第18話 雨上がりの、小さな共同作業
ベルクが来たのは、雨の朝だった。ノックは四回。間隔が広く、一回一回に重さがある。変わらない。
ラオトが扉を開けると、ベルクは雨用の羽織り物を脱いでいるところだった。紺地の上着が濡れていなかったのは、几帳面さの表れか、あるいはそれだけ準備が良い人間だということか。
「ラオト殿、お久しぶりです」
「どうぞ」
入ってきたベルクは、室内をひと目見渡した。調合台、棚の上の登録証、帳簿、それからプティ。プティが大きな金色の目で、じっとベルクを見ていた。
「……幼竜ですね」
「プティです! はじめまして!」プティが言った。はっきりした人語だった。
「……はじめまして」ベルクが少し間を置いて答えた。慣れない様子だ。
「おにいちゃんは、だれ?」
「ベルクと申します。竜専門士殿と、少しお話があって来ました」
「パパのおしごとのひと?」
「……そうです」
その答えにプティが一秒考えた。「じゃあ、じゃましないようにする!」
言うが早いか、プティはエデルの横に移動して、薬草の名前帳を広げた。おとなしくする気らしい。ベルクがラオトを見た。ラオトはくしゃみをした。
「座ってください」
エデルがお茶を出した。ベルクが受け取って、少し間を置いてから口を開いた。
「前回、国管理下には入らないとおっしゃっていましたね」
「そうです」
「今も同じ考えですか」
「同じです」
ベルクが頷いた。想定の範囲、という顔だった。
「では、今日は別の話をさせてください」
「代替案を持ってきたということですか」
「そうです」ベルクが鞄から書類を出した。今回は二枚だけ。前回より少なかった。
「前回、国管理下に入ることと、国と協力関係を持つことは別だ、と言いました。今日はその後者についてです」
「聞かせてください」
「竜専門士という役職が、竜族から認可を受けたことは確認しています。国としても、この役職を正式に認定したい。ただし――」
「ただし?」
「認定する条件として、一点だけ確認させてください。竜専門士が扱う案件について、国家安全保障に関わる内容が生じた場合、国への報告義務を設ける。それだけです」
ラオトは少し考えた。
「報告義務の範囲を、具体的に言えますか」
「竜族と人間の間で、武力衝突につながる恐れのある案件が生じた場合。あるいは、複数の地域にまたがる大規模な問題が生じた場合」
「それ以外の、日常的な依頼については報告不要ですか?」
「不要です」
「例えばですが……俺が報告を拒否した場合は?」
「強制はしません。ただ、その場合は国として独自に動くことになります」
ラオトはベルクを見た。ベルクが淡々と続ける。
「竜専門士の判断に任せた方が、国が動くより良い結果になる。前回の裏山の件が、その証拠です。国は竜族との直接交渉手段を持っていません。だからこそ、あなたに協力を求めている」
(国が動くより竜専門士が動いた方が良い結果になる、という認識は持っている。そこは正直だ)
「一つ確認させてください」ラオトが言った。「国が俺の動きに干渉する権限はありますか」
「ありません」ベルクがはっきり言った。「竜専門士は独立した役職です。国が指示を出すことはできない。報告を受けた上で、国として別途動くかどうかを判断する。それだけです」
「俺が動いた案件に、国が後から介入することは?」
「法的には可能です。ただ」ベルクが少し間を置いた。「実際問題として、竜語が分かる国の人間はいません。介入しても機能しない」
(正直だ。自分たちの限界を認めている)
「報告のタイミングは?」
「案件解決後、三日以内。様式は簡単な報告書で構いません。事案の概要、当事者、解決内容の三点です」
ラオトはペンを走らせた。要点を書き留めていく。ベルクが黙って待った。
「エデル」ラオトが横を向いた。「竜族側から見て、この条件に問題はあるか」
エデルが薬草の名前帳から顔を上げた。プティも一緒に顔を上げる。
「……報告の内容に、竜族の個人情報が含まれる場合は問題になります」エデルが静かに言った。「竜族の名前や居住地が国の記録に残ることを、好まない竜族は多いです。竜族個人を特定する情報の記載は不要です。種族と、おおまかな関与内容だけで構わないかと」
