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十字紋  作者: まうりあ
3/7

秀頼公

正月に書き上げた話となります。


明日から仕事ですのでしばらく書くペースはおちます。


今年もよろしくお願いします

翌日毛利に対する処遇は意見が紛糾しており、特に家康自ら怒っており広家の提案も飲むとは思えず井伊も困った顔をしている。

私は広家に自らの思いを手紙にしたためさせそれを家康に渡して情をもって変えさせるようにしているが、輝元の態度に怒りは収まらぬようで、私は午後一の話し合いでいきなり感情的に話始め煮え切らない毛利からの使者の態度に、

「上様もうよろしいではないでしょうか、毛利は徳川に敵対したそれも綜大将の立場でなので改易と言うことで。」

そう言うと毛利からの使者は慌て井伊も慌ててしまい余計なことを申すなと井伊を怒らせてしまうが、私は

「それならなぜ手紙を書いたりしていたのだ広家殿は功がある、しかし毛利には罪しかないそれでよろしいかと。」

そう言うと家康は自分以上に怒っている私を見て苦笑しながら、

「信忠、使者をびっくりさせるな気落ちが収まるまで控えに戻っておれ。」

そう言われ毛利の使者を見ながら控えに戻った。


どうやら家康の怒りもとけて毛利に改めて渡されることとなり忠勝からは

「ご苦労、毛利からは恨まれるな」

そう言われ苦笑するしかなかった。

広家からはお礼の使者が来たので清幽に返礼をさせてこの件は済ませた。


そして次に難解なのを押し付けられる事となり正信から最上義光から岩崎での一揆の詳細の報告書を渡され私は関係者に大阪城へ集まるようにと伝えると伊達政宗についての記録を読みあさり自分なりに考えをまとめ最上に会うことになった。


最上義光は政宗の叔父であり報告をあげてきた人であるが、かなりの癖があり政宗に好意的ではなく今回の上杉との戦いでも味方を助けず領土拡大を狙っていたと言うことで一揆の動機もそんなところだろうと思いながら今度は、一揆の被害者である南部利直から政宗が関与したことについていくつか話をしており状況証拠だけなら黒だが豊臣時代に一揆を起こさせその時に書類を証拠にされたためかなり慎重になり書類上では証拠を残してなかった。


政宗が家康の前に出ると私は促され詰問を開始する。

「伊達殿今回の岩崎での南部領に対する進行について最上から報告書と南部から抗議が来ているが如何であろうか。」

そう聞くとふてぶてしい顔で、

「侵害にございます。我らは上杉と対峙して最上に援軍を送ったりとその地方の上杉の行動を押さえてはいましたがその様なことを言われるとは」

そう言い返され、

「左様でしょうか、確かに大崎の一揆のように書類は動いていませんが伊達殿の家臣で白石宗直がおられましょう」

そう言うと政宗は頷く。

「白石が一揆を支援するため何度か訪れていると言う話が出ており確認済みである。」

そう言われ政宗は、

「誠に白石であればと思いますが誰がそう言っているのでしょうか、一揆の首謀者は全員生きていないとききましたが」

私は頷き、

「首謀者は確かにそうだが一揆の行った人を南部が送り込み聞いたところから出てきたのだが、それでも否定されるか」

そう言うと笑いながら、

「信忠殿は今日始めてあったもの名前をどうやって知るのでしょうか、それに白石は結城秀康の所に使いとして関ヶ原の前日に行かせております。」

そう言われ確認すると確かに白石は上杉と対陣していた結城秀康に使者としてきていたと言われ、

「これで白石が一揆に関与してないことがわかっていただけたとおおいますが、」

そう言われ私は、

「それが白石宗直であればだが、伊達殿が言われたとおり始めてあった者がわかっているかと言えば、結城殿に使者を迎えた使い番を呼んでほしい」

そう言いながら政宗を見たが涼しい顔のまま私を見ており、しばらくしてそのわけがわかった使い番がその後上洛途中に病で倒れ亡くなったという偶然にしては出来すぎの事にあきれながら、

