第36話 三十五歳の学監官
翌朝、工房へ王都の学監官が現れた。
三十五歳のマーガレーテ・フェルト。灰色の外套に、余計な装飾のない記録鞄。彼女は名乗るなり、私の机へ並んだ乾燥中の原本を一瞥した。
「噂より、ずっと現場の顔をしているのね」
「噂は修復してくれませんから」
私が答えると、彼女はほんの少しだけ口元を緩めた。
マーガレーテは王都学舎局から、教本供給の遅れを監査しに来たという。けれど書類を見せる前に、彼女は村の子どもたちが受け取った仮綴じ教本を確認した。
「これ、昨夜刷ったの?」
「はい。正式契約が止まっても、授業は止められませんでした」
彼女は頁をめくり、綴じを確かめ、すぐに頷いた。
「正しい判断よ」
その一言に、私は少し驚いた。王都から来る監督役といえば、まず形式を責めるものだと思っていたからだ。
私は救い出した原本と、勅許状の再圧跡、二重帳面、寄進台帳を順に示した。マーガレーテは質問こそ鋭いが、紙の論理を外さない。
「つまり、学舎教本補助金を奪うために契約を差し替え、その穴埋めとして水車権まで取りに来た」
「ええ」
「なら公開聴聞にしましょう。子どもの本に関わる不正は、役場の奥で済ませるべきではない」
彼女は記録鞄から正式通知を取り出した。
「私が学舎局側の証人になります」
私は思わず背筋を伸ばした。同じように紙の重さを知る女性が、今ここにいる。
「ありがとうございます」
マーガレーテは首を振る。
「礼は、子どもたちへ本が届いてからでいいわ」
その日、工房の掲示板には新しい告知が貼られた。
北辺学舎教本契約および水車権に関する公開聴聞。会場、北辺文書修復工房前庭。




