第9話 当事者の名の下に
竜族長老会議の場所は、町から半日ほど歩いた山中にあった。
岩を削って作られた円形の広間には天井がない。空が直接見え、四方を切り立った岩壁が囲んでいる。風だけが自由に出入りするその造りは、人間の建築物とは明らかに発想が異なっていた。
ラオトはその入り口で、行く手を阻まれた。
広間の手前、石造りの門のところに立っていたのは銀色の竜――エオだ。たてがみと独特の色の雰囲気で、ラオトは即座に気づいた。
「ラオト殿、この先は竜族の者のみが入れる場所です」
「エオさん」
「検討すると言いましたよね? 検討した結果、前例がないため認められないという結論になりました」
ラオトはくしゃみをした。肩の上の幼竜が小さく鳴く。置いてくる場所がなかった、というのが正確なところだが、とにかく連れてきていた。
「幼竜も入れませんか」
「……幼竜は竜族ですので、入れます」
「じゃあ、幼竜を降ろします」
ラオトは肩から幼竜を取り、エデルに渡した。幼竜がラオトの手にしがみつく。離れたくないらしい。
「行ってこい」
幼竜が大きな目でラオトをじっと見つめた。それからエデルの腕の中でくるりと丸まった。納得したのかどうかはわからない。
「ラオト殿」エオが口を開く。「あなたが入れないのは規則です。感情の問題ではありません」
「わかってます」
「ならば」
「でも、入ります」
エオが一瞬、言葉に詰まった。
「……理由を聞かせてください」
「エデルの誓いの相手は俺です。その誓いの是非を問う場に、当事者が入れないのはおかしい」
「竜族の誓いは竜族の問題です。人間は当事者ではない」
「誓いをかけられた人間が当事者でなければ、一体誰が当事者なんですか」
沈黙。
エオがラオトを見据える。ラオトも目を逸らさなかった。くしゃみが込み上げるが、それでも毅然と立つ。
エオが短く息を吐いた。
「……通ってもいい。ただし、発言は認められません」
「まず入ることが先です」
エオが横に動いた。道が開く。
* * *
広間に入った瞬間、竜気が一気に濃くなった。
「っくしゅ、っくしゅ――」
立っているだけでくしゃみが連発する。懐から薬を取り出して一口飲んだ。苦い。いつもより苦く感じるのは、気のせいではないだろう。
広間には七頭の竜がいた。
どれも巨大だ。ヴェルグ老と同じか、それ以上の大きさの竜もいる。鱗の色は様々で、赤、黒、深緑、銀灰、白、青……そして一頭だけ、見たことのない竜がいた。鱗は金に近い黄色で、目は白濁している。おそらくあれが最上位の長老だろう、とラオトは直感した。
長老たちの視線が、一斉にラオトに突き刺さる。
頭の中に、いくつもの声が重なって落ちてきた。耳ではなく、直接脳内に響く竜語だ。属性が変わってから聞こえるようになったが、七頭分が同時に鳴り響くのは初めての経験だった。
『……聞こえる。全部聞こえる』
『人間が入ってきた』
『エオ、なぜ通した』
『これは前例がない』
金色の目をした最上位の長老が、ラオトを見下ろした。
『人間よ。ここは竜族の議場だ。なぜ来た』
ラオトはくしゃみをした。涙が出た。それを拭い、まっすぐに答える。
「エデルの誓いの当事者として、話を聞きに来ました」
『竜族の誓いに、人間が口を挟む権利はない』
「誓いをかけられた当事者として、話を聞く権利はあるはずです」
広間がざわめいた。それも全て竜語で聞こえる。『生意気だ』『人間風情が』『追い出せ』という罵声が重なる。
ラオトはそれをすべて聞き流しながら、背筋を伸ばして立っていた。
金色の長老が翼を一度だけ動かす。広間が静寂に包まれた。
『……名を聞こう』
「ラオトです。ジェルバ商会の主をしています」
『商人か』
「そうです」
『商人が、なぜ竜族の議場に立っている』
「トカゲを拾ったら、竜だったからです」
また広間がざわめいた。今度は少し性質の違う、驚きと戸惑いのざわめきだった。
* * *
竜の姿のエデルが前に出た。幼竜を肩に乗せたまま、長老たちに向かって深く頭を下げる。
「長老方。アズライト家のエデルです。此度の件、ご心配をおかけしたことをお詫び申し上げます」
『エデル』黒い鱗の長老が威圧的に言った。『お前の行動は竜族の誓いを軽んじている。人間の商人に誓いを使うなど、その重さを理解していない証拠だ』
「軽んじてはいません」
『では何故だ。竜族の誓いは命を救われた時に使うものだ。お前は何をされた』
「怪我をして倒れているところを、三日間看護していただきました」
『三日間の看護が、命を救ったと言えるか』
エデルがほんの少し沈黙し、凛と答えた。
「言えます」
『根拠を述べよ』
「あの場所は水たまりのそばでした。夜に雨が降れば溺れていた可能性があります。前足が折れていたため、自力での移動もできませんでした。ラオトさんが助けなければ、私は死んでいたかもしれません」
広間が静まり返る。
赤い鱗の長老が口を開いた。
『それは推測だ。確実ではない』
「命の危機に確実性を求めるのですか?」
『屁理屈だ』
「事実です」
エオが一歩前に出た。その声は氷のように静かだった。
「長老方。エデルの誓いの根拠については、一定の合理性があります。問題はそこではなく、誓いの結果として生じた状況です」
『どういうことだ』
「誓いを受けた人間が、竜族の問題に深く関与するようになっている。裏山の老竜との交渉、竜語の古文書解読、そして幼竜の養育。これらは誓いの範囲を超えています」
