第6話 竜属性の代償
その朝のノックは、エオのものとは違った。
エオの三回が「感情を排した均等」だとすれば、このノックのそれは「存在を主張する四回」だった。間隔が広く、一回一回に重さがある。扉の向こうに立っている者が、自分の来訪を当然のことだと思っている音だった。
(また誰かが来た)
ラオトは薬草を刻む手を止めて、くしゃみをした。エデルが三歩下がった。
「俺が出る」
扉を開けると、そこに立っていたのは四十がらみの男だった。
体格がいい。肩幅が広く、背が高い。紺地に金の縁取りが入った上着を着ていて、胸元に国の紋章が刺繍されている。髪は短く整えられ、顎鬚が几帳面に手入れされていた。目が鋭い。品定めではなく、事実を確認している目だ。
男はラオトを見て、一秒で判断を下したような顔をした。
「ジェルバ商会のラオト殿ですね。国家査察局のベルクと申します」
名刺代わりに証書を差し出した。国の紋章と、ベルクの名前と役職が記されている。
「……国家査察局」
「竜属性の登録について、正式にお話したいことがございまして」
ラオトはくしゃみをした。ベルクが一瞬だけ眉を動かした。
「……中に入ってもよろしいですか」
「どうぞ」
* * *
ベルクは椅子を勧めると、今度は座った。エオと違う点はそこだった。腰を落ち着けて、長い話をするつもりでいる。
エデルが調合台の横に立っていた。人型だ。ベルクはエデルを見て、それからラオトを見た。
「……竜族の方ですね」
「エデルと申します」エデルが静かに頭を下げた。
「ベルクです」ベルクも頷いた。「エデル殿も同席されますか」
「構いませんか?」
「ええ。では、そのまま聞いていてください」
ベルクが証書の入った鞄から、何枚かの書類を取り出した。机の上に並べる。ラオトは向かいに座りながら、書類を眺めた。数字と文字が並んでいる。
「ラオト殿」ベルクが切り出した。「単刀直入にお話します。国はあなたを、竜族との正式な交渉窓口として登録したいと考えています」
「……登録とは?」
「竜属性を持つ人間は、記録上ほぼ存在しません。竜語が聞こえ、竜族と意思疎通ができる人間となると、さらに稀少です。国家として、そういった能力を持つ方を把握し、適切に活用させていただきたい」
ラオトはくしゃみをした。身体がこういう事にあまり思考を受け付けないのか、それとも違うのか。今度は鼻の奥が濃ゆく痒い。
「……活用、というのは?」
「竜族がらみの問題が生じた際、国の代理として交渉に当たっていただく。その対価として、相応の報酬と身分保証をお約束します」
ベルクが書類の一枚を前に押し出した。数字が並んでいる欄に目が行った。
(多い。普通に多い)
でもラオトは書類から目を上げた。自分には荷が重すぎる気がした。
「お断りします」
ベルクが少し間を置いた。驚いた様子はなかった。想定済みの返答、という顔だった。
「理由をお聞きしてもよいですか」
「俺はただの商人です。ポーションを売るのが仕事で、竜族の交渉窓口になるつもりはないです」
「ラオト殿」ベルクが静かに言った。「すでになっています」
「……は?」
「裏山の老竜との交渉。竜語の古文書解読。竜の卵の保護。いずれも竜族がらみの問題を、あなたが解決しています」
(把握されていた。全部)
「それは依頼を受けただけで」
「依頼を受けて解決した。つまり実績があります」ベルクが続けた。「ラオト殿、あなたが望む望まないに関わらず、竜属性の商人という存在は国家の安全保障に関わります」
その言葉が、ラオトの中で何かに触れた。
(安全保障)
今まで考えたことがなかった言葉だった。依頼が来たから受けた。困っている人がいたから動いた。それだけのことだと思っていた。
「……俺が断ったら、どうなりますか」
「強制はしません」ベルクがはっきり言った。「ただ、国としては把握しておく必要がありますので、定期的な報告義務は生じます。竜族がらみの問題が発生した際、国から協力要請が来ることもあります。断ることはできますが、その都度、手続きが必要になります」
