第4話 北辺印刷工房の新しい机
北辺印刷工房は、領主館の西棟に併設されていた。
石造りの建物に三台の活版印刷機。乾燥棚、紙庫、製本台、そして契約書や戸口台帳の複製を保管する文書庫。設備そのものは立派なのに、工房全体から長く止まっていた空気がした。
「冬から稼働率が半分以下です」
工房長ヨハンが言う。四十五歳、無口で誠実そうな男だ。帳簿係のエルザは三十三歳。彼女は紙束を抱えながら、困り顔で補足した。
「契約書を刷っても、原本と違うと言われて差し戻されるんです。どれが正しいかわからなくなって」
私は保管棚から冬季救恤契約の綴りを抜いた。ぱらりと開いた瞬間、指先が止まる。綴じ穴の並びが途中で変わっていた。欠落頁を無理やり別紙で埋めた跡だ。
「この綴り、途中で二枚抜かれています」
ルーカスが背後から覗き込む。
「内容はわかるか」
「まだ。でも抜かれたのが本文ではなく、付属の支払先一覧なら話は別です」
工房の窓際に、小さな机が一つ置かれていた。低温箱、湿度計、麻糸、糊刷毛。私が昨夜求めたものが、全て揃っている。
「ここが君の席だ」
ルーカスはそれだけ言った。飾り気のない机なのに、不思議と歓迎されている気がした。
私は袖をまくり、欠落した綴じ穴へ細い針を差し入れる。
「工房を止めたままでは、不正は直りません。今日から原本、複製、請求台帳を全部突き合わせます」
「必要なものは?」
「時間と、邪魔をしない人」
「時間は作る。邪魔は近づけない」
その返答を聞いた瞬間、私は北辺で最初の修復を始めていた。




