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灰鉄のノイン~十三メートルから始まる機装兵戦記~  作者: 本の寄生虫
第一章 灰鉄盆地と自治都市リーヴァ

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帰路の重量

三号変圧器の固定ボルトは、最後の一本だけが外れなかった。


直径はミラの手首ほどある。


戦前なら油圧工具で抜く部品だったが、旧第四送電中継所に残っている工具は錆び、回収班が持ち込んだ切断器では根元まで熱が届かない。


ドーマが切断器を止めた。


赤熱したボルトから、白い煙が上がる。


「これ以上やれば台座まで溶ける」


「台座は持って帰らない」


ミラは変圧器の下へ潜り込み、携帯灯を継ぎ目へ向けた。


「搬送架台の車輪受けが台座と一体だ。ここを歪ませたら、二十二トンを床へ降ろすことになる」


「じゃあ、どうする」


ミラはボルトの頭ではなく、周囲の鋼板を叩いた。


高い音。


少し位置を変える。


鈍い音。


もう一度。


今度は内部で何かが震えた。


「ボルトが固着してるんじゃない。下の座金が割れて噛んでる」


ドーマも床へ膝をついた。


「見えるのか」


「見えない。音が違う」


「切る場所を外したら架台が落ちるぞ」


「だから私が線を引く」


ミラは融着剤の容器から黒い液を指へ取り、ボルトの周囲へ半円を描いた。


「ここだけ切れ。深さは三センチ。そこから先は止めろ」


「三センチを目で測れって?」


「切断音が変わる。裏の空洞へ抜けたら高くなる」


ドーマはしばらく線を見ていた。


それから切断器を受け取る。


「外れたら、お前が下敷きになれ」


「先に逃げる」


切断器の光が走った。


変圧器区画には、白い作業灯が戻っている。


四号変圧器が不均等な唸りを上げ、避難区画へ辛うじて電力を送っていた。


その音に混じって、切断器が鋼を焼く低い振動が続く。


二センチ。


三センチ。


音が変わった。


「止めろ」


ドーマが即座に手を離す。


ミラは切断部へ解体棒を差し込んだ。


体重をかける。


割れた座金が二つに砕け、床へ落ちた。


最後のボルトが抜ける。


三号変圧器の巨体が、搬送架台の上で僅かに揺れた。


「切り離し完了だ」


ドーマが変圧器の側面を叩いた。


「次は油を抜く。上から吸え。底の水は入れるな」


回収員たちがホースを接続する。


黒褐色の絶縁油が、三号変圧器から四号へ移されていく。


油が抜けるにつれ、搬送重量の表示が下がった。


二十二・四トン。


二十一・九。


二十一・三。


規定量まで移したところで、ノインの声が天井の拡声器から流れた。


『三号変圧器の推定搬送重量、二十一・一トンです。四号変圧器の絶縁抵抗は許容下限を一四パーセント下回っています』


マルタが四号の計器を見た。


「それでも動いてる」


『現在出力での連続稼働時間は、不明です』


「二時間持てば全員を外へ出せる」


『二時間を保証できません』


「止まる兆候は分かる?」


『温度上昇、絶縁抵抗の低下、油槽内の放電音を監視します』


「じゃあ、止まる前に言って」


『了解しました』


マルタは変圧器区画の入口に集まった住民を振り返った。


避難区画にいた十三人のうち、すでに五人が施設入口へ向かっている。


子供三人。


肩を負傷した回収員。


腰を痛めた施設主任。


残る八人は、毛布、保存食、工具、故人の認証札まで持ち出そうとしていた。


三か月を暮らした場所から出るのだ。


持っていくものを一分では選べない。


「手荷物は一人二つまで!」


エルナが声を張った。


「それ以上は車両へ積めない! 工具は回収班と相談しろ!」


住民の一人が、真鍮製の圧力計を抱えて反論した。


「これは一号機の予備だ。置いていけば二度と手に入らない」