「……つまり、自由に動けなくなる」
「制約が生じる、とは言えます」
ラオトはくしゃみをした。ベルクが淡々と続ける。
「国管理下に入っていただければ、逆に動きやすくなる面もあります。国の名前を使えば、竜族との交渉でも人間社会でも、一定の信用が得られます」
「国の名前を使うということは、国の判断に従うということでしょ」
「おおむね、そうなるかと」
「断ります」
ベルクが今度は少し長く沈黙した。
「……理由を、もう少し詳しく聞かせていただけますか」
ラオトは少し考えた。くしゃみが出た。それを鼻で押さえながら答えた。
「俺が動くのは、困っている人がいるからです。国に都合のいい時だけじゃなくて、俺が困ってると思った時に動きたい。それができなくなるなら、国管理下には入れません」
「……国が不都合と判断した案件には関われない、ということを懸念されているわけですね」
「そうです」
ベルクがしばらくラオトを見ていた。何かを測っているような目だった。ベルクの目はエオのものとも違う。エオが情報を収集する目なら、ベルクは相手の交渉余地を読んでいる目だ。
「……ラオト殿は、竜族とどういう関係を望んでいますか」
予想外の質問だった。
「……どういう、とは」
「国管理下に入ることを断るということは、独立した立場を取りたいということですよね。竜族に対しても、国に対しても」
「……まあ」
「それは現実的に、かなり難しい立場です」
「知ってます」
「知った上で、それを選ぶと」
「まだ選んでるわけじゃないです」ラオトが言った。「ただ、あなたの言う管理下には入らないというだけで」
ベルクがわずかに眉を上げた。初めて、少し意外そうな顔をした。
「……では、代替案はお持ちですか」
「今は、ないです」
「では」
「でも、考えます」
沈黙。ベルクが書類を静かにまとめ始めた。帰る準備だ。
「わかりました。本日はそういうことで」
「またですか」
「また来ます」ベルクが立ち上がった。「ラオト殿、一つだけ」
「なんですか」
「国管理下に入ることと、国と協力関係を持つことは、別の話です。後者については、また改めてお話できればと思います」
ラオトはそれには答えなかった。くしゃみが出たからだ。
ベルクが扉に向かいながら、エデルに目を向けた。
「エデル殿」
「はい」
「竜族長老会議の件、国も把握しています」
エデルが少し緊張した。
「……その件については」
「国として干渉するつもりはありません。ただ、把握はしています」
それだけ言って、ベルクは出ていった。
扉が閉まった。
* * *
しばらく、ラオトは机の上の書類の跡を見ていた。ベルクが書類を全部持って行ったので、何も残っていない。でもそこに数字が並んでいたことは覚えている。
(安全保障、か)
今まで考えたことがなかった。困っている人がいたから動いた。依頼が来たから受けた。ただそれだけのことだった。でもその積み重ねが、国の目に「実績」として映っていた。
「ラオトさん」
エデルが静かに口を開いた。
「……なんだ」
「断ってよかったのですか」
「よかったかどうかはわからない」ラオトが言った。「ただ、今日のところは断るしかなかった」
「……竜族長老会議の件も、知っていました。それに国まで動いてる……私の所為で、ラオトさんの立場が」
「エデル」
「はい」
「お前のせいじゃない」
エデルが黙った。
「俺がトカゲを拾ったせいだ。お前のせいじゃない」
「……それは」
「かわいそうだったんで、普通に拾った。その結果がこれだ。誰のせいでもない」
エデルがまた黙った。今度は長かった。
ラオトはくしゃみをした。薬草を刻む手を再開した。
(国から来た。竜族からも来た。次は何が来る……?)
それでもラオトのやることは変わらない。作って、売って、くしゃみして、また考える。
でも今日初めて、ラオトは「考える」を後回しにできないと思った。




