第13話 絆という名の弱点
ラオトが調合台に向かって今日の抗竜気過敏症薬を作っていると、背後で光が漏れた。
振り返った。
プティがいた場所に、光の塊がある。小さい。猫くらいの大きさの光が、ゆっくりと形を変えていく。
「……エデル!」
「見ています」エデルの声が、いつもより高かった。
「見ています、ラオトさん」
光が収まり
そこにいたのは、小さな女の子だった。
三歳か四歳くらいに見える。純白の髪が肩まで広がっていて、目がエデルと同じ金色だった。竜の時と同じ白い鱗が、首筋と手の甲にだけ薄く残っている。大きな目が、ぱちりとラオトを見た。
ラオトはくしゃみをした。
人型になると竜気は幼竜の時より薄いが、確実に出ている。幼竜の時は出てしまうらしい。
プティが、よたよたとラオトの方へ歩いてきた。歩き方がまだおぼつかない。二歩目で少しよろけて、でも転ばずに踏みとどまった。それからラオトの足にしがみついた。
顔を上げた。
「パパ」
はっきりした声だった。
ラオトは固まった。
「……パパ」
人語と竜語が混ざった声だった。でも意味はわかる。竜語が聞こえるようになってから、こういう言葉は特に鮮明に届く。
「…………」
「パパ!」
もう一度。今度は人語で言った。少し強調したのは、伝わっていないと思ったからだろう。ラオトがプティの頭を撫でると、プティは嬉しそうにラオトの足をぎゅっと掴み、満面の笑みでこちらを見上げた。 ラオトが顔を上げると、そこには口元を押さえているエデルがいた。隠そうとしているのは明白なのに、目が全然隠せていない。金色の瞳が、ぱっと輝いている。
「……エデル」
「な……なんですか」
ラオトを見ないままの返答に、ラオトは思わずツッコミを入れたくなる。
「バレているぞ……」
「……べ、別に何も」
「目が笑ってる」
「わ……笑っていません!」
プティがエデルに気づき、よたよたと歩み寄る。エデルの足にしがみつき、両手を突き出して催促した。
「ママ!」
エデルは口元を押さえたまま固まった。
「……っ」
小さな声が漏れた。感情が決壊した音だった。 エデルがしゃがみ込み、プティを抱き上げる。その動作はいつもの落ち着いた彼女とは明らかに違う速さだった。抱っこされたプティの、コロコロとした笑い声が響く。
「……よく、言えました」 エデルの声がわずかに震えている。
「プティ、とても……とてもよく言えました!」
エデルはプティを思い切り抱きしめ、くるくるとその場で回った。プティも遊んでもらっていると思ったのか、大喜びで身を任せている。
「その顔。隠せてないぞ」
「隠していません」
「さっきは隠そうとしてたじゃないか」
「……し・て・い・ま・せんっ!」
何処か照れくさそうなエデルの腕の中で、プティは満足げに服をぎゅっと掴み、目を閉じた。
* * *
その日の昼頃、ラオトは帳簿をつけながら、ずっと考えていた。
プティが人型で寝ていた。大の字になって寝ていて寝言を言いながら毛布を蹴飛ばしていた。エデルが隣で毛布を掛けなおすと良い夢でも見ているのか横向きになりながら笑っている姿に思わずラオトは微笑んだ。
エデルはと言うと……寝息を立てているプティの頭を軽く撫でるや、ラオトがこれまで記録した薬草の記述と棚に保管してある薬草を照らし合わせて薬草の名前を覚えようとしているようだった。それを眺めていたラオトは軽く……くしゃみが出た。
(パパ、か)
嫌ではなかった。それは確かだ。プティがよたよたと歩いてきた時も、足にしがみついてきた時も、嫌だとは思わなかった。
ただ。
(俺は商人だ。ポーションを売るのが仕事だ。それが、いつの間に、こういうことになっているんだ?)