「一号機はもう動かない」


「だから部品が要るんだ!」


「外へ出る人間の場所が先だ!」


怒声が重なる。


終戦を認めたからといって、生活をすぐに捨てられるわけではない。


ミラは変圧器の上から声を上げた。


「圧力計は持っていけ。木箱は置け」


住民が振り返る。


「箱に入れなきゃ割れる」


「毛布で巻け。箱の方が三倍重い」


「他の計器もある」


「針が固着してる二つは捨てろ。右端の一つだけ生きてる」


男は箱を開け、計器を確かめた。


指で針を叩く。


二つは動かない。


男は何か言おうとして、やめた。


生きている一つを毛布へ包む。


エルナがミラを見る。


「住民の荷造りまで指揮する気か」


「機械の生き死になら分かる」


「人間の方は」


「そっちはあんたの仕事だ」


エルナは返事をせず、住民たちの間へ戻った。


天井から、低い振動が伝わってきた。


ノインが兵器保管区画の扉を支え続けている。


右脚。


左脚の脛。


左肩。


三点へ荷重を逃がし、開放しようとする扉を身体で押さえている。


ミラの携帯端末には、ノインから送られる損傷情報が並んでいた。


左脚固定材変位、一・一ミリ。


右股関節温度、上昇中。


左肩外装、圧壊進行。


胸部姿勢角、許容上限に接近。


「ノイン。兵器庫の手動固定はまだか」


『エルナの第二班が固定機構を捜索しています。現在、二本の手動鎖を発見。いずれも切断されています』


「灰旗団か」


『切断面は新しいと推定します』


「溶接して戻せない?」


『鎖の長さが不足しています』


ミラは区画内を見回した。


変圧器搬送用の牽引鎖。


三号へ二本。


予備が一本。


兵器庫を閉じるには太さが足りる。


だが、予備鎖を使えば、帰路で牽引索が切れたときに代わりがなくなる。


「ドーマ。予備鎖を兵器庫へ回せ」


ドーマが振り返る。


「帰りの予備がなくなる」


「ノインをいつまで扉に挟んでおく気だ」


「機装兵なら持つだろ」


『現在姿勢での維持可能時間は、推定二十六分です』


ノインの声が響く。


「二十六分あれば搬出できる」


ドーマが言った。


「搬出してる間に腕か脚が壊れる」


「変圧器を持って帰れば修理できる」


「帰る脚を壊してどうする」


二人の視線がぶつかった。


ドーマにとって、任務対象は三号変圧器だ。


そのために六人の回収員と車両を連れてきた。


ノインは契約上、通路を開けるための作業機にすぎない。


だが、ノインが壊れれば住民の護衛も、変圧器の姿勢保持もできない。


「予備鎖は渡さない」


ドーマが言った。


「なら、帰りにノインの左腕が使えなくても文句を言うな」


「脅しか」


「損傷予測だ」


『訂正します。左腕だけではなく、左脚固定材または右股関節が先に限界へ達する可能性があります』


「お前は黙って持たせろ」


『不可能な場合は報告します』


エルナが二人の間へ入った。


「予備鎖を半分に切る」


ドーマが顔をしかめる。


「どっちにも足りなくなる」


「兵器庫には二本の切れた鎖が残ってる。予備鎖の半分を継ぎ材にする。帰路には残り半分と、回収車の補助索を組み合わせる」


「規格が違う」


「ノイン」


エルナが呼ぶ。


『組み合わせは可能です。ただし、接続部の安全荷重は本来の六二パーセントです』


「六二あれば、空の搬送架台には足りるか」


「帰りは空じゃない。二十一トンだ」


ドーマが言う。


『二台の巻上機へ荷重を均等配分すれば、定速搬送に限り使用可能です。急制動には耐えません』


エルナはドーマを見る。


「急制動させるな」


「簡単に言う」


「できないなら、ここへ変圧器を置いていく」


ドーマは予備鎖を見た。


三号変圧器。


ノイン。


住民。


どれも一つだけを選べる状況ではない。


「半分だ」


ようやく言った。


「長く切りすぎるな」


回収員が予備鎖を切る。