「これでは信忠殿の言っていることわからないですな、いかがでしょうか家康殿」

そう言われ私は眉を潜めるしかなかった。


家康は政宗を見て、

「この件に関して伊達が関与した証拠は出てこなかったが、逆に言えば関与してないと言い切れない政宗よ」

そう言われて政宗は平伏する。

「なので御墨付きは無しと言うこと、加増は今回の戦いで切り取った二万石のみとする。」

そう言われ呆然とした政宗は私を見て加増の礼を言うと下がっていった。


家康からは、

「ぎりぎり及第点だぞ詰めが甘い諸大名と渡り合うのにそれでは無策すぎる。」

そう言われ平伏するしかなかった。

「島津とこれからやりあうことになるのにこれでは困るぞ」

そう正信から言われ、

「交渉がないかもと言うことでしょうか正信殿」

そう言うと家康から、

「九州の加藤などに島津の征伐を命じた。」

そう言われ頷き退出した。


急ぎ義弘へ手紙を送り討伐が開始されると言うことで、小太郎に船で急ぎ九州へ送り届けるように伝える。


数日後に家康に呼び出され急ぎ上がると正信が横に控えており私が座ると、

「島津義弘が生きており奈良から堺へ向かっていると言うこと、その件で正信が聞きたいことがあると」

私は正信に顔を向けると、

「豊久を討ち取り、その家臣を召し抱え、討伐の情報の数日後に義弘が薩摩へと向かうできすぎてはいまいか信忠」

そう言われこないだのは正信が仕掛けた罠かと思っていると、家康が、

「島津の討伐はほんとだ、しかし対応が早すぎだなと正信が聞きたいと。」

そう言われ平伏すると、

「申し訳ありません豊久を討つときに義弘殿を頼むと言われ、私もあの引きで義弘殿に興味が出ました。古兵のあの強さにいかなる処分も受けます。しかし義弘の帰国をお許しください上様」

そう言うと正信は首をふり、

「この者のしたことは上様に対する裏切りと言われても致し方がないこと」

そう正信は家康に向きなおして伝え私も最悪お家断絶かと思っていると、

「しかしながら信忠のしている事これからますます必要になるかと、なので今回は不問にお願いします。」

そう言われ家康は頷き、

「信忠よ今回の事目をつぶるが急ぎおさめよ、そして九州の現状を把握すること。」

そう私に言うと下がるように言われ礼をすると新しく与えられた屋敷へと向かった。


清幽に急ぎ堺に向かい津田に至急会いたいと伝えるように頼み私は準備ができ次第堺へと向かう。

津田は堺の豪商であり一時期勝成が世話になったと言うことで私に紹介をしてくれ先祖伝来など売りはらって借金までして親父に殴られたのも良い思い出であり、そのかいあってかなりの利回りで6年で稼がせてもらった。

そんなことを考えながら到着すると老体だがまだ元気な津田が私を出迎えてくれ、

「信忠様お久しぶりでございます。そして関ヶ原での武功お見事でございますお祝いをさせていただければ幸いです。さあここではなんですしこちらへ」

そう言いながら奥へと通してくれる。


奥では豪商と呼ばれる者が手見上と共に待っており私が諸大名の仕分けに関わっていると言うことを知っており、自分達が肩入れしている大名の動向と刑の軽減そして存続をお願いしてきた。

