第14話 食卓の上の小さな幸福
「プティ、待てっ、待ちなさーい!」
早朝。鉱石の入った瓶をいつの間にか抱えていたプティを発見したラオトは、血相を変えて追いかけていた。眠気も吹き飛ぶほどの勢いは、その足音からも感じられた。
人型でも意外と素早いプティは、ラオトの足の間を潜り抜けたり、テーブルの下に滑り込んだりと、ちょこまかと逃げ回る。捕まえようとするたびに方向を変えるので、ラオトは一向に追いつけなかった。
朝から賑やかなその光景を、食事の準備をしていたエデルが口元に手を当てて笑っている。当のラオトには、笑っている余裕など皆無だった。
「エデル、笑ってる暇があったら捕まえてくれ……頼む! これ、割られると困るんだ!」
エデルが両手を腰に当て、声を張り上げる。
「プティ、いい加減に……止まりなさい」
静かだが、はっきりとした一喝だった。驚いたプティがぴたりと止まる。その反動で、瓶がするりと宙を舞った。
ラオトが咄嗟に手を伸ばして掴み取る。割れなかった。
ほっとしたのも束の間、振り返るとプティが大きな金色の瞳を潤ませてこちらを見ていた。今にも零れ落ちそうな涙だった。
「パパぁ……ごめんなさいぃ」
これ以上怒るわけにもいかず、ラオトはしゃがんでプティの目線に合わせた。
「瓶は割れたら危ないから、他のもので遊びなさい」
丸いプティの頬を両手で包み、一つため息をついてから頭を撫でる。
「わかった!パパだいすきっ!」
涙の跡もそのままに笑顔になったプティが、ラオトにぎゅっとしがみつく。ラオトはくしゃみが出そうになり、プティに当たらないよう腕で抑えた。
「ラオトさん、プティに甘々ですね」
エデルが笑いを堪えながら、二人を微笑ましく見つめている。
「うるさいです」
エデルの視線にため息をつきながら、ラオトはプティの背中をぽんぽんと叩いた。
竜族の成長は思ったより早い。卵から孵ってひと月。よたよた歩きだった幼竜は、今では人型にも姿を変えられるようになり、すっかり子供らしくなった。先ほど怒られて涙目になっていたプティはと言うと、椅子から浮いた足をバタつかせながら、朝食の大きな丸いパンに齧り付いている。小さな体で大人一人分ほどの量をぺろりと平らげる姿には、やはり将来の体格を想像させられた。
「ママ、ぱんおかわり~!」
卵から孵って一月足らずとは思えない旺盛な食欲だ。プティは空になった皿を掲げてエデルを見上げる。
「え? もう食べたの? パンだけじゃなくてスープも飲みなさい」
朝食の準備を整えたエデルは、驚き半分、呆れ半分といった様子で苦笑した。栄養の偏りを心配して諭すその姿は、端から見ればどこにでもある家庭の母親そのものだった。
「えー! ぱんおいしいのに……」
頬にパン屑をつけたまま、プティは不満げに小さな唇を尖らせた。純白の髪が揺れ、金色の瞳が潤んで見えるのは、先ほど叱られた名残だろうか。
「プティ、俺のパンをあげるから、先にスープを飲みなさい」
「うー。わかった……すーぷのむ」
困ったような顔をしていると、エデルから「またラオトさんは〜」と揶揄される。だが、自分を「パパ」と慕うこの小さな存在を前にすると、どうしても甘くなってしまう。
パンという見返りを得たプティは、渋々といった様子でスプーンを握り直した。
すっかり朝の光景に溶け込んでしまった自分に苦笑しながら、ラオトはスープの飲み方がまだおぼつかないプティの口元を軽く吹いてあげた。
その時、三回ノックの音が響き、ドアからエオが姿を覗かせた。
「皆さん、お早うございます。早朝からすみません」
「わーい! エオのおにいちゃんだ!! おはよー!」
スープを食べきったプティは、パンを頬張りながら屈託のない笑みをエオに向けて手を振る。
「……幼竜の成長は早いですね。もうこんなに成長しているとは」
エオが静かに言った。驚いているというより、観察しているような口調だった。プティはエオの反応を待っていたらしく、返事がないと判断したのか、今度は空になった皿をエオに向けて掲げる。
「エオのおにいちゃんも、ぱんたべる?」
そう言って、齧りかけのパンを差し出した。
「……私は結構です」
「そう〜? あさごはんたべたんだ! はやいねー!」
「プティ、エオさんは仕事の話があって来たんだ。静かにしてろよ」
「うん! しずかにする!」
プティがあっさり引き、またパンに齧りついた。全然静かにしていないが、パンに集中し始めたのでひとまずよしとする。エオが椅子に座り、エデルが出したお茶を受け取って、少し間を置いてから口を開いた。
「ゼンの動きを、昨夜確認しました」
「市場の出店以外に?」
「東の倉庫街に、定期的に立ち寄っている形跡があります。接触している人間が複数いる可能性がある」
ラオトは帳簿を開き、昨日書いた欄の下に情報を書き足した。
「今日、市場に行くつもりでした。臨時の出店がまだあるか確認して、あれば話を聞いてみようと思っています」
「……一人で対応しないでください、と昨日言いましたが」
「エデルと一緒に行きます。それと、プティも」
エオがプティを見た。プティがエオを見た。口にパンが入ったまま笑う。
「……プティを連れていくのですか」
「置いていく場所がないので」
「それは理由になりませんが」エオが短く息を吐く。「……わかりました。ただ、ゼンが出てきた場合、プティをあまり前に出さないでください。何をしてくるか分からない」
「わかっています」
プティがスプーンを置いた。スープも飲み終わったらしい。エデルが「えらい」と頭を撫でると、プティが得意そうな顔をした。
「パパ、もういく?」
「もうちょっとしたらな」
「うん! プティも、おかいももいく!」
「お買い物、な」
エオがラオトを見た。ラオトがくしゃみをすると、エオは三歩下がった。
「……行ってらっしゃい」
それだけ言って、エオは立ち上がった。「報告はまた夕方に」と告げ、扉へ向かいながらもう一度プティを見た。プティがにこにこしながら手を振ると、エオは少し間を置いて、ほんのわずかだけ頷いた。扉が閉まる。
「パパ、エオのおにいちゃん、むずかしいかおしてるねー」
「そういう人なんだ」
「でも、やさしいとおもうよ?」
ラオトは少し考えた。
「……どうしてそう思ったんだ?」
「なんかねー。うーん……そうだとおもう。……ぱぱ、はやくいこう!」
パンを食べきったプティが椅子から飛び降り、靴を履き始めた。市場に行く気満々らしい。エデルが靴紐を結んであげると、お出かけ決定に小さな白いワンピースと一緒に跳ねて嬉しそうに笑っていた。
(やかましくなったな、朝が)
嫌ではなかった。それは確かだった。
ラオトは帳簿を閉じて、薬を懐に入れる。またくしゃみが出た。プティが「いくよ!」と扉を指差した。