火花が床を走った。


半分はエルナの第二班が兵器庫へ運ぶ。


残り半分は回収車の補助索へ接続するため、ドーマが自分で継ぎ目を組んだ。


作業が進む間、ミラは三号変圧器の搬送架台を調べた。


四軸のうち、三軸は動く。


後方右側の一軸だけが固い。


軸受けへ油を差す。


車輪を解体棒で回す。


半回転。


そこで止まる。


もう一度回す。


同じ場所で引っかかる。


「軸が曲がってる」


ドーマが覗き込む。


「車輪ごと外すか」


「三輪で二十一トンは無理だ」


「予備台車を入れる?」


「高さが合わない。載せ替えに一時間以上かかる」


『兵器庫の手動固定を開始します』


ノインの声。


遠くで鎖が張る音がする。


『閉鎖圧を予備鎖へ移行。私の左腕荷重、低下』


携帯端末の数値が下がる。


左脚。


右股関節。


左肩。


危険域から離れていく。


「ノイン。動けるか」


『姿勢変更を開始します』


施設全体が揺れた。


九・四メートルの身体が、兵器庫扉から離れる。


扉が数センチ開きかける。


鎖が軋む。


だが切れない。


手動固定が圧力を受け止める。


『兵器庫の再封鎖を確認しました』


ミラは息を吐いた。


「変圧器区画へ来い。車軸を浮かせる」


『左腕駆動率二一パーセント。持上可能荷重は二・九トンです』


「全部持ち上げる必要はない。後ろだけだ」


『移動します』


ノインの足音が近づく。


その途中で、拡声器から別の警告が流れた。


『施設東側排水路で、急激な圧力低下を確認しました』


マルタが顔を上げた。


「排水路?」


『灰旗団が退却した経路です』


「外へ出たんじゃないのか」


『熱源は施設外へ移動しました。しかし、排水路内部に複数の小型熱源が残されています』


ミラは携帯端末を見る。


小型熱源。


一定間隔。


温度上昇。


「爆薬だ」


エルナが言った。


『可能性が高いと判断します』


「場所は」


『東側排水路の支柱基部。六か所。最初の熱源が作動するまで、推定四分二十秒』


変圧器区画が静まり返った。


灰旗団は通信に失敗した。


黒い認証箱を持って逃げた。


そして施設を残すつもりもなかった。


「爆発したらどうなる」


ドーマが尋ねる。


『東側排水路が崩落。連鎖的に主搬送路の床が沈下する可能性があります』


「可能性は」


『不明です』


「退避までの時間は」


『住民全員と車両だけなら、最短三分四十秒。三号変圧器を搬送する場合、推定十五分以上です』


誰も話さなかった。


三号を置いていけば、全員が逃げられる。


任務は失敗。


ミラとノインの登録も、修理も消える。


だが持ち出そうとすれば、住民を巻き込む。


『変圧器を放棄し、人員退避を優先する案を提案します』


ノインが言った。


ドーマが拳を握る。


「六日前に四人を失った。今日も機材を壊した。それで手ぶらで帰れって?」


『人的損失の増加を避けられます』


「簡単に言うな」


『簡単ではありません。任務失敗によって、リーヴァの送電設備修復が遅れます。私とミラの登録条件も失われます』


ノインの声は変わらない。


『それでも、現在得られる情報では退避を優先すべきです』


ミラは床を見た。


レール。


変圧器。


排水路。


施設図。


灰旗団が爆薬を置いたのは東側の支柱だけ。


主搬送路の床を落とし、変圧器を埋めるつもりだ。


だが床が落ちる方向は一つしかない。


「爆薬を止める時間は」


『六か所すべての解除は不可能です』


「一か所なら」


『最寄りの一基まで、エルナの隊員が走って一分四十秒。解除方法は不明です』


「止めるんじゃない」


ミラは施設図を床へ広げた。


「爆発する場所を変える」


エルナが眉を寄せる。


「どういう意味だ」


「排水路は支柱の東側を通ってる。今のまま爆発すれば、床は排水路へ落ちる」


「それを防げるのか」