私は適当に高価と思われる物を貰いながら適当にあしらいようやく夜に解放され津田と二人になった。


「信忠様、気持ちよく受け取られておりましたが聞き届けるので。」

そう言われ笑いながら、

「何も言わずにいてみな置いていったな、私は今九州特に島津の事だけを扱っているので聞きたくても聞けないなので黙っていたのよ」

そう言うとあきれながら、

「商人顔負けですな、よろしければこちらで買い取らせていただきますが不要なものは」

そういいながらしっかりしている津田に頷き、

「さて本題だが九州まで船を準備してほしい公式の事だ、そして人を90人程を九運んでほしい」

そう言うと急ぎ準備をすると約束してくれ私も島津義弘に堺へ来れるように私は奈良へと向かった。


寺へ入り義弘の前に出ると、

「お待たせいたしました国へ戻りましょう準備ができております。」

そう言うと義弘は、

「色々感謝する。島津討伐はどうなったか、」

私は、

「討伐は着々と準備をしております。そして私との関係がばれてしまい私は九州を直接落ち着かせるよう命令を受け船も準備が出来ております。急ぎ皆で出立を。」

そう言いながら私を先導に堺へ向かい、関所も無事通過することができた。


到着した翌日には船の上となり瀬戸内海を西へと進んでいき、義弘から乗船をお願いされた立花宗茂を今更ながらに乗せて進む。


5日ほどで博多に到着し私と清幽は降りたが義弘はそのまま鹿児島へと送りだした。

立花はいつのまにか消えており居城である柳川城へと向かったらしく爪の甘さを認識しながら黒田孝高勢に手勢二百と共に合流し軍監の任に着いた。

出迎えをする黒田孝高が神妙に出迎え、

「この度の役目ご苦労様です。島津の討伐は行われるのでしょうか」

私は丁寧に一礼すると、

「黒田殿今回の功績大きいですぞ、九州をよくまとめ大友や島津を蹴散らしましたな上様からの覚えもめでたいでず。島津に関しては交渉次第だが上様からの命令があればになります。」

そう言うと柳川城の北で鍋島勢と合流すると直茂は私に挨拶もそこそこに息子が西軍についたため挽回するために柳川へと立花を討つために向かった。


私は孝高に、

「鍋島殿も小早川信包の久留米をおとしここも落とさなければ上様に顔向けできん、孝高殿と考えは同じでも息子で苦しめられるな。」

そう言いながら必死な鍋島勢を見て言うと、

「そうですな直茂殿からの書状が早ければこのような苦しみ無かったでしょう。」

そう涼しい顔で見つめており、物見から立花勢が次々と死兵となり鍋島勢へ突入をしていて劣性は免れないが援軍は要らないとこちらへ知らせてきた。


立花勢はかなりの少数であり本来なら磐石であろう鍋島直茂の戦いのはずだが急いで勝ちを拾わなければお家取り潰しになるのは明白であり、次々と横槍を入れられ建て直す暇もないほどで立花勢の見事な采配に驚嘆するしかなかった。


多勢に無勢でありようやく柳川城の包囲は終わったが、ここはあの立花道雪が落とすことができず嘆かせた所なので早々落ちるとは思えず本陣を構えると孝高そして直茂最後に加藤清正が入ってきて席に座る。

私は、

「三将ともお疲れにございます。柳川城はなかなか堅固とお聞きしており島津の動向も気になります。早期に解決したいのですが何かありましょうや」

そう聞くと孝高が、

「信忠殿の言っていることに同意する。直茂殿も落としたがろうがここは早期に解決と言うことでよろしいのでは。」

そう言うと疲れが見えている直茂は頷く。


清正が、

「宗茂とは朝鮮で苦渋をなめたなかにて友人でございます。使者を使わし開城を促したいのですがよろしいでしょうか。」

そう言われ、

「加藤殿のにお任せいたします。松平とはいえ若輩者でしかありません義弘公と同じように古兵は憧れてですから」

そう言うと孝高が、

「信忠殿と言えば息子から我らが戦いを続けている間に水野殿とあの勝山お担ぎ京を練り歩き内裏も巻き込みお騒ぎしたとお聞きしましたが。」

そう言われ耳元が赤くなり

「皆さんが死ぬ思いでいるときに成り行きとはいえ申し訳ありません。」

そう言うと、直茂はやな顔をして清正は、

「勝山とはあの花魁のか、私にもなびかないでふられたが信忠殿がのう。しかも我らが家の存続をかけているときにのう。」

そう言いながら笑って膝を叩いている。

孝高も、

「倅も真面目だけでなく信忠殿くらいの事をしていればわしももう少しやりようがあったのだがな。」

そう言いながら戦いが長引いていればもっと違ったのにとあんに言う。清正は、

「直茂殿、信忠殿が変なへまをしない限りは家康殿も取り潰しにはすまい。のう」

そう言いながら私を見たので、

「直茂殿の事は報告しておきます。島津との事でもし戦いが起きたときはよろしくお願いします。」

そう言うと少しだけ安堵の表情を浮かべた直茂は一礼をして解散となった。


宗茂は清正からの何度となく送られた書簡でようやく開城すれば命は取らないことを確約しようやく出てくると、私が身柄を預かることになりこう改めて宗茂お見ると大身の清正よりも大きく私はそれよりも頭半分ほどなので徳川の中でも大きい方だがそれ以上であった。