「それは竜族側と確認が取れていますか」
「……取れていません」ベルクが少し間を置いた。「エオ殿と調整が必要ですね」
(ベルクがエオの名前を知っている。それは想定の範囲だが、調整が必要と自分から言ったのは意外だった)
「エオさんとの調整は、俺が間に入ります」
「そうしてください」ベルクが書類にメモを書き足した。「では今日のところは、この条件を持ち帰って検討してもらえますか。回答期限は一週間後で構いません」
「わかりました」
ベルクが立ち上がった。帰る間際、「ラオト殿……一つだけ聞かせてください」ベルクが少し間を置いた。
「あなたはなぜ、国管理下を断って独立を選んだんですか。前回聞いた理由は分かります。でも本当のところを」
ラオトはしばらく考えた。
「竜族と人間の問題は、どちらかの側に立っては解決できないことが多い。国の側に立つと、竜族は信用しない。竜族の側に立つと、人間は信用しない。両方に信用してもらうには、どちらの管理下にも入らないことが条件だと思っています」
「それを保てると思いますか」
「保てるかどうかはわかりません。でも、保とうとすることはできます」
ベルクがしばらくラオトを見た。測っているような目だった。
「……竜専門士という役職が長続きするかどうかは、あなた個人の倫理観にかかっている。それは組織としては不安定です」
「知っています」
「知った上で、それを選ぶと」
「選んでいます」
ベルクが短く息を吐いた。苦笑いに近かった。初めて見る表情だった。
「……国にとっては扱いにくい相手ですね」
「そうだと思います」
「ただ」ベルクが続けた。「扱いにくい相手の方が、信用できることもある」
それだけ言って、ベルクは扉に向かった。雨合羽を手に取って、もう一度だけこちらを見た。
「プティ殿」
プティが顔を上げた。
「竜専門士殿のお仕事を、邪魔しないようにしてくれているそうで。ありがとうございます」
その言葉にプティがぱっと笑った。
「またくる?」
「来ます」
「じゃあ、またね!」
二人は笑顔のまま、扉が閉まった。
* * *
しばらく、ラオトは書き留めたメモを見ていた。
報告義務、案件解決後三日以内、武力衝突案件、大規模案件、竜族個人情報の除外、エオとの調整必要。
エデルが近づいてきた。
「……どう思いましたか」
「前回より、ずっと現実的な提案です」ラオトが言った。「管理下ではなく、協力関係。報告義務だけで、指示権限なし」
「受けますか」
「条件を詰めてから考えます。エオさんに話を通す必要がある」
エデルが頷いた。「エオさんは……認めると思いますか」
「竜専門士が国に認定されることは、エオさんにとっても悪くないはずです。竜族側の公式な窓口として機能するということだから」
「でも、国への報告義務は」
「そこはエデルが指摘してくれたことが鍵になる。竜族個人情報の除外が確約されれば、エオさんも反対しにくい」
プティが名前帳を閉じた。おとなしくする宣言は守ったらしい。
「パパ、おはなしおわった?」
「終わりました」
「じゃあ、おやつ!」
「……エデル、おやつあったか?」
「……あります。干した果物が。それなら粉と卵も使って、軽くフワフワの焼き菓子にしましょう」
「やった! たべる! ママ、とろとろあまいのかける?」
「ええ。プティも焼くの手伝ってくれますか?」
「する! おてつだい、する!」
プティが台所の方へ駆けていった。エデルが後を追う。
ラオトはメモをもう一度見た。くしゃみが出た。
(国に認定されることで信用が増す。竜族側の公式窓口として機能する。竜牙への牽制にもなる)
ベルクの提案は、思ったより筋が通っていた。前回は全部断った。でも今回は、違う。
帳簿を開いて書いた。
『ベルク・国家査察局・竜専門士認定交渉・エオとの調整後に回答』
その間にもプティの笑い声が台所から聞こえた。
エデルの「こぼさないでください」という声も聞こえる。
やることが増えた。でも今日は、国との距離が少し近づいた。




