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灰鉄のノイン~十三メートルから始まる機装兵戦記~  作者: 本の寄生虫
第一章 灰鉄盆地と自治都市リーヴァ

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4/23

特例外出許可・四十八時間

朝までに、捕獲鉤は膝の部品になった。


回収業者がノインの掌へ撃ち込んだ鋼の鉤を、ミラは夜通し削った。


留置場の監視所から借りた手回し研削器は軸がぶれ、一周するたび甲高い音を立てた。火花避けの覆いもなかったため、ミラは壊れた装甲車の扉を立て、灰を被せた毛布で周囲を囲った。


鉤の曲がった先端を切り落とす。


穴を広げる。


支持桁へ合わせて側面を削る。


最後に、左膝の帯鋼を留める補助金具として噛ませた。


正規部品とは呼べない。


それでも、作業機から剥がした帯鋼だけで支えていた昨日よりはましだった。


ミラは締結具を二度叩いた。


高く澄んだ音が返る。


「左脚へ荷重をかけろ」


ノインの右脚が僅かに沈み、固定された左脚へ重量が移る。


捕獲鉤から作った補助金具が軋んだ。


割れない。


ずれない。


『左膝固定部の横方向変位、〇・六ミリメートル』


「昨日はいくつだった」


『同荷重で一・九ミリメートルです』


「なら使える」


『使用可能期間は算出できません』


「今日一日持てばいい」


『任務の所要時間は不明です』


「だから今日一日だ」


『論理が成立していません』


「整備の願掛けに論理を求めるな」


『願掛けは修理手順ですか』


「違う」


『では、記録から除外します』


「そうしろ」


ミラは膝装甲から飛び降りた。


着地と同時に足元が揺れた。


睡眠は一時間も取っていない。


空腹も昨日からほとんど変わっていない。


それでも、ノインの脚は立っている。


なら、眠る理由はなかった。


留置場の入口から、三台の車両が入ってきた。


先頭は都市防衛隊の装輪車。


後ろに、巻上機を積んだ回収用牽引車が二台。


どの車体も継ぎ接ぎだった。


都市防衛隊の車両には左右で異なる型の車輪がつき、後部装甲には古い砲弾痕が残っている。


回収車の一台は運転席の扉がなく、代わりに鎖を張って人が落ちないようにしていた。


装輪車から、灰色の外套を着た女が降りた。


三十代半ば。


短く切った黒髪の左側に、火傷の痕がある。肩には都市防衛隊の小隊長章がついていた。


女はノインを一度見上げ、それから足元の白い枠を確認した。


「ミラ・ハーシェル」


「そうだ」


「都市防衛隊第三外縁小隊長、エルナ・ライツ。今回の現場指揮を執る」


エルナは紙束を差し出した。


「任務説明の前に、契約条件を確認する」


「昨日の紙なら読んだ」


「昨日渡したのは募集票だ。これは契約書だ」


ミラは一枚目をめくった。


目的。


旧第四送電中継所から、三号変圧器を回収すること。


地点はリーヴァ北東十四・二キロメートル。


搬出対象の重量、二十二・四トン。


報酬は募集票と同じだった。


ミラの暫定居住資格。


ノインの作業機仮登録。


旧第六整備廠での緊急修理四十八時間。


燃料。


格納場所。


二枚目には、同行人員が記されている。


都市防衛隊八名。


民間回収員六名。


車両三台。


さらに、小型運搬機一機。


三枚目からは、文字が細かくなった。


「長いな」


「重要なのは五枚目だ」


ミラは五枚目を開いた。


任務中断時の費用負担。


車両損失。


人員損害。


回収物の所有権。


そして、その下。


《契約履行不能時、使用機装作業機を損失補填資産として都市管理下へ移管する》


ミラは紙を閉じた。


「受けない」


エルナは表情を変えなかった。


「説明を最後まで聞け」


「聞く必要がない。失敗したらノインを取ると書いてある」


『事実です』


ノインが外部音声で答えた。


エルナの後ろにいた兵士が顔を上げた。


「定型音声だ」


ミラは言った。


『訂正します。契約文書の内容を確認した結果です』


「黙ってろ」


『了解しました』


エルナはノインをしばらく見ていた。


「昨日の検査報告より流暢だな」


「一晩で接触不良を直した」


「そういうことにしておく」


エルナは契約書をミラへ戻した。


「都市は、保証人も所有証書もない機体を外へ出す。戻らなければ、車両と人員を失う。担保を求めるのは当然だ」


「戻らなかった機体を、どうやって管理下へ置く」


「機体だけ残った場合だ」


「私が死んで、ノインが戻ったら、都市が取るのか」