宗茂が、

「堺から乗せていただいたがこのような結果となり信忠殿には迷惑をかけた。」

そう言われ手をふり、

「いや、島津の事で頭が一杯で実は消えるまで気がつきませんでした、監督していなかった自分の責任です気にしないでください。」

そう言われても性格なのか気にしており私は、

「それではわが家の客将として来ていただきたい。これから島津との戦いがあれば私だけではどうにもならないことも事実ですから。」

そう言うと喜んで私を助けてくれることになり私はようやく肩の荷がおりた。


そして家康からの指示で島津討伐の準備を行うことになり私は孝高の案内で各城をまわりながら状況の説明を受け臼杵城へと入った。


「孝高殿ありがとうございます。しかし出来すぎの息子を持つと大変ですな、こんなに早く上方の戦いが終わってしまうとは計算違いでしょう。」

そう笑いながら杯に酒をつぐと孝高は、

「いえいえ徳川のお役にたてわしも長政も嬉しく思います。」

そう返杯を受けとり、

「いや、私が長政殿なら戦いを長引かせ九州を父上に取らせあわよくば上方の混乱に売って出る様にとしますがね、それだけの器量があるのを今回ので示されましたからね。あと一ヶ月あれば押さえられたのではと思いますが、いや半月ですかね。」

そう笑いながら酒を飲むと、

「信忠殿も怖いお方だ、わしは隠居の身息子と徳川のためになるならばと大友の小倅が旧領を狙っているときき戦ったまでの事そこまでの大それた事は考えておりませぬ信忠殿」

そう笑いながら礼をすると腹の探り合いはおわり孝高は自領へと戻っていった。


私は九州での主題である島津の事を調べるため臼杵城で状況を調べたが島津は臨戦態勢を取っているためまともには通行できないと言うことで、公式の使者として向かうことになった。


豊後水道沿いに南下をすると日向国の佐土原城に入り豊久が城主であった所なので考え深げに入城した。


城では島津忠直が待っており豊久の弟だが病弱なため思うように政務がとれないでおりその日も体調が悪いのか布団の中での挨拶となる。

私は、

「お初にお目にかかる。徳川家家臣、松平信忠と申す。そなたの兄豊久が最後をめとった。」

そう言うと家臣に背中を支えられている忠直は礼をすると、

「兄の豊久の最後をありがとうございます。そして義弘公を無事に戻していただき感謝に耐えません。しかるに私では政務を取ることがこの体のため困難なのでお預かり願えませんでしょうか。」

そう言われ私は承諾した。


「義久公は戦いを欲しておられるのでしょうか、違うならすぐにでもここにこられ先ずは話し合いを行いたいのですが。」

忠直は顔を伏せ、

「義久公にせよ義弘公にせよ島津を救いたいというのは間違いありませんが不信感がお互いそして徳川にもありなかなか進むことはできないと思います。今でも国を守るために守備を固めているようでなかなかうまくいきません。このままでは」

そう言われ頷くしかなく私はそばに控えている宗茂に何か方法はないか訪ねると。


「島津義弘殿に家康殿へ詫び状を書いていただければよろしいかと、それと義弘殿に信忠殿だけでなく井伊殿にご助力をお願い出るように伝えていただけませんでしょうか、無論それだけでは収まらぬとは思いますがきっかけをと思います。」


そう言われ頷くと忠直と私がそれぞれ書状を出して義弘公に対応をお願いした。

翌日から忠直の代わりに政務を取ることにしたが敵と思っている島津家中では大人しく言うことは聞かずに利光などに裏切り者と罵り一歩間違えばかなり危険な状態であり、忠直は家臣を大広間に集め私の兼光を借りると病弱で起き上がるのも辛いはずなのに家臣の前に立った。