エデルが横にいる。プティが寝ている。竜専門士の登録証が棚の上にある。帳簿の「竜専門士関連」の欄が少しずつ埋まっていく。
気づいたら、商会の中に家族みたいなものができていた。
(家族……か)
その言葉が頭の中で転がった。重くも軽くもない。ただ、照れくさかった。考え込んでいるうちに口元が緩んでいた
「ラオトさん」
「なんですか」
「さっきから手が止まって笑ってます」
「考えごとをしていました」
「何をですか?」
ラオトは少し黙った。
「家族みたいだな、と」
エデルが薬草の瓶を持ったまま、固まった。
「……そう、ですか」
「嫌ではないんですけど」ラオトが続けた。
「照れくさいというか、責任が重いというか。両方というか」
「……両方ですか?」
「竜の子供にパパと呼ばれる商人というのは、想定していなかったので」
エデルがしばらく黙り、それから薬草の瓶をゆっくりと棚に戻した。
「ラオトさん」
「なんですか」
「私も、想定していませんでした」
エデルの声が静かになる。
「路地裏に倒れていた時、誰かに助けてもらえるとは思っていなかった。まして、こういう形になるとは」
「そうか」
「……ただ」 エデルが少し間を置く。「照れくさいというのは……私も同じです」
ラオトはエデルを見た。彼女は真っ直ぐ前を向いているが、耳がわずかに赤い。人型になると耳まで赤くなるのかと、ラオトは思ったが口には出さなかった。 くしゃみが出る。 エデルが三歩下がった。 プティが寝言を言った。竜語で「パパ」と聞こえた気がした。
(想定していなかった。でも、嫌ではない)
ラオトは帳簿に向き直り、ペンを走らせる。やることは変わらない。
ただ、今日から帳簿の一番上に書く名前が、「ジェルバ商会」だけではなくなった気がした。そう思うと、また少し照れくさかった。
* * *
その夜、火も灯さない暗がりの中、町はずれの廃倉庫に二つの影があった。
二頭の竜族は、闇の中でも互いの輪郭をはっきりと捉えている。
人間と違い、光のない場所でこそ、余計なものが消え去り本質だけが見えるのだ。 一頭は細身の長身だった。灰色の鱗に細い目。人型を保ってはいるが、指の先に鱗の名残がある。物腰は穏やかで、どこか商人めいた空気をまとっている。それがゼンだった。
もう一頭は部屋の奥に立っていた。鱗はないが、声を聞けばわかる。年を経た竜特有の、地の底から響くような重低音。名は必要ない。竜牙の中で、この者の名を知る必要があるのは命令を受ける側だけだ。
「竜専門士の動きを確認した」
ゼンの報告は感情がなかった。
「手紙の件と、市場の件。どちらも、今日中に気づかれた」
「早いな」
「……予想以上でした」
奥の人影がわずかに動く。窓の外、月明かりが一瞬差し込み、また消えた。
「あの人間は竜気を読む。素材の処理が甘いと指摘した。竜族の関与を嗅ぎ取っている」
「竜専門士の人間が、竜気を利用するようになったか」低い声が静かに響く。
「面白い」
「……しかし、厄介です」
「同じことだ」 ゼンは沈黙し、問うた。
「……幼竜の件は、確認が取れたか?」
「はい。竜専門士の商会に、孵化したばかりの幼竜がいる。竜属性の人間のそばで育っているのは確かだ」
「竜属性を持つ者から孵り、育てられた幼竜は少なからず影響を受ける。本能よりも、育てた者への親愛が強くなる。過去にも事例はある」
ゼンが頷く。 「では、その幼竜を使う手は」
「有効だ」低い声に、初めてわずかな熱が宿った。
「竜専門士を我々の側に引き込むために。あるいは、完全に動けなくさせるために」
ゼンはプティという名を知らない。ただ、あの商会の人間の肩にいる小さな白い幼竜は把握していた。あれを使えば、あの竜専門士は必ず動きを止める。こちらの言うことを聞くはずだ。
(かわいそうだったんで、育てることにしました)
市場で遠目に見た時、あの人間はそう言っていた。竜気の強い素材に触れ、くしゃみをしながらも、依頼人の話を丁寧に聞いていたあの男を、ゼンは「弱点だ」と断じた。
「ゼン。行けるか」
「……仰せのままに」
ゼンが頭を下げ、影が竜の姿に戻る。翼の音さえ立てず、闇空に消えていった。
奥の人影が動く。それだけで、倉庫は再び深い暗闇に包まれた。