「書類上はそうなる」


「なら、なおさら受けない」


『ミラ』


ノインの声は搭乗区画内だけに切り替わった。


『契約を受けなければ、三日後に所有権審査へ移行します。受諾した場合、修理設備を得られる可能性があります』


「お前を担保にしてか」


『私は現在も都市留置物として扱われています。法的状況の悪化は限定的です』


「そういう話じゃない」


『では、何の話ですか』


「昨日と同じだ。私が勝手に、お前を失敗の支払いに使うなって話だ」


ノインは沈黙した。


エルナには内部の会話は聞こえていない。


だが、ミラが返答を待っていることには気づいたらしい。


「その機体は、契約を理解しているのか」


「姿勢制御器にしては賢い」


「昨日の検査員も、同じようなことを言っていた」


「何が言いたい」


「何も。今はな」


エルナは契約書の五枚目を抜き取った。


紙を折る。


腰の小さな炉へ差し込む。


火が縁から広がり、文字を黒くした。


「担保条項は外す」


後ろの兵士が驚いた。


「小隊長、登録局の承認がありません」


「現場指揮官の裁量で、任務資産の補償方法を変更する」


エルナは新しい紙を出した。


「代わりに、機体と搭乗者を一つの外部搬送班として扱う。任務を放棄した場合、報酬は出ない。故意に回収物を損なえば、その後五年間、都市契約を受けられない」


「それだけか」


「人を死なせれば、普通に裁かれる」


「分かりやすい」


「ただし、機体の所有権問題は解決しない。今回の外出許可は、四十八時間限定の特例だ」


「十分だ」


ミラは新しい契約書へ目を通した。


所有者の欄はない。


代わりに、《運用責任者》と《使用設備》の欄がある。


運用責任者、ミラ・ハーシェル。


使用設備、名称不明機装作業機一機。


ノインという名を書く場所はなかった。


だが、売却担保の文字もなかった。


ミラは署名した。


『契約条件を確認します』


「声を出していい」


『任務目的は、旧第四送電中継所から三号変圧器を回収し、リーヴァへ搬入すること。任務中の経路選択と機体制御については現場指揮官の命令に従う。機体の整備判断は運用責任者が行う。正確ですか』


エルナが答える。


「正確だ。ただし、人員の安全に関わる場合、私の退避命令を優先する」


『私の搭乗者に対する退避命令も含まれますか』


「含む」


『ミラが拒否した場合は』


エルナがミラを見た。


「抱えてでも運べ」


「私を荷物にするな」


『左手による保持が可能です』


「お前も真に受けるな」


エルナは初めて、僅かに笑った。


すぐに消えた。


「契約の次は、実行能力の確認だ」


回収車から、太い腕をした男が降りた。


四十代後半。


革の前掛けをつけ、右手の小指と薬指がない。


男はノインの左膝へ近づき、許可も求めず補助金具を蹴った。


ミラはその足首を解体棒で払った。


「触るな」


男が一歩よろめいた。


「壊れた機体に二十二トンの仕事ができるか見てる」


「蹴って分かるなら、お前の頭も蹴って調べるか」


「口だけは正規兵並みだな」


「正式資格のない下級技術兵だ」


「もっと悪い」


男は前掛けの胸元を叩いた。


「民間回収組合のドーマ・ゲルツ。変圧器を外すのは俺たちだ。運ぶのも俺たちだ。お前の機体には、通路の瓦礫を退けてもらう」


「二十二トンを持ち上げろとは言わないのか」


「その片腕で持てるなら、見せてくれ」


『現在の左腕安全荷重は三・八トンです』


ノインが答えた。


「正直で結構」


ドーマは回収車を指した。


後部には二基の巻上機が並んでいる。


「変圧器は施設内の搬送台へ載ってる。台の車輪が生きていれば、こいつで引く。死んでれば、そりへ載せ替える。機装兵は前方で牽引索を支え、傾きを抑える」


「施設の床は」


「図面じゃ最大荷重五十トン」


「二十七年間、爆撃と水に耐えた後もか」


「それを調べるのは現場に入ってからだ」


「最初の回収班は」


ドーマの顔から軽さが消えた。


「六日前に入った。四人と牽引車一台。通信は施設へ入って十二分後に切れた」


「死体は」


「確認してない」


「自動防衛装置が撃ったのか」


エルナが答えた。


「可能性が高い。施設は終戦前、軍の送電設備に指定された。内部に対人砲台と保安隔壁がある」


「識別信号は」


「旧軍の保守班信号を用意した」


『有効性を保証できません』


ノインが言った。


エルナの視線が上がる。


「理由は」


『三か月以上無通電だった設備が再起動した場合、認証時刻、命令系統、敵味方情報のいずれかに不整合が発生します。保守班信号を旧軍資産への侵入と判定する可能性があります』