「その方らの態度兄豊久が生きていればどんなに嘆いたことか、これを見よ兄が信忠殿に後をたくして渡した兼光をであり、利光も豊久から我らを何とかしてほしいと率先して信忠殿のもとに入り孝行している。」

ふらつきながらも、

「そちたちは島津を救いたくはないのか兄豊久が義弘公を逃がすために何度となく徳川勢を退けたのを無駄にすると言うのか、そのような者はわが家臣としていらぬ薩摩へ帰るがよい。」


そう言いながら私へふりかえり謝罪をすると家臣は泣きながら私へ同じように謝罪を行い私は目の前で崩れた忠直を受け止め急ぎ布団へ寝かせるように指示をだす。

ようやく落ち着き城代家老である庭坂が改めて謝罪を行いようやく政務に取りかかることとなり、太閤秀吉の時代に行った検地を行ったり後は清正や直茂そして孝高と連絡を取り合い島津討伐の準備を行った。


年末も迫る頃大阪の家康から義弘公の謝罪文が届きそれにより討伐が中止になったと知らせてきた。

私は各将へ中止の連絡を送り、私は忠直を経由して薩摩への入国を義弘公に送る。

返事はなかなか来ず、春先にようやく返事がきたので清幽に私の代わりに庭坂と共に城代を務めるように指示をだし宗茂と利光を連れて島津の本拠地である内城へと向かう。


小太郎からは絶えず見張られておりかなり緊張を強いられいつ襲われてもおかしくないといい、兵は半分の百ほどだが火縄に火をつけっぱなしで進んでいく。

途中義弘からの迎え三百が合流してようやく緊張を解きながらようやく内城へと入ることができた。対外的な当主である義弘とその兄で島津の当主である義久が出迎えてくれ大広間には島津の家臣が揃っている。


私は上様の代役としてなので上座に上がり挨拶を受けると今回の事についての話になる。

先ずは私が、

「今回の戦いについて義弘殿はどういう経緯であれ西軍として参加をした事実があります。それについて当主が大阪に上がられ弁明と報告をしていただきたい。」

そう言うと義弘でなく義久が、

「今回の西軍への参加は弟義弘が独断にて行ったこと、島津全体の総意ではないそこをわかっていただきたい。」

そう言われ、

「その事はわかりましたが対外的には義弘殿が島津の当主でありそのようなことは通らないと思います。ましてや鍋島家と同じように息子のしでかしたことを今更ながらに消すことはできません。そこを考えて発言をお願いされたい。」

そう言うと下座の伊集院が、

「我らは家康ごときに負けたとは思っておらん今からでも十分戦える。戦い薩摩隼人の意地を見せようではないか。」

そう言うと次々と立ち上がり気合をいれていく。

私は冷めた様子で見つめており義弘も義久も複雑な顔をしておりこれをおさめるにはかなり時間がかかると思っているようで特になにも言わず評定は終わってしまった。


義弘に別室に呼ばれ出向くと義久と共に控えており私が座ると早速義弘が話始める。

「現状では良くて領地を取られるだけだが悪ければ取り潰しそして遠島でしょう。この現状を打破するにはどうするかと言うことです兄さん。」

そう言うと義久は頷き、

「しかし見ての通り家臣たちが納得しないであろう、ただでさえ義弘との当主の問題もくすぶっておるし降伏するといっても納得はいかないだろう。徳川はどのぐらいまってくれるのか。」

私は少し考え、

「先ずは井伊殿にご助力をお願い出るようにして私はあくまで中立とさせていただきます。あとはのらりくらりと伸ばすしかないでしょう正直に言えば最悪の結果になると、」

義久が、

「信忠殿はそれでよろしいのでしょうか」

私はため息をはきながら、

「すでに島津に肩入れをしているので中立とさせていただきます。私が上様とお話をしてみた感触では義久公と義弘公については畏敬の念があり従うなら潰しはしないと思われますがやはり島津は危険すぎると言うのが徳川では絶対的な評価であります。」

そう言うと義久は義弘を見て、

「私が中はおさえる、外は義弘に任せる。信忠殿すまないが交渉を延ばすことになり貴公にも負担をかけるが頼む。」

そう言うと話は終わり私は佐土原城へ一度戻り、報告のため大阪へと戻った。

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