表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/26

第20話 報告書の影、夜の深淵

極秘報告書:対象案件「ジェルバ商会主ラオト」に関する調査

報告者:国家査察局監察官ベルク


【対象者概要】

ジェルバ商会三代目店主、ラオト。当初の属性は「無」。現在は竜族アズライト家の若竜エデルとの誓約により、後天的に「竜」の属性を保持している。特筆すべきは、対象者が罹患している「竜気過敏症」である。本来、竜の属性付与は身体能力の飛躍的向上を約束するが、対象者に至っては過剰な免疫反応を引き起こし、絶え間ないくしゃみや充血といった機能不全を招いている。一見、戦力外の欠陥個体に見えるが、その実態は国家安全保障を左右する特異点に他ならない。


【身体変質に関する考察】

医官トルダの非公式報告によれば、対象者の組織は長年の発作による破壊と再生を繰り返し、常人を遥かに凌駕する強度へと変質を遂げている。ヴェルグ老の火炎に晒されながら無傷で生還した事実は、この歪な進化の証明である。対象者は自覚なきまま、対竜族における「最強の交渉体」へと成り果てている。


【幼竜「プティ」の脅威と価値】

対象者が孵化させた純白の幼竜、通称プティ。人間を親と認識し、竜族の本能よりも人間の価値観を優先して学習する個体は、過去八百年の歴史において前例を見ない。これは竜族の秩序を根底から揺るがす火種であると同時に、我が国が竜族の生態系に介入し得る唯一の「鍵」となる。


【総括及び提言】

対象者は現在、当局の管理下への編入を拒絶し、あくまで「独立した商人」としての立場を固持している。強引な徴用は竜族側(特に誓約の番人エオ)の激しい反発を招き、最悪の場合、種族間紛争を誘発する恐れがある。よって、現時点では「竜専門士」という中立的な役職を追認し、緩やかな協力関係という名の監視下に置くことが最善の策である。彼という「橋」を介することで、我が国は未開の竜族領地への影響力を、最小のコストで獲得し得る。


* * *


夜の静寂が、ジェルバ商会を深く包み込んでいた。

調合室の奥、微かな寝息を立てるラオトの傍らに、エデルは音もなく座り込む。窓から差し込む月光が、彼女の背中を青白く縁取っていた。


「……眠りの中にまで、私は毒を運ぶというの?」


彼女の指先が、迷うように宙に浮き、それからゆっくりと彼の肌へ降りる。そこには、かつて彼女が独断で授けた「竜」の属性が、目に見えぬ刻印として深く沈み込んでいる。

触れた瞬間、眠るラオトの眉が微かに動いた。眠りの中でさえ、彼はエデルの発する竜気に反応し、その身体を小さく強張らせる。


「……ごめんなさい、ラオトさん」


呟きは夜の闇に溶けるほど低く、答えを求めない言葉だった。エデルの瞳に、黄金の光が静かに宿る。

彼女が彼に与えたものは、安寧を守るための「加護」であったはずだ。だが現実に残ったのは、一生治らぬ竜気過敏症という苦痛だった。それを彼は今日も笑い飛ばし、くしゃみをしながら薬草を刻み続けている。


「貴方は笑う。筋を通すと、そう言って……」


その姿を、エデルは何百日も見てきた。

属性を刻み、人の本質を歪める。それは、かつてアズライト家の一族を家畜のごとく扱い、人間を奴隷へと変えようとした「竜牙」の所業と、何が違うというのか。

夜の静寂は、時として刃よりも鋭く胸を抉る。調合台に突っ伏して眠るラオトの、その不規則なくしゃみを伴う寝息を聞きながら、エデルは自身の掌を見つめた。


「この力に、救いなどない。あるのは、侵食する呪いのみ」


黄金に輝くはずのその手が、月光の下ではどす黒い影を纏っているように見える。

八百年前、アズライトの一族が犯した罪、あるいは受けた罰。「加護」とは名ばかりの、人間を竜の毒に染める「汚染」。彼女が彼に授けたものは、本当に救いだったのか。


「エオ殿の言う通り、私は……」


眠るラオトの背、服越しに触れるその肌は、普通の人間よりも遥かに熱く、そして硬い。竜気に晒され、壊され、その度に作り替えられてきた、歪な進化の痕跡。

彼は「商人だから」と笑う。だが、その笑顔の裏で、彼の身体から「人間」としての純粋さが失われていくことを、誰よりもエデルが知っていた。


「奴らに、この体は渡さない。二度と、道具になどさせない」


竜牙という牙が、彼らの平穏を狙っている。それはかつて一族を使い潰した、古き悪意の再来に他ならない。

エデルの胸中で、祈りにも似た献身が、次第に鋭利な殺意へと形を変えていく。

彼を守るためなら、私はこの魂を何度でも汚そう。たとえ彼に忌み嫌われることになっても、その背にある「楔」を、私が引き受けよう。

闇の中で開かれた彼女の瞳は、もはや慈愛のそれではなく、獲物を屠る瞬間の、猛々しき古の竜そのものであった。指先が、属性の源泉をなぞるようにゆっくりと動く。愛おしさと自己嫌悪が、どろりとした毒となって胸の底で混ざり合っていく。


「私は……竜牙と同じように、貴方を私の都合で変えてしまった。己の寂しさを埋めるために、貴方の『人』としての筋を、汚した」


八百年前、一族の少女が道具として使い潰された時、竜族と人間は互いに深い傷を負った。その悲劇を誰よりも憎んでいたはずの自分が、いま、目の前の男の身体に同じ楔を打ち込んでいる。


「許して、ラオトさん。この罪深い私を……」


これは愛ではない。エゴという名の、最も卑劣な呪いだ。その自覚が、彼女の献身を静かに研ぎ澄ませていく。


「この罪を清算するには、奴らを——竜牙を根絶やしにするしかない。貴方をこんな身体に変えてしまった私の身勝手を許すために、私の過去を、奴らの血ですべて塗り潰す」


金色の瞳が、夜の闇よりも深く沈んでいく。「誓約の番人」エオが危惧した通り、アズライト家の属性付与は、時に破滅の火種となる。

だがエデルはもう止まらない。ラオトを愛すれば愛するほど、その愛は竜牙への漆黒の憎悪へと変換されていく。ひとつの感情が、もうひとつの感情を燃料として燃え続ける。そういう構造に、彼女はとうに囚われていた。


「……おやすみなさい、私の大切な人。貴方を守る盾となるためなら、私は何度でも、この手を血と毒に染めてみせる」


ラオトが寝返りを打ち、苦しげに一度だけくしゃみをした。エデルは三歩下がり、その姿を静かに見つめた。月光の中で穏やかに眠る男の顔は、何も知らない。


「……いつか、私が貴方を壊してしまうかもしれない」


その無防備さが、彼女の胸に甘く、深く、刺さった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