ドーマが鼻を鳴らした。


「作業機の割に、防衛装置に詳しいな」


『軍用設備の保守補助記録を保持しています』


「便利な定型音声だ」


ミラはドーマを見た。


「使えるものを疑ってる余裕があるのか」


「使えるか確かめるところだ」


エルナが留置場の奥へ合図した。


兵士二人が手動切替器を操作し、ノインの足首につけられた封印帯を解除する。


黄色い帯が外れた。


〇・四秒遅れていた信号が戻る。


ノインの身体が僅かに姿勢を変えた。


右脚。


腰。


左肩。


遅延を補うため不自然に固めていた関節が、順番に緩む。


『歩行制御を回復しました』


「試験場へ移動しろ」


エルナが指した先には、短い貨物線が残っていた。


線路上に、平たい重量台車が置かれている。


上には鋳鉄塊が積まれていた。


「重量二十二トン。変圧器の代わりだ」


ミラは台車の車輪を見た。


四軸。


軸受けの油は乾いている。


牽引索は二本。


一本は新しい。


もう一本は表面が毛羽立っていた。


「この索は使わない」


ドーマが答える。


「昨日まで使ってた」


「だからだ。内側が切れてる」


「見ただけで分かるか」


ミラは索の中央を曲げた。


表面の編み線が開く。


中から、赤く錆びた芯線が覗いた。


「これで二十二トンを引けば、最初の衝撃で切れる」


ドーマの顔が険しくなる。


回収員の一人へ振り返った。


「誰が出した」


「第二倉庫です。荷重札は残ってました」


「札を信じたのか」


「昨日、小型車を引けました」


ミラは索を地面へ落とした。


「小型車を引ける索と、二十二トンを動かす索は同じじゃない」


ドーマは返答せず、新しい索をもう一本出させた。


ミラが折り曲げ、油の状態を見る。


今度は使える。


「試験を始める」


エルナの合図で、二台の回収車が台車の後方へついた。


ノインは前方。


左手で二本の牽引索をまとめ、胸部の高さへ保持する。


片腕で引くのではない。


索の角度を一定に保ち、台車が左右へ振れないよう支える役目だった。


ミラは搭乗席へ入った。


固定帯を締める。


「左腕へどれくらい来る」


『発進時、最大二・六トン。台車が直進すれば一・一トンまで低下します』


「膝は」


『索を胸部中央で保持すれば、左脚への横荷重は許容範囲です』


「地面が平らならな」


『はい』


エルナが旗を上げた。


回収車の巻上機が動く。


索が張る。


台車の車輪が軋んだ。


動かない。


巻上機の音が高くなる。


『牽引力三・二トン。台車静止』


「右前の車輪だ」


ミラは正面表示の狭い映像を見た。


車輪と線路の間に、錆びた留め金が噛んでいる。


「停止させろ」


『停止を要求します』


ノインが外部へ伝える。


巻上機が止まった。


ドーマが台車の下を覗く。


「制動片が戻ってない」


「叩けば外れる」


「誰が行く」


「私だ」


ミラは搭乗口を開けた。


『台車の牽引索には残留張力があります』


「分かってる」


『索が破断した場合、作業位置へ跳ね返ります』


「張力を抜け」


ドーマが回収車へ指示を出し、巻上機を僅かに戻した。


索が緩む。


ミラは線路へ降りた。


台車の下へ潜り込む。


制動片は錆び、車輪の内側へ食い込んでいた。


解体棒を当てる。


一度。


動かない。


二度。


錆が落ちる。


三度目で、制動片が外れた。


その瞬間、台車が動いた。


緩んでいたはずの牽引索が一気に張る。


右側の回収車が後ろへ引かれた。


巻上機の制動爪が滑っている。


台車は緩い下り勾配へ乗った。


二十二トンの鋳鉄が、ミラの頭上で動き始める。


『ミラ、退避してください』


「車輪止めを!」


回収員が木製の車輪止めを投げ込む。


台車の前輪が砕いた。


速度が上がる。


進行方向には、留置場の監視所がある。


兵士が二人。


燃料缶が積まれた荷車。


その先は都市壁だった。


ミラは台車の下から這い出した。


索の一本が足元を跳ねる。


ノインの左手が牽引索を握った。


片腕へ急激に荷重がかかる。


