないように。」

そう日羽を説き伏せてくれてようやく落ち着いた。


その後は宗茂と兵の訓練を行ったりすごし駿府へと戻った。


特に指名されて動く案件はなく大広間での池田や加藤などの諸大名の挨拶に末席で出席しながらやり取りを聞いていると正純が至急の要件があると大広間へ入ってくると、

「米子の横田村詮が殺害されたという知らせがはいりました。」

そう言うと家康の顔色はかわり、

「中村一忠はどうした。なぜ横田が殺されたのか。」

そう聞くと正純は、

「不明ですが殺害後村田の嫡男が立て籠り隣の堀尾に援軍を依頼して無事収容したと連絡がありました。」

そう言うと家康は、

「信忠、すぐに米子へ向かい殺害の犯人を捉え殺せ、そして幼い一忠に経緯を聞き出せ」

そう言われすぐに退出すると小太郎と共に大阪から船に乗り福島正則の広島に上陸すると山陰側にむかい馬を急ぎ走らせる。


広島では福島正則の家臣ともめたが強引に突破すると馬を乗り換え走る。途中で先行していた小太郎が合流すると、

「今回のは一忠の寵愛を受けている家臣が強引に横田を殺害したということでかなり危険な状況でございます。」

そう言われ馬をとめて、

「堀尾と福島に兵を出すように」

そう言いながら簡単に書簡を書いて頼むと米子へ急いで向かった。


元々一忠の父一氏が亡くなりまだ一忠は6才で継ぐとこはできなかったが横田が後見を勤め国をおさえるということで家康が許可したもので、殺害されてと言うことは専横はあったかもしれないが問題なくそれ以上に米子を発展させた手腕いたいする悪意としか思えなかった。


明後日には到着すると一忠と主犯である二人が出迎え広間にはいると一忠に、

「直ちにその二人を今回の首謀者として召し捕ります。」そう言うと有無を言わさず護衛で連れていた利光と家茂に捕まえさせ、他の家臣が騒ぎ一忠も蒼白な顔になったので、

「これ以上騒ぎ立てると家を潰すことにもなる。すぐに落ち着かせるように」

そう言うと一忠は、

「その二人は余の忠臣であり横田の専横を止めてくれたもの、その二人を捕まえるとは私を蔑ろにするのですか。」

そうまだ日羽よりも幼い当主である一忠に、

「確かに専横はあったでしょうが米子を発展させ中村家を安定させていたのも事実です。本来一忠様の側近として国の安定を図らなければならないのに隣国をも巻き込む今回の事許されることではありません。」

そう言うと私は今回のを早期に決着をつけるため切腹とキリシタンのため斬首を行い、堀尾にあとを任せて一忠を連れて伏見から江戸に移動した家康に報告のため大阪経由で東海道を下った。


吉田で一泊しているとどうやら今回の事は家康はかなり怒っており一忠の父一氏がいなければ領地没収としたいところなのだが、時期が時期なのでそうとも言えず態度を保留しているということで話し合いをしているようで、なおかつ今回派兵を頼んだ福島が拒否をしたためそれも問題にしているようだった。

東海道を下りながら一忠は、

「忠臣の二人を打ち首にしたことは納得がいきません、二人の一族を取り立てるこ事も願い出たいと思いますが松平殿はいかがお考えでしょうか。」

そう言われこの少年にはっきり言った方がよいのかと思いながら、

「近習は本来君主を家を助けるのが第一でございます。それをいきなり罪をとがめ同僚を殺害するのは如何でしょう。一忠殿も罪を問われてもおかしくないでしょうがそれがわかっていただけるなら私も申し開きをいたしましょう。」

そう言うと驚いた顔で、

「私は大名であるはずなのに家臣の功罪おも自由にできないのでしょうか。」

そう言われ私は大人の事情をわかってもらうにはまだまだかかると思いつつ、

「今は豊臣から徳川に政権がうつり不安定なのです。戦いが起こるようなことをすれば米子も戦火に焼かれ苦しむことにもなるのです。その責任を感じていただければ幸いです。」

そう言うと悩みながら頷いて品川へとはいる。


「私に江戸に入るなと言われるのですか徳川の怒りはそれほどなのですか松平殿」

そう言われ、

「そう言うことなのです。先に行き申し開きをしてきますのでしばらく品川宿でお待ちを。」

そう言うと家康のもとに急いで向かった。


「信忠、その方の言いたいことはわかった。一忠については不問にするが明日まで止めておく。今回の事迅速に処理できたこと誉めて使わす。」

そう言いながらまだ屋敷が定まっていなかったが土地とその建築費用を与えられ翌日に迎えに行き家康からのおとがめ無しを一忠は聞いてようやく落ち着いた。


私は大久保長安に屋敷の建設のための材料を頼み、小太郎に大工などの手配を頼み家康の将軍を内裏から受けるために準備にこの年は暮れていった。

家康が江戸を出立し上洛をするのにあわせ私も同行することになり東海道を出発し、吉田にも一泊することになり清幽に手配を前々から頼んでおり前日に家康が浜松にはいると私は先行して吉田へと向かった。


