第14話 元婚約者は筆跡を真似られない
夜明け前、フェリクス本人が工房へ現れた。
王都の監察官を連れ、いかにも正しい顔で言う。
「北辺工房が王都の契約書を違法に保管していると通報があった。全て引き渡してもらう」
「都合のいい朝ですね」
私は濡れ跡の残る床を見せた。侵入の痕も、取り押さえた男も、既に記録済みだ。
フェリクスは眉を動かさず、今度は私へ矛先を向けた。
「クラウディアは修復の名で文面を書き換えられる。証拠も自作したのでは?」
「書き換えと修復の違いもわからない人が、よく文書を語れるわね」
私は抽斗から出した練習紙を机へ並べた。そこには、フェリクスが署名を真似るため何度も書いた自分の名が残っている。線の入りが深く、止めの位置だけが不自然に整いすぎていた。
「あなたの癖は、筆を置く前に必ず一瞬止まること。急ぐ時ほどそれが強く出る」
私は彼の目の前で、新しい紙へ彼の偽署名と本物の署名を重ねて見せた。
「模倣は形しか真似できません。筆圧の抜け、インクの溜まり、横画の震えは残る。これがあなた」
さらに原本管理台帳の頁を開く。差し込まれた頁だけ、北辺紙なのに透かしの向きが逆だった。
「追記した頁も同じ。後から綴じ足して、持ち出し記録を消している」
監察官の顔色が変わる。フェリクスは初めて口元を引きつらせた。
「王都で正式にやりましょう」
私は証拠を束ねた箱へ蓋をした。
「逃げるなら今のうちです。でも筆跡は置いていけませんよ」
フェリクスは何も言い返せなかった。正式聴取のための王都召喚状が、その場で切られたからだ。




