第12話 焼け残った婚姻契約書
老女が拾った焦げた紙は、私の予想を裏切らなかった。
湿度を戻し、焼け固まった頁を少しずつ開く。飾り罫の中央に残っていたのは、フェリクス・ハルト、ミレイユ・ヴァイスという二つの署名だった。
婚姻契約の仮文面。作成日は、私が文書院から外される三か月も前。
「最初から決まっていたのね」
私は思わず笑った。泣くより先に笑いが出るくらい、見事な筋書きだった。私との婚約は、文書院の鍵章と出入り権を穏便に奪うための踏み台に過ぎなかったのだ。
さらに余白には、フェリクスの筆でこうある。
『婚姻後、文書院修復室の管理印を正式移管。旧婚約者の印章箱も回収予定』
私の手を通さずに、書庫を渡すつもりだった。
作業机の向かいで、ルーカスは黙って待っていた。慰めの言葉を探さないところが、この人らしい。
「怒っている」
私が言うと、彼は頷いた。
「当然だ」
「悔しいとも思っています」
「それも当然だ」
それだけで十分だった。私は焦げた文面を台紙へ移し替え、保護紙を重ねる。
「感情は証拠になりません。でも、これならなる」
ルーカスは机へ小さな包みを置いた。焼きたての黒麦パンだった。温かさに、ようやく喉の奥の硬さがほどける。
「王都へ戻る前に、あと一つ」
私は婚姻契約書の余白を指でなぞった。
「原本管理台帳。あれがあれば、持ち出しの流れを全部縫い直せる」
その夜、工房の灯りはいつもより遅くまで消えなかった。