「西側の点検水路を開ける。床下へ水を入れる」


ドーマが理解できない顔をする。


「水で爆発を止める?」


「止めない。東側が崩れる前に、床下の空洞へ水圧をかける。支柱が折れても、床が一気に落ちるのを遅らせる」


『水圧だけでは、二十一トンの追加荷重を支持できません』


「だから変圧器を動かす。爆発と同時に西側レールへ寄せる」


『西側は点検水路の直上です』


「図面ではな。今の水路は土砂で埋まってる。さっき水が流れなかったのは、そのせいだ」


マルタが頷いた。


「二年前の小崩落で埋まった。排水は東側だけを使ってる」


「西は空洞じゃない。土砂が詰まってる。東より床が持つ」


ノインは数秒間、施設の振動を読んだ。


『西側床下に高密度の反射を確認。土砂堆積と一致します』


「変圧器を西へ寄せ、東側を崩す。落ちた床を壁にして、灰旗団の爆風を逃がす」


エルナが問う。


「成功すれば?」


「変圧器は西側に残る。人間は中央通路を抜ける」


「失敗すれば」


「変圧器ごと沈む。近くにいれば全員巻き込まれる」


『加えて、爆発時に搬送架台が脱線する可能性があります』


「だから後ろの固い車軸を浮かせる。三輪で西へ滑らせる」


ドーマが変圧器を見る。


「三輪じゃ支えられないと言っただろ」


「長く運ぶならな。五メートル動けばいい」


『爆発まで三分二秒です』


エルナが決断した。


「住民と負傷者を先に出口へ走らせる。防衛隊二名が誘導。残りは変圧器を西へ移す」


「小隊長」


部下が呼ぶ。


「命令だ。人間を先に出せ」


マルタは住民へ向き直った。


「工具は置いて! 子供の手を離さないで! 主任を二人で支えて!」


住民たちが走り出す。


持ち出そうとしていた箱が床へ落ちる。


圧力計を抱えた男も、一度だけ箱を振り返り、生きている計器だけを胸へ抱えて列へ加わった。


ミラは三号変圧器の後方へ潜った。


「ノイン。右後ろを二・五トンだけ上げろ」


『左手では保持できません』


「手じゃない。左肩を架台へ入れろ」


『肩外装は損傷しています』


「骨格で持て」


ノインが変圧器へ背を向けた。


腰を落とす。


左肩を搬送架台の下へ差し込む。


右脚へ出力を集める。


固定された左脚を床へ寝かせ、全身を一つの支柱にする。


『持上げます』


架台後部が数センチ浮いた。


固着した車輪がレールから離れる。


「回収車、巻け!」


二台の巻上機が動く。


牽引索が張る。


変圧器の前輪が西側分岐へ乗る。


後ろはノインの肩に支えられ、レールを外れて横へ滑る。


鋼が床を削る。


『爆発まで二分十一秒』


「もっと速く!」


ドーマが巻上機の出力を上げる。


「索が六二パーセントしか持たない!」


『現在荷重は安全域の八七パーセントです』


「安全なら上げろ!」


『急制動には耐えません』


「止めなきゃいい!」


変圧器が動く。


一メートル。


二メートル。


西側の床へ近づく。


ミラは前輪の位置を見る。


分岐器の先端が錆びて閉じきっていない。


このままでは左前輪だけが中央レールへ残る。


「止めるな! 前輪が割れる!」


「どうする!」


ドーマが叫ぶ。


「ノイン、左足で分岐器を押せ!」


『左脚は架台支持に使用しています』


「脛はそのまま。足首だけ内側へ回せ!」


『足首出力は二九パーセントです』


「足りる!」


ノインの左足が、床を擦りながら動く。


足先が分岐器の先端へ触れる。


押す。


錆が剥がれる。


もう一度。


軌条が西側へ開いた。


前輪が分岐を通過する。


『爆発まで一分二十七秒』


「あと二メートル!」


回収員たちが索を引く。


巻上機の一基から煙が上がった。


補助索との継ぎ目が伸びる。


「右側が切れる!」


「荷重を左へ寄せろ!」


『変圧器の重心が偏ります』


「分かってる!」