吉田では清幽とまこが出迎えており日羽と豊寿丸も出迎えてくれ準備は万端と言うことで緊張して眠れない朝を迎えた。

私は朝から城下と城内を巡回して小太郎に警備の確認をさせ昼過ぎには家康と正純などが到着し養女であるまことが出迎えると、

「元気そうで何よりだ、信忠の事しっかり頼むぞ。」

そう嬉しそうに城内へと入り食事をとりながら、

「信忠、町の整備もなかなかのようだが城は中途半端な気がするが」

そう言われ、

「池田殿の縄張りでは財政的に優先することが多すぎます。なので実用的に主眼をおいて天守も取り止めてしまいましたが不味かったでしょうか。」

そう言うと、

「信忠の言うこと一理あるが東海道の要所でもある吉田の城をもう少し立派なものにすべきだ。長安に言って手配させるので池田の縄張り以上にすることだ。」

そう言われ礼をいうしかなかった。


翌日には私も出発して長安と道中打ち合わせをしながら新田開発なども長安のすすめで行うこととしその費用は後日送ると言うことになって京へと到着した。


後陽成天皇が参議・勧修寺光豊を勅使として伏見へと向かわれ、朝廷より六種八通の宣旨が下り、家康を征夷大将軍、淳和奨学両院別当、右大臣に任命した。征夷大将軍の位を得ると家臣にも次々と官位が与えられ私にも正五位三河守として松平一門の位を授かった。


その後は祝賀を行い諸大名や公家を招待して盛大に祝いようやく徳川幕府としての道が開けた。


ようやく江戸へと戻ると家康から呼び出され出向くと山形56万石の大名である最上義光が同席しており、

「信忠、最上では義康を廃嫡し次男である家親が継ぐことになった。その方義光と連絡を取り合いうまく進めてくれ。」

そう言われ家親は家康のお気に入りであり、大名の存続のために義光が願い出たのだとさっしがついた。

「わかりました。それでは後程最上殿と打ち合わせを行い対応いたします。」


そう言うと別室に移動し義光と話し合いになる。

「信忠殿、今回の事よろしく頼みます。嫡男である義康は私を憎みうまくいっておらず、このままでいけば最上家は混乱してしまう。なので速やかに行いたいので江戸でのことはお願いします。」

そう言われ頷きながら、

「最上家は上杉や伊達そして佐竹を押さえる重要な要であり不安定では困りますし、家親殿が継げば安定いたすと思います。速やかにお願いします。」

そうお互いの方向を確認すると義光は山形へと戻っていった。

一ヶ月のち義光から義康を殺害したので表立っては病死と言うことで家親に継がせることについてお願いすると言われ家康と秀忠のもとへむかい即日了承を得てこの話は終わった。

義康が生きていたとしても取り潰しか家康から死を賜ることは容易に想像できるので悪くない対応であったと自分に言い聞かせつつ江戸の町作りと江戸の藩邸の造営に打ち込んでいった。

それと吉田の清幽から長安から大量の金が届けられたことを手紙で知らされ長安の力に警戒をさらに強めていくしかなく、家康には吉田城の資金を頂いた礼を伝いお金の量についてはあえて話にしなかった。


私の最近はいい意味で言えば大名との調整役であり、揉め事を押さえる役であった。奉行にでもなれれば出世と言われてもいいがそういうわけでもないのかと思いながら細かい揉め事は調べた結果と対応を家康と秀忠に了承を得て対応した。


征伐大将軍を家康から秀忠に無事つながることが決まり秀忠は十六万の諸侯を率いて江戸から上洛を始め、京では大軍が来ると言うことで混乱しそうになり京を治めている板倉と共に家康に会った。

「秀忠は何を考え大軍を率いているのか勝重よ内裏はどうだ。」

そう言われ厳しい顔をしながら、

「公家も騒いでおり京の人々も逃げ出す算段をしており至急手を打っていただきたいのですが」

そう家康に勝重から言われ正純も黙りこんでしまい私は、

「この際なので大坂の風評を使ってはいかがでしょうか」

そう言うと怪訝な顔で家康が促す。

「大坂では徳川の将軍就任について城内から不穏な噂を流しておりそれにのせてこちらも、律儀者の秀忠殿が父を心配して大軍を使わしたと。それとたしか源頼朝が就任の時大軍で上洛したと言う話を聞いたような気がします。それを流せばよろしいかと。」

そう言うと皆頷き私に噂を大阪から流すようにと家康から指示を受けた。


退出すると小太郎に大坂で噂を流すように指示して合わせて城内の反応を見るように頼み秀忠に合流するため急ぎ吉田城へと馬を走らせた。


到着した夕方に秀忠率いる十六万は到着して秀忠を城外で出迎えた。

「信忠ご苦労、しかし吉田は大きいのうだいぶ改修も進んでいるようだしな。」

そう言いながら秀忠は輿を降りてくる。

「上様のお陰を持ちましてなんとか体裁だけは整えることができまして感謝の言葉もありません。」

そう言うと嬉しそうに城内へと上がりまこのしゃくを受け嬉しそうに酒を飲む秀忠がおり珍しく江戸留守居役ではなく一緒に上洛してきた正信はあきれた顔で秀忠を見ていた。


ようやく秀忠も寝静まり正信から呼び出しを受けて居間へと参上する。

「信忠、今回の事対応見事であった。秀忠殿は相変わらず困ったお方だ自分のちからを見せつける為だけに大軍を集め無意識に大坂を挑発する。それと今回の事で秀頼公の母君も自重してくれればよいが。」

そう言われて今回噂を豊臣と徳川の双方がながしたことにより京は落ち着き大坂では、将軍就任した秀忠が攻めてくるのではと噂がたち大坂の人々は家財を荷車に積んで逃げ始め、それを聞いた淀どのは戦う準備もない状態で十六万の攻撃を受ければ大坂城といえども落城するとわかったらしく騒いでいるようだった。私は、

「それで今回の遠征では補給などはどのくらい準備されていますか」

そう言うと正信はあきれた様子で、

「全くしていない」

そう言うと黙りこんだ。私なら補給を確保してこの際大坂を一気に落す算段はするのにと思いながら戦いについては無能な秀忠に大きくため息をついた。

「いずれにしてもこのまま上様が目を光らせねばなるまい、信忠頼むぞ。」

そう言われて退出した。

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