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第19話 ほんとうの契約と求婚
事件の後、王都からは驚くほど多くのものが差し出された。
文書院への正式復職、修復室主任への昇格、契約局からの謝罪金。けれど私が選んだのは、そのどれでもない。
「王都には戻りません」
監査結果書へそう記し、私は外部協力官としてのみ名を残した。必要な時だけ修復を請け負い、普段は北辺印刷工房で働く。それが今の私に一番しっくりくる。
王都を出る前夜、ルーカスが宿の机へ一枚の契約書を置いた。
「読んでほしい」
婚姻契約書だった。だが文面は未完成で、重要な条項だけが空欄になっている。
「君が納得した言葉で埋めたい」
私は思わず笑った。
「ずいぶん修復官向きの求婚ね」
「破られる前提の紙は出したくない」
私は筆を取り、空欄を一つずつ埋めた。仕事部屋は別に持つこと。相手の机の抽斗を勝手に開けないこと。朝食は可能な限り一緒に取ること。そして最後に、少し迷って書き足す。
『毎朝のインク運搬は、本人の希望により継続可』
ルーカスが初めて、はっきり笑った。
「その条項は守れる」
「では、私も守ります」
署名を終えた紙は、北辺の黒インクで静かに乾いていく。偽りのための婚約ではない。私が自分で読み、書き、選んだ契約だった。




