第3話 三人のお客様と、一つの青い卵
エデルが首を傾げた。商会の一階は天井が高い分、多少の余裕がある。またエデルが竜に戻ったりしたら、今度は尻尾が棚の端に当たってしまうだろう。在庫の瓶は早めに移動させておいて正解だった。
ラオトは鼻を押さえながら調合台に向かった。今日の分の「抗竜気過敏症」の薬を調合しなければならない。症状がいつもより重いのは、数日前から至近距離に竜がいる時間が増えたからだろう。竜気の濃度に比例して症状が悪化するというのは、ラオトの長年の経験則だった。
引き出しから乾燥した薬草を取り出してすり潰す。そこへ鉱石のひとかけらを加えると、薬液が青色に変色した。それを手のひらに受けて一口で飲み干す。苦い。やっぱりいつ飲んでも苦い。慣れているはずなのに、飲む前にはどうしても心の準備が必要だった。
(効いてくれ。頼むから、今日は早く効いてくれ……)
激しく扉を叩く音がしたのは、その直後のことだった。
一人目は、近所の農家のおじいさんだった。 扉を開けると、麦わら帽子を胸に抱えて深々と頭を下げてくる。
「ラオト殿、お願いです! 裏山の竜を何とかしてほしいんです!」
「……はい?」
「一週間前から居着いて、牧草地に降りてくるんですよ。羊たちが怯えてしまって……」
(噂を聞いて来たのか。早い。本当に耳が早いな……!)
「あの、俺はただの商人で――」
言いかけたラオトの背後から、エデルがすうっと首を伸ばした。扉の上からぬっと顔を出した巨体に、おじいさんが目を丸くする。
『お役に立てることがあれば、喜んで』
「黙ってろ……って、薬がまだ効いてないのに急に竜に戻るな!」
ラオトのくしゃみが勢いを増した。
『しかし――』
「黙ってろと言っています!」
おじいさんは、エデルと、涙目でくしゃみを連発しているラオトを交互に見つめた。
「ここで……竜と暮らしておいでで?」
「暮らしてないです! 勝手に居着いてるんです!」
『居着いているわけではなく、私は誓いを――』
「お前は黙れ!」
おじいさんはもう一度、深々と頭を下げた。 ラオトはくしゃみをしながらも、結局断れなかった。彼はそういう人間だった。
二人目は、いかにも神経質そうな学者だった。小脇に分厚い本を何冊も抱え、目を輝かせながら扉を叩いた。
「ラオト氏! 竜語がお分かりになると伺いました!」
(来た。こっち系の面倒なのも来た……)
「……少しだけ、聞き取れる程度です」
「少しどころではないはずだ! 竜語を解する人間など、記録上、過去に三例しか存在しないのだから!」
(過去に三例もいたのかよ……)
「はあ、まあ……」
「つきましては、ぜひこちらをご覧いただきたい!」
差し出されたのは、ひどく黄ばんだ羊皮紙だった。奇妙な文字が並んでいるが、不思議なことに読める箇所と読めない箇所が混在している。
「これは……」
「竜語で書かれた古文書です。百年前に竜族の居住地跡から発掘されたものですが、未だに誰一人として解読できていない代物でしてね」
ラオトは羊皮紙を見つめた。途端に、激しくくしゃみが出た。
(……いや、なんとなく、読める気がする)
それは自分でも驚きだった。昨日まで竜語の存在すら知らなかったのに、文字を見た瞬間に意味が脳裏に浮かんでくる。どうやら「竜属性」が付与されたことで、文字まで理解できるようになったらしい。
「……少し待ってください」
ラオトは羊皮紙を受け取って、くしゃみを連発しながら読み始めた。エデルが後ろから音もなく覗き込んでくる。
「これは……竜族の食料記録ですね。およそ三百年前のものです……って、三百年!?」ラオトは思わず声を上げた。
「さ、三百年前とな!?」
「……百年どころか、三百年前のものらしいです」
学者は手帳を取り出すと、猛烈な勢いでメモを取り始めた。
「素晴らしい! これほど完璧に竜語を堪能されるとは!」
「堪能じゃないです。さっき読めるようになったばかりです」
「それがまた素晴らしい!!」
(駄目だ、全然話が通じない)
ラオトはくしゃみをしながら、解読作業を続けた。やっぱり断れなかった。そういう人間だった。
三人目は、若い母親だった。 怯えた様子で赤ちゃんを抱き、もう片方の手には布に包まれた「丸いもの」を持っている。
「ラオトさん……これ、竜の卵だと思うんですけど……」
ラオトは一瞬、思考がフリーズした。
「……どこで、それを?」
「うちの庭に落ちてたんです、昨日の朝。旦那は触るなって言うんですけど、でも、このまま放っておいたら死んでしまうかと思って……」
ラオトは布の隙間を覗き込んだ。 鶏の卵の五倍はあろうかという大きさで、表面は薄く青みがかり、うっすらと発光している。
――ハックシゅん!
