第33話 無口な伯は製紙場へ向かう
製紙場は、北辺川の支流に沿って建っていた。
水車は回っているように見えたが、音が鈍い。近づくと、取水門へ余計な板が打ち込まれ、水量がわざと絞られているのがわかった。
「これでは漉き槽が回りません」
場主の老人が肩を落とす。
「商会から『契約前の試験停止』だと言われてな」
「そんな権限、まだありません」
私が言うより早く、ルーカスは外套を脱いで水際へ入っていた。膝まで水に浸かり、杭へ打たれた板を一枚ずつ外していく。冷たい水しぶきが跳ねても、顔色一つ変えない。
「手を貸します」
「君は帳面を見ろ」
短く命じられ、私は作業小屋の机へ向かった。そこには、紙束の出荷帳と、水車修繕費の請求書が積まれている。修繕費は何度も落とされているのに、実際の修理は一度もされていない。
しかも受取人欄には、グランツ商会の倉庫監督の名がある。水車を止めた上で、修繕費まで吸っていたのだ。
外へ出ると、板が外れ、水の音が一段明るくなっていた。ルーカスの袖は濡れ、手には細い木屑が刺さっている。
「痛みますよ」
「君の紙傷よりは浅い」
そう言って笑いもしない。けれど、水を取り戻した水車がようやく回り始めた音は、妙に胸へ響いた。
場主が、濡れた帳面を抱えて出てくる。
「役場から箱を運んだ馬車なら見た。倉庫じゃなく、旧乾燥庫へ入っていった」
「旧乾燥庫?」
「雨の日に紙を傷めるには、ちょうどいい場所だ」
私はルーカスの濡れた手を見つめた。
「今夜、動かされるかもしれません」
「なら今夜、行く」
無口な伯の返事は短い。けれど、その短さが今は一番頼もしかった。