ドーマが左側巻上機を上げ、右を僅かに緩める。


三号変圧器が傾く。


高さ四メートルを超える巨体が、ゆっくり西へ倒れかける。


『転倒角まで六度』


「ノイン、立て!」


『架台を支持中です』


「肩で押し返せ!」


ノインが右脚を伸ばす。


左肩で架台後部を持ち上げながら、胸部を変圧器へ押し当てる。


傾きが止まる。


右股関節の警告が赤く点滅した。


『右股関節温度、許容上限を超過』


「あと一メートルだ!」


ノインが押す。


巻上機が引く。


ドーマたちが索へ体重をかける。


ミラは分岐器へ解体棒を差し込み、戻ろうとする軌条を押さえた。


一人。


一機。


二台の車両。


五人の回収員。


誰か一つの力が抜ければ、二十一トンが戻る。


『変圧器、西側支持区画へ到達』


「全員離れろ!」


ミラが解体棒を抜いた。


回収員たちが走る。


ドーマが最後の索を外す。


ノインが肩を引き抜く。


だが左脚が動かない。


支持桁の補助金具が、歪んだ架台へ引っかかっている。


「ノイン!」


『左脚固定材が拘束されています』


爆発まで二十三秒。


「動かすな。金具が全部外れる」


ミラはノインの左脚へ走った。


『ミラ、退避してください』


「切れば抜ける!」


『爆発まで十八秒です』


ミラは補助金具へ切断器を当てた。


捕獲鉤から作った鋼材。


灰鉄盆地を越えた。


留置場からここまで持った。


今はノインを床へ縫い止めている。


「脚を右へ引け!」


『金具の切断完了前です』


「張ってないと切れない!」


ノインが右脚へ力を入れる。


補助金具が伸びる。


ミラが切断器を押し込む。


火花。


鋼が赤くなる。


『十秒』


切れない。


『八秒』


「出力を上げろ!」


『切断器の蓄電残量が不足しています』


「手回し発電機をつなげる時間はない」


ミラは切断器を捨てた。


解体棒を赤熱した切れ目へ差し込む。


両足で床を蹴る。


『五秒』


鋼が裂ける。


「引け!」


ノインが左脚を引いた。


補助金具が切れた。


ミラの身体が後方へ投げ出される。


巨大な左手が伸びる。


二本しか満足に動かない指が、ミラの外套を掴んだ。


『二秒』


ノインがミラを胸部へ引き寄せる。


左腕で包む。


背を爆薬のある東側へ向ける。


爆発した。


最初の一つ。


続いて二つ。


六つの衝撃が、床下を走る。


東側の主搬送路が持ち上がった。


コンクリートが割れる。


レールが波打つ。


空気が壁のように押し寄せ、ノインの背部へ瓦礫が叩きつけられた。


東側の床が落ちる。


巨大な穴。


その縁が中央へ広がる。


西側へ移した変圧器が揺れる。


一度。


二度。


搬送架台の前輪が浮く。


だが床は落ちなかった。


土砂の詰まった点検水路が下から支えている。


三号変圧器は、西側で止まった。


爆音が収まる。


粉塵が施設内を覆う。


ミラはノインの左腕の中で咳き込んだ。


耳鳴りで何も聞こえない。


口を動かす。


「ノイン」


自分の声すら聞こえない。


琥珀色の補助光学器が点いた。


消える。


また点く。


『生体信号を確認』


声が遠い。


「そっちは」


『背部第二冷却器を損傷。左脚固定材を喪失。右股関節温度、危険域。歩行能力を再計算しています』


「変圧器は」


『西側区画に残存しています』


「住民は」


数秒の沈黙。


『全員、入口方向へ移動を継続。死者は確認されていません』


ミラは目を閉じた。


成功したわけではない。


変圧器はまだ施設内にある。


帰路の中央通路は半分崩れた。


ノインの左膝は、再び固定を失った。


右股関節も限界へ近い。


それでも、人間は外へ向かっている。


二十一トンの変圧器も埋まっていない。


「また脚を直す」


『使用可能な固定材がありません』


ミラは崩れた東側を見た。


