第2話 その病名は、竜気過敏症。
事情を整理するのに、それから半刻(約一時間)を要した。
エデルの話によると、竜族には「命を救われた者への誓い」という古い慣習があるらしい。命の恩人に加護を与え、生涯その安寧を守る。そしてこの誓いは、一度交わされると決して取り消せない。
「いや、別に……そんな大層なものは要らないんだが」
『いえ、もう済んだことなのです』
「????? 済んだって、何が?」
『加護の付与は、あなたが眠っている間に完了しています。あなたの属性に『竜』が加わりました』
(……は?)
ラオトは自分の両手を見つめた。変わったところはない。翼が生えたわけでも、鱗があるわけでもない。体だって商人のままだ。……そして何より、この忌々しい過剰な免疫反応が全く消えていないことに、ラオトは内心、激しく落胆した。
「具体的に、何が変わったんだ」
『竜語が聞こえるようになります。それと……』
エデルは少し言葉を濁した。
『詳しくは追々、ということで』
「追々って何ですか、追々って」
『今はまだ、にわかには信じていただけないと思いますので』
(……なんだそれは)
ラオトは額を押さえた。またくしゃみが出る。
「一つ、聞いていいか」
『なんでしょう』
「お前がここにいると、くしゃみが全然止まらないんだが」
エデルはしばらく沈黙した。
『……もしや、竜に対する過敏な免疫反応をお持ちで?』
「子供の頃からな。竜なんて実在しないと思ってたから、ずっと原因が分からなかったんだ」
また沈黙。今度は、さっきよりも長かった。
『……三日間、それほどの症状が出ながら、私を世話してくださっていたのですか』
「まあな」
『……それは! 本当に、凄まじいことだと思います』
「可哀そうだったから、普通に、な」
『……あなたは、変わった人間ですね』
「よく言われる」
『……本当に、すみません……』
「謝るなら元のトカゲに戻ってくれ」
ラオトは鼻をすすり、薬草棚に向かった。今日の分の調合を終わらせなければならない。部屋に竜がいようが、免疫過剰が酷かろうが、ポーションが売れなければ商売あがったりだ。
廊下からエデルが不思議そうに首を伸ばした。
『お仕事をするのですか?』
「当たり前でしょ」
全身が痒くても、くしゃみが止まらなくても、生活は待ってくれない。その間にも、物置部屋からバサリと翼が壁を圧迫する音が聞こえた。
「狭かったら、そこから出てきていいぞ」
『では、失礼します』
ゾロゾロと廊下に出てきたエデルの頭が、容赦なく天井を小突いた。
「……一階に下りるか。あっちの方が天井が高いから」
『ありがとうございます』
階段がみしみしと悲鳴を上げる。ラオトは涙目でくしゃみをしながら、ひたすら薬草を刻み続けた。
* * *
その日の夕方、ギルドで年次の属性更新手続きがあった。窓口担当のマリカがラオトの登録証を受け取り、魔道具での確認作業を始めた――が、途中でピタリと手が止まった。
「……ラオトさん」
「なんですか」
「……これは?」
差し出された登録証の属性欄を、マリカが震える指で指差している。そこには、本来並ぶはずのない二つの文字が刻まれていた。
【 無 ・ 竜 】
「……ああ」
「『ああ』じゃないですよ! 竜属性の商人なんて、うちのギルドが始まって以来初めてです!前代未聞です!!」
「いや、ちょっと事情がありまして」
「どんな事情ですか一体!」
「竜の過剰な免疫反応持ちなのに、トカゲだと思って拾ったら本物の竜だったんですよ」
マリカは三秒間、完全にフリーズした。
「……もう一度、ゆっくり説明してもらえますか」
ラオトはくしゃみをした。それから説明に三十分かかった。
マリカはラオトの話を一言も遮らず、手帳にびっしりとメモを取りながら聞き入った。途中でインクが切れ、新しい羽根ペンを引っこ抜くほどの熱量だった。説明が終わる頃には、ラオトのくしゃみの間隔はさらに短くなっていた。
「……つまり」
マリカがメモを見直しながら言った。
「竜を拾って、三日間世話をして、気づいたら竜属性が付いていたと」
「そうです」
「その竜は今、商会にいる」
「います」
「ラオトさんの家に」
「俺の家に」
マリカは頭を抱え、ペンを机に置いた。
「……ラオトさん、一つだけ聞いていいですか」
「なんですか」
「なぜ、拾ったんですか」
ラオトは少し考えてから答えた。
「可哀そうだったし、トカゲだと思ってたんで」
「トカゲだとしても、触れた瞬間に症状が出たんですよね?」
「まあ、そうですね」
「それでも拾った」
「まあ」
マリカはしばらくの間、じっとラオトの顔を見つめていた。それから、本日一番の深い、深い溜息をついた。
「……登録証の件は上に報告しなければならないので、少し時間をください」
「わかりました」
「ラオトさん」
「なんですか」
「本当にお体に気をつけてくださいね」
ラオトは盛大にくしゃみをした。
* * *
あれからラオトは、丸三日間寝込んでしまった。
涙と痒みで重くなっていた両眼をうっすらと開けると、見知らぬ一人の美しい女性が、枕元で静かに寝息を立てていた。
(まさか……免疫反応が重症化しすぎて、ついに幻覚を見るようになってしまったのか?)
