第16話 普通ではない、僕ら
ラオトが調合台で来週分のポーションを作っていると、外が急に騒がしくなった。エデルの声だった。
「プティ、待って、待ちなさい、そっちは――」
上から、ドンッ、という音。ラオトは手を止めて窓の外を見た。
竜化したプティが、商会の屋根の上にいた。小さい翼と両手を広げている。
『パパ! すごくたかいところ!』
「……どうやって上がった」
『とんだ!』
ラオトはエデルを見た。エデルが頭を抱えていた。珍しい姿だった。
「……飛びました」エデルが静かに言った。「私が目を離した隙に」
「飛べるようになったのか」
「なったのか、というか……その」エデルが言葉を探した。
「竜族の子供が飛べるようになる時期は、まだもう少し後のはずなんです。それに通常は親竜が教え、段階を踏んでからのはずで……」
「プティは誰にも教わっていないのに飛んだのか?」
「ええ」
屋根の上のプティが、また両手を広げた。今度は本当に飛ぼうとしている。
だが、今度は人化している。翼が無いこのままでは落ちるだけだ。
「プティ、降りてこい! このままじゃ――」
「とぶ!」
「降りてこいと言っています!」
プティがラオトを見た。一秒考えた。それから素直に端まで歩いてきて、ラオトの方へ飛び降りた。
ラオトが受け止めた。くしゃみが出た。プティがびくっとした。
「高いところは、一人で行くな」
「……うん」
「わかったか!」
「……パパがこわい顔してる」
「怖い顔もするんです!」
プティがラオトの胸に顔を埋めた。怒られたのがわかっているのか、いないのか。小さな声で「ごめんなさいぃ……」とポツリと答えると、しばらくそのままでいた。
エデルが近づいてきた。声が、いつもより少し低い。
「ラオトさん」
「なんですか」
「……これは、普通ではないです」
「どういうことだ……?」
* * *
その夜、エデルがトルダ老に連絡を入れた。
翌朝、トルダ老が来た。例の革の鞄をぶら下げて、目だけが若く鋭い老医者だ。プティを見て、少し眉を上げた。
「竜の姿で……飛んだのですか」
「はい」
「一人でこの家の屋根まで?」
「はい」
トルダ老がしゃがんで、プティと目線を合わせた。プティは警戒せずにトルダ老を見ていた。
「プティちゃん、飛ぶのは楽しかったですか?」
「たのしかった!」
「どうして飛べると思ったんですか?」
プティが、んー? と少し考えて答えた。
「……とべそうだったから」
「ママに教わりましたか?」
プティは軽く頭を横に振った。
トルダ老が立ち上がって、ラオトとエデルを見た。
「予想していたことではあります」トルダ老が静かに言った。「ただ、これほど早いとは」
「どういうことですか」ラオトが聞いた。
「この子は、竜属性を持つ人間のそばで孵化し、育っています。竜属性は本来、竜族から人間へ一方向に流れるものですが、ラオト殿の場合は長年の竜気過敏症で身体が変質している。その竜気がプティに影響している可能性があります」
「影響、というのは?」
「竜族の成長は段階を踏みます。翼の筋肉が育ち、重心の取り方を学び、親竜に教わって初めて飛べる。それが竜族の常識です」トルダ老が続けた。「しかしこの子は、その段階を……飛ばしています」
エデルが静かに口を開いた。
「飛び方を、誰にも教わっていないのに」
「体が知っていた、ということです。竜属性の人間から吸収した竜気が、本来の成長速度を超えて働いている。私の見立てでは、これはまだ始まりに過ぎません」
「まだ始まり」
「飛行だけではないかもしれません」トルダ老が少し間を置いた。「竜族としての本能よりも、育てた者から学んだものが先に出てくる。そういう竜に育つ可能性があります」
ラオトはプティを見た。プティはトルダ老の革の鞄が気になるらしく、じっと見ては両手を組んで指をそわそわ動かしている。
「それは……問題になりますか」
「竜族の中では、前例がありません」トルダ老が答えた。「前例のないものを、竜族がどう判断するかは、私にはわかりません」
その言葉が、静かに部屋に落ちた。
* * *
トルダ老が帰った後、ラオトは調合台に向かった。くしゃみをしながら薬草を刻む。プティが足元に来て、ラオトの足にしがみついた。顔を埋めて動かない。
「……パパ」
「なんだ?」
「プティ、へん?」
ラオトは手を止めた。しゃがんで、プティと目線を合わせた。
「なんでそう思う?」
「……おじいちゃんせんせい、とぶのは、はやいっていってた」
「分かっていたのか?」
「うん」
ラオトは少し考えた。
「変ではないよ」
「でも、みんなとちがう?」
「パパも、みんなと違う」
プティが首を傾げた。
「パパも?」
「俺は竜気で鼻がムズムズするけれど、こうして竜に関わる仕事をしている。でも、みんなと違う」
「……それはへん?」
「変だと言う人もいる。でもパパは、困っている人がいたら助けたいから動いている。それは変じゃないと思っている」
プティがしばらくラオトを見ていた。大きな金色の目が、じっと考えている。
「……プティも、こまってるひとたすけたい」
「そうか」
「パパがしてるから」
ラオトはくしゃみをした。今度はプティもびくっとしなかった。
「それが本当にやりたいと思うなら、やればいい」
「うん!」
プティが嬉しそうに笑った。先程とは違い、嬉しさを隠さない様子でラオトの足にしがみついている。
エデルが調合台の横で、黙って見ていた。何か言おうとして、やめた。それからまた薬草の名前の書き写しに戻る。
でも、その耳は少し赤かった。