爆発で曲がったレール。


千切れた支柱。


兵器庫へ使わなかった鎖の切れ端。


材料はある。


「ある」


『どれを指していますか』


「全部だ」


ドーマが粉塵の向こうから現れた。


額から血を流している。


だが歩いている。


後ろには回収員たちもいる。


「変圧器は無事か」


「見てこい」


ドーマは西側へ走り、三号変圧器の周囲を調べた。


外板に新しい傷。


架台の後輪が一つ外れている。


それでも本体は立っている。


「運べる」


戻ってきたドーマが言った。


「後輪はそりへ載せる。巻上機は一基焼けたが、もう一基は動く」


「帰路がない」


エルナが崩れた床を見た。


東側は穴。


中央は亀裂。


西側には変圧器が塞いでいる。


「作る」


ミラは曲がったレールを指した。


「東側から長い軌条を二本抜く。穴へ渡す。変圧器はそりで先に通す。重量で軌条が沈む前に、一気に引く」


「人間は」


「先に外へ出てる。残るのは私たちだけだ」


エルナはノインを見る。


「機体は渡れるか」


『左脚を再固定できれば、可能性があります』


「成功率は」


『不明です』


ドーマが笑った。


疲れた、乾いた笑いだった。


「今日はそればかりだな」


『不明なものを既知として提示することはできません』


「分かった。もう聞かん」


ミラは解体棒を拾った。


先端が曲がっている。


それでも使える。


ノインの左脚へ向かう。


「ドーマ。軌条を抜け。エルナは入口へ、住民が全員出たか確認してくれ」


「お前は」


「脚を直す」


『私は施設回線から、崩落拡大を監視します』


「それと変圧器の姿勢を見ろ」


『了解しました』


作業が始まる。


誰も命令だけを待たなかった。


回収員は軌条へ鎖を巻く。


防衛隊員は瓦礫を退ける。


マルタは四号変圧器の温度を確認し、退避完了まで電力を残す。


エルナは入口と施設内を往復し、最後の一人まで数える。


ノインは損傷した身体で、全員の位置と設備の状態を同時に見続ける。


ミラは曲がった支柱を切り、左膝へ当てた。


新しい固定材は、昨日よりさらに不格好だった。


規格の違う鋼材。


半分に切った鎖。


爆発で変形した留め具。


それを一つずつ締める。


『固定精度が不足しています』


「分かってる」


『左脚への荷重は、最大二・一秒に制限する必要があります』


「帰るまで何歩だ」


『崩落区画通過後、施設出口まで二百八十九メートルです』


「十三メートルより長いな」


『はい』


「でも、今度は押す奴がいる」


ドーマたちが軌条を穴へ渡す。


回収車の巻上機が唸る。


三号変圧器が、再び動き始めた。


施設の外では、住民たちが待っている。


信用はしていない。


それでも約束が守られるかを見ている。


ミラは最後の鎖を締めた。


「立てるか」


ノインが左脚へ僅かに荷重を移す。


新しい固定材が軋む。


一秒。


二秒。


右脚が前へ出る。


『立位を維持できます』


「なら帰るぞ」


『変圧器を回収し、住民と全人員を施設外へ搬出します』


「それが今の目的だ」


ノインの琥珀色の光が、穴へ渡された二本の軌条を捉えた。


『目的を共有しました』


変圧器が軌条へ乗る。


鋼が沈む。


回収員たちが索を引く。


ノインが左手で傾きを支える。


ミラは搭乗席へ入り、固定帯を締めた。


誰か一人の命令ではない。


誰か一つの計算でもない。


それぞれが見えるものを持ち寄り、帰るための一本の道を作る。


灰旗団が壊した床の上を、二十一トンの変圧器が進んだ。


その後ろを、片腕の機装兵が追う。


戦争のために作られた送電施設から、都市を生かす設備と、そこで生き延びた人々が同じ出口へ向かっていた。


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