ラオトはむず痒い顔を両手で覆った。しかし、規則正しい寝息の音は途切れない。さらに彼女の近くには、水差しと、自分が調合したポーション粉の容器が置かれていた。明らかに看病されていた形跡がある。
そういえば、高熱で意識が虚ろだった間、誰かに優しく水を飲ませてもらっていたような記憶が蘇ってきた。だが、この女性は一体誰なのだろう。
ラオトの気配に気づいたのか、彼女がパチリと目を覚ました。
「目が覚めたのですね! 目の腫れが少し引いています。ポーション粉が効いているのですね、流石です!」
「あ、あの……貴女は? 一体どこから……?」
顔が触れそうなほどの至近距離で見つめられ、困惑するラオト。すると女性は、はっとしたように身を引き、申し訳なさそうに微笑んだ。
「このような姿で驚かせてしまい、すみません。竜のエデルです。人型にならないと満足な看病も儘ならないので、勝手ながら変化させていただきました」
「竜って……人型になれるのか?」
「ある程度の訓練が必要ですが、可能です。それに、人の姿であれば魔力粉が放出されることもありませんので、ラオトさんの体も楽になるかと思いまして」
(それなら最初から変化して欲しかった……!)
真っ先にそう突っ込みたくなったが、エデルの献身的な看病のおかげか、驚くほど身体が軽くなっていることに気づく。
「ありがとう、エデル。大分、楽になったよ」
お礼を言うと、エデルはパッと顔を輝かせた。
「念のため、お医者様にもご連絡を入れておきました。――あ、丁度お越しになられたようです」
やってきたのは、異種族の生態に詳しいベテランの医師だった。
医師はラオトを一目見て、それからエデルを一目見ると、深く何度も頷いた。
「なるほど。『竜気過敏症』ですね」
「……そんな名前の病気なんですか?」
「正式名称です。竜から放出される魔力粉が、一部の人間の免疫機構に過剰反応を引き起こす。非常に稀な体質で、記録上では百人に一人以下ですな」
(そんな名前があったのか……)
ラオトは長年、自分のこの厄介な症状に名前などないと思っていた。原因も特定できないまま、ただひたすら独学で薬を作って対処してきたのだ。
「竜気過敏症の根本的な治療法は、ただ一つ。『竜族に近づかないこと』です」
「……はあ」
「しかし」医師はエデルをもう一度見て苦笑した。「この状況では、それは難しそうですな」
『難しいです』エデルが即座に割り込む。
「では、症状を抑えることに集中しましょう。私が処方する薬と、あなたの自家製ポーションを組み合わせれば、多少は楽になるはずです」
医師は処方箋を素早く書きながら、真剣な眼差しを向けた。
「ただし、無理は禁物です。竜気過敏症は放置すると慢性化し、悪化します。症状が重くなったら必ず休むこと。いいですね」
「……わかりました」
エデルが隣で静かに頭を下げた。
『ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません』
「いえいえ、竜族の方が謝ることでは」医師は穏やかに首を振った。
「ただ、この方の症状は相当長く続いていたようです。もう少し早く診断できていれば、楽になれた時間があったかもしれませんね」
完全に治ったわけではない。くしゃみはまだ出るし、肌の赤みも残っている。それでも、立って歩いて調合台に向かえるくらいには回復した。
「……よし」
ラオトは調合台の前に立ち、深く息を吸い込んだ。
(竜気過敏症。そういう名前だったのか。二十年以上生きてきて、やっと敵の正体が分かったな)
不思議と、気持ちはすっきりしていた。名前が分かったからといって症状が治るわけではないし、エデルが店にいる以上、根本的な解決にはならない。それでも、正体のわからない「何か」と戦い続けるより、名前のある敵と戦う方が、ラオトの性には合っていた。
引き出しから薬草を取り出す。医師の処方薬の成分を確認し、自家製ポーションの配合を少しだけ調整してみる。医者の知識と自分のこれまでの経験を組み合わせれば、さらに効果の高い薬ができるかもしれない。
(やることは、これまでと変わらない。作って、売って、くしゃみして、また作るだけだ)
エデルが一階の隅から長い首を伸ばし、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「見るな、集中できない」
「症状は落ち着きましたか?」
「まあまあです」
「よかった」
「よくはないです。まだかゆい」
「……申し訳ありません」
「まだお前が竜の姿だった時の名残が、部屋に残っているからな」
「本当に、申し訳ありません……」
「謝っても治らないので、気にしなくていいです」
ラオトはひとつ大きなくしゃみをしてから、トントンと軽快な音を立てて薬草を刻み始めた。
翌朝。
激しく扉を叩く音で目が覚めた。マリカからの緊急の書状だった。
開くと、そこには殴り書きで一行だけ、こう記されていた。
『ラオトさん、例の「無・竜属性」の件、もう町中に知れ渡ってます!!!』
(早い。本当に耳が早いな、この街の連中は……)
ラオトは盛大にくしゃみをしながら、その手紙をそっと折り畳んだ。




