第24話 辺境伯は活字棚を動かす
活字棚の裏は、工房でも一番紙粉が溜まる。
私は口元へ布を当て、ヨハンと棚の記号を確認した。ルーカスは黙ったまま、一番重い鉛の棚を端から持ち上げていく。辺境伯にやらせる仕事ではないと何度思っても、この人は必要な時ほど自分の手を使う。
「無理はしないでください」
「君もだ」
返ってきたのは、いつもの短い言葉だった。
棚の下から出てきたのは、裁ち落としの紙片と、試し刷りに使った校正紙の束だった。私はその一枚を水で軽く湿らせる。すると逆向きの文字が浮かぶ。
『北辺初等教本 第一版』
さらに下の行には、配本先として十二村の名が並んでいた。今の契約別紙より五村多い。つまり、最初に組まれた活字は十二村分だったのだ。
「後から減らされた」
私が言うと、エルザが悔しそうに唇を噛んだ。
「子どもたちの名前みたいに、村を消したんですね」
もう一枚の校正紙には、欄外へ別の文言が残っていた。
『水車停止後は王都紙代へ振替』
私はその行を指でなぞる。
「教本契約と水車がつながりました」
「紙を不足させた上で、北辺の製紙場も止めるつもりか」
ルーカスの声が一段低くなる。私は頷いた。
「北辺で紙を漉けなくなれば、王都指定商会から買うしかない。そうすれば、教本も台帳も全部同じ商会が握れます」
棚の奥には、さらに小さな木片が挟まっていた。見慣れない学舎印だ。山村学舎の図書箱へ押される印と同じ形だった。
「学舎の書庫まで来てますね」
私は木片を薄紙へ包んだ。
「なくなったのは本だけじゃない。書庫の証明書か、開校証も触られているはずです」
棚を元へ戻す前に、ルーカスが私の手首を軽く取った。紙粉で白くなっていた指へ、彼は新しい布を巻く。
「切れている」
見れば、棚板に擦った浅い傷があった。
「活字より先に、君の手を守れ」
私は少しだけ笑った。
「条項を増やしましょうか」
「必要なら」
そんなやりとりのあとでも、見つかった一行の重さは変わらない。
水車が止まれば、次に破られるのは子どもたちの頁だ。




