第2話 婚約破棄は書庫で
その日の夕方、婚約破棄の言葉は私物の整理より先に届いた。
場所は王立文書院第三書庫。誰もいない閲覧卓の前で、フェリクスは既に解消届へ署名を終えていた。紙の質はよかったが、内容は最低だった。
「疑惑が晴れるまで待つつもりはないのね」
「文書院と契約局の評判を守るためだ」
「評判のために、焼けた契約書まで用意した人が言うこと?」
フェリクスは眉一つ動かさなかった。代わりにミレイユが、私の元の席へ自分の修復箱を置いた。刷り込みでもするように。
「お義姉様は古いやり方にこだわりすぎるんです。今は見た目がきれいな方が喜ばれますわ」
「見た目を整えるだけなら、花瓶でも磨いていればいいわ」
私は解消届に目を落とした。婚約破棄の理由は価値観の相違。ずいぶん綺麗に書くものだ。実際は、私の鍵章と書庫への出入りを奪うための準備だったくせに。
筆を取る前に、背後の棚から小さな咳払いが聞こえた。
「綺麗な理由ほど、あとでよく燃えるのよ」
文書院の古参監督官ヘルミーネだった。五十七歳。厳しい人だが、紙と人を見る目は正しい。彼女は私の手へ小さな控え票を滑らせる。
三日前の修復請求票。請求者名、フェリクス・ハルト。対象、冬季第一便穀物納入契約書。
「原本は火事の前に、契約局側が持ち出しているわ」
私は票を袖へ隠し、婚約解消届へ署名した。
「ありがとう、監督官」
書庫を出ると、文書院の石段下に黒塗りの馬車が止まっていた。紋章は狼と活字。北辺ライナー伯爵家のものだ。
扉が開き、長身の男が降りてくる。黒手袋を外した手に、紙の繊維でできた小さな切り傷がいくつも見えた。
「クラウディア・ヴァイス殿か」
「……そうです」
「私はルーカス・ライナー。北辺の印刷工房を預かっている。紙の嘘を読める人間を迎えに来た」
追い出されたばかりの私には、その言葉が妙にまっすぐ聞こえた。




