第32話 川を奪う新しい契約
役場の掲示板に貼られた水車統合契約は、見れば見るほど雑だった。
私は広場の隅で写しを取り、署名欄と日付欄を拡大して読む。村長の一人、ハンネス・ロートは昨年の冬に亡くなっている。それなのに、ここには今春の日付で署名が載っていた。
「死者は契約しません」
私が言うと、役場書記のハインツは顔を引きつらせた。
「古い承認を転記しただけです」
「転記なら、なぜ筆圧が今朝のあなたの記録と同じなんです?」
私は彼の机に置かれた来訪帳を開いた。横画の止め方、最後の払い、インクの溜まり。フェリクスほど露骨ではないが、癖は隠せない。
さらに契約用紙を光へかざすと、学舎教本契約の添付頁と同じ雪花印が出た。町役場の正式用紙ではなく、商会倉庫から出た紙だ。
「紙も違う。署名も違う。これで正式契約を名乗るつもりですか」
広場に集まり始めた村人たちがざわつく。ハインツは汗をにじませたまま、なおも強がった。
「原本が失われた以上、新しい契約で整理するしかない」
「失われたのではなく、隠したんでしょう」
私は役場の保管票を掲げた。
「第三段の箱を、誰の命令でグランツ商会倉庫へ移したの?」
ハインツは答えなかった。ただ視線だけが、港側の倉庫へ泳ぐ。その一瞬で十分だった。
役場を出ると、ルーカスが低い声で言う。
「原本は倉庫か」
「たぶん。でも箱ごと焼けば、言い逃れされます」
私は写しを畳んだ。
「その前に現場を見たい。水車がどう扱われているか、今の契約で誰が得をするか。川の側へ行きましょう」
水の流れを押さえた者が、紙の流れも押さえる。
だったらまず、奪われかけた川を見に行くべきだった。