(これも凄まじい竜気を出してる……。間違いなく竜の卵だ)
「…………」
(断ろう。さすがにこれだけは断ろう。卵の世話まで引き受けたら本格的に収拾がつかなくなる。俺はただの商人だ。ポーションを売るのが仕事であって、竜のブリーダーじゃない)
「……預かっていただけませんか?」
「…………分かりました」
ラオトは、やっぱりそういう人間だった。
夕方、三件分の怒涛の仕事を終えて、ラオトは机に突っ伏した。
ていたせいで、ラオトのくしゃみが部屋中に響き渡る羽目になった。学者は大喜びで、それなりの謝礼を置いて帰っていった。おかげで今日の収支は黒字だ。
竜の卵は今、調合台の横に鎮座している。エデルがその傍らに座り込み、時折みずからの鱗を卵の表面にそっと触れさせていた。
『孵化まであと十日ほどかと。温度管理が大切ですので、夜間は布を被せて温めてください』
「……お前、卵の世話の仕方なんて知ってるのか」
『一応、同族ですので』
「そうか……」
ラオトはもう一度、机に深く突っ伏した。
(今日だけで三件。噂が広まったのが昨日の夕方だとして、一日経たずにこれだ。明日は一体何件押し寄せてくるんだ?)
鼻の頭が痛い。目がかゆい。腕のじんましんも引く気配がない。抗竜気過敏症の薬を追加で調合しようにも、今日だけで材料を使い切ってしまった。明日、朝一番に仕入れに行かなければならない。
(ポーションの仕事もある。仕入れもある。持ち込まれる依頼もある。その上、卵の世話まで……。なんで俺がこんな目に……)
気配を殺して、エデルが静かに近づいてきた。
『……お疲れですか』
「疲れ果てました」
『申し訳ありません……』
「謝るなら、とりあえず早く人間の姿に戻ってください」
『それが……人間の姿を保つのも意外と体力を消耗してしまうので、一度身体を休めないと、すぐには……』
「そうなのか……?」
エデルは申し訳なさそうにしばらく黙り込んでいたが、やがて調合台の棚を見回し、薬草を一束くわえ取った。
『これは、あなたの症状を和らげる薬草では?』
「そうですけど」
『私が調合しましょうか』
ラオトは顔を上げた。
「竜が薬の調合をするのか?」
『できるかは分かりませんが、やり方を教えていただければ』
(……こいつなりに、気を遣っているのか?)
傲慢とされる竜族に「気遣い」という概念があるのかどうか、ラオトは知らない。だが、金色の瞳で真っ直ぐにこちらを見つめ、不器用な前足でハーブの束を差し出してくる様子は、どう見ても気遣いそのものだった。
「……下手にやって貴重な薬草を台無しにされたら困るので、俺がやります」
『そうですか……』
「ただ――隣で見てるくらいなら、いいです」
『……! はい』
ラオトはのそりと体を起こし、調合台に向かった。ズビズビと鼻を鳴らしながら、薬草を細かく刻み始める。エデルはすぐ隣に座り、黙ってその手元を見つめていた。
翼が近い。おかげで竜気も濃い。当然のようにくしゃみが止まらない。 ――けれど、何故だろうか。いつもより少しだけ、作業がやりやすく感じられた。
「明日は、あのお爺さんが言っていた裏山の方へ一緒に行ってみよう。お前がいれば、もしかしたら何か力になれるかもしれないしな」