ラオトはエオを見た。エオはラオトを見ず、前を向いたまま話を続けている。
(この人は俺を攻撃しているわけではない。状況を説明しているんだ。でも、その説明が結果として俺とエデルに不利に働いている)
「エオさん」ラオトが割って入った。
エオが振り返る。
「一つ確認していいですか。俺がやったことのうち、竜族に害を与えたものはありましたか」
「……それは」
「裏山の件は村人の依頼です。ヴェルグ老とは話し合いで解決しました。古文書の解読は学者の依頼で、竜族の記録を人間が読めるようにしただけ。害になりましたか? 幼竜だって、誰かの庭に落ちていたものを預かっただけです」
エオが口をつぐむ。
「竜族の秩序を乱したというなら、具体的に何が乱れましたか?」
また静寂が訪れる。金色の長老が翼を動かした。
『人間よ。お前は竜族の秩序というものを理解していない』
「理解していません。だから聞いているんです」
『秩序とは、積み重ねだ。今は害がなくても、人間が竜族の問題に深く入り込むことが常態化すれば、将来的に何が起きるかわからない』
「将来の可能性の話をするなら、俺が竜族に貢献できる可能性もあるはずだ」
『貢献だと?』
「竜語が聞こえます。竜族と人間の間で起きる問題の調停ができます。今回の裏山の件がその例です。竜族の側に立つのではなく、双方の話を聞いて、筋の通った落としどころを探す。それができる人間は少ないはずです」
金色の長老が、ゆっくりと頭を動かした。
『……続けよ』
* * *
ラオトはくしゃみをした。薬がそろそろ限界に近い。でも今は止まれない。
「俺を排除しても、問題は消えません。人間と竜族の摩擦はこれからも続く。その時、竜語がわかって双方の事情を理解している人間がいれば、余計な衝突を減らせる」
『それがお前だと言いたいのか』
「俺以外にいないので、俺がやります」
『傲慢だ』
「でも事実です」
黒い長老が鼻を鳴らす。
『人間が竜族に関わることへの保証はどこにある。今日は誠実でも、明日は違うかもしれない』
「竜族の誓いがあります」
広間が息を呑むような静けさに包まれた。
「エデルの誓いは俺へのものですが、俺も誓います。竜族と人間の問題を、どちらかの利益だけのために動かさない。両方に筋が通る落としどころを探す。それを守れなければ、竜族が俺に制裁を加えることを認めます」
エオが初めて、ラオトを正面から見据えた。
ラオトには、エオが何かを計算しているのがわかった。反論を探しているのではない。この提案の意味を、天秤にかけているのだ。
「エオさん」ラオトが静かに問いかける。「俺が言っていることは、おかしいですか?」
「……おかしくはない」エオの声色が、わずかに揺らいだ。「ただ」
「ただ?」
「前例がない」
「前例がないことと、できないことは違います。さっきも言いましたよね」
エオが黙る。
金色の長老が翼を動かした。
『エオよ。お前はどう思う』
広間の全員の視線がエオに集まる。長い沈黙が続いた。
「……この人間の提案には、一定の合理性があります」
広間がどよめいた。
「ただし、条件が必要です」エオが続ける。「個人の善意に依存した取り決めでは長続きしない。竜族と人間の双方が認める、公式の立場が必要です」
「公式の立場、というのは」
「竜族が認め、人間の国家も認める正式な役職。竜族の問題を専門に扱う人間として登録する。役職名は……」
エオがわずかに間を置いた。
「『竜専門士』、とでも呼びますか」
* * *
その言葉が落ちた瞬間、空気が変わった。
反対の声、疑問の声。だが、一部にはじっと考え込む竜たちもいた。
黒い長老が言った。
『竜専門士。そのような役職は存在しない』
「だから作ります」エオが即答した。
『エオ。お前は誓約の番人だ。秩序を守るための存在が、なぜ人間に肩入れする』
「秩序を守るためです」エオの声はあくまで静かだ。「この人間を排除しても問題は消えない。竜語を理解する人間が野放しになっている方が、秩序にとって危険です。枠に収めた方が、管理できる」
(管理、か)
ラオトは思考を巡らせた。エオの言い方は必ずしも親切ではないが、ラオトが求めていた方向に風が向いているのは確かだ。
「エオさん。竜専門士の役割を、もう少し具体的に」
「竜族と人間の間で生じる問題を専門に扱う。竜語の翻訳、交渉の仲介、竜族関連の依頼の窓口。竜族からの信任と、人間の国家からの認可、両方を必要とします」
「国家からの認可については、俺が交渉します」
「……ベルクという人物を知っていますね。国家査察局が既にあなたに接触している」
(把握されていたか)
「知ってたんですか」
「誓約の番人の仕事は情報収集でもあります」エオが淡々と言う。「ベルクはあなたを国管理下に置こうとした。あなたは断った。だが竜専門士という役職があれば、国管理下とは別の形で、国との関係を作れる可能性がある」
「……あなたは、俺が国管理下に入ることに反対してるんですか」
「竜専門士は双方に対して中立でなければならない。国管理下に入れば、中立性が損なわれますから」
ラオトはエオを見た。エオは正面を向いているが、出会った当初のような拒絶とは違う、何か別の重さを感じる。
(この人は、俺を排除しようとして来た。でも今は、俺をどう位置づけるかを考えてくれている)