表示器に警告が走る。


『左腕荷重、五・八トン。安全域を超過』


「腕で止めるな!」


『他の制動手段を提示してください』


ミラは線路を見た。


台車の先。


二十メートル先に、使われていない分岐器がある。


左は監視所。


右は土砂を積んだ引込線。


分岐器の転換桿は倒れたまま動かない。


だが、軌条そのものは生きている。


「右の引込線へ入れろ!」


『分岐器は左方向へ固定されています』


「先端を壊せ。左足で転換桿の根元を踏め」


『距離十一・三メートル。牽引索を保持したまま移動すれば、左膝へ横荷重が発生します』


「補助金具は持つ」


『根拠を要求します』


「私が朝まで削った!」


『技術的根拠ではありません』


「金具じゃない。支持桁の荷重方向を見ろ。腕を張ったまま、胸を右へ回せば、力は右脚へ逃がせる」


ノインの腰が回る。


左肩を前へ出す。


牽引索の角度が変わる。


左膝の荷重表示が一度跳ね、下がった。


『荷重経路を修正しました』


「行け!」


ノインが右脚を踏み出す。


台車に引かれながら、分岐器へ向かう。


固定された左脚を地面へ滑らせる。


一歩。


二歩。


左手の人工筋肉束が軋む。


掌の装甲に残っていた亀裂が広がる。


『左手第一指、駆動率低下』


「握るのは三本でいい。親指を外せ」


『把持安定性が低下します』


「索を掌へ巻け。指で持つな」


ノインが手首を回す。


二本の索が左前腕へ巻きつく。


指の荷重が減る。


代わりに、剥がれた装甲へ鋼索が食い込んだ。


分岐器まで三メートル。


転換桿は、錆びた箱の中から斜めに突き出している。


「左足を上げろ」


『膝は屈曲できません』


「腰から振れ」


左脚が半円を描く。


足裏が転換桿の根元へ当たった。


「踏め!」


ノインが体重をかける。


転換桿の箱が潰れた。


内部の連結棒が外れ、分岐器の先端軌条が動く。


完全には切り替わらない。


指二本分の隙間を残して止まった。


「足りない。もう一度」


『台車までの距離、七・二メートル』


「間に合う」


『成功の保証はありません』


「分かってる!」


ノインが左足を持ち上げた。


二度目。


転換箱を踏み抜く。


先端軌条が右へ動いた。


台車の前輪が分岐へ到達する。


一軸目が右へ入る。


二軸目。


三軸目。


最後の車輪が激しく跳ねた。


台車全体が右へ曲がる。


牽引索がノインの腕から外れ、地面を打った。


二十二トンの台車は引込線へ突っ込み、積まれていた土砂の山へ車輪を沈めた。


鋳鉄塊が一つ、台車から落ちる。


地面が揺れる。


それきり、動かなかった。


監視所まで残り十二メートル。


燃料缶は無事だった。


誰も潰されていない。


ノインは左手を下げた。


索が食い込んだ前腕から、黒い潤滑液が流れている。


『台車の移動を停止しました』


ミラは線路脇へ座り込んだ。


息が切れていた。


自分が押したわけでもないのに、腕が震えている。


ドーマが台車と潰れた転換器を交互に見た。


「俺の試験場を壊したな」


ミラは顔を上げた。


「監視所へ突っ込ませるより安い」


「分岐器一式だぞ」


「二十七年物の錆びた分岐器だ」


「直せるか」


「部品を出せばな」


ドーマはしばらく黙っていた。


やがて、台車の下へ入り、滑った制動機構を確認する。


巻上機の制動爪を取り出す。


表面には、古い亀裂があった。


「こいつも見落としてた」


「昨日まで動いてたんだろ」


「動いてた」


「なら今日も動くと思った」


「そうだ」


ドーマは亀裂を親指で撫でた。


「お前は気づいたか」


「動くまでは分からなかった」


「偉そうに言うな」


「分からなかったものは分からない」


ドーマは鼻を鳴らした。


だが、今度は笑っていた。


「現場でそれを言える奴なら、まだ使える」


エルナがノインの左前腕を見上げる。


「機体の損傷は」


『左前腕外装の亀裂拡大。人工筋肉束二本に表面損傷。左手第一指の出力が一二パーセント低下しました』


「任務へ出られるか」


『可能です』


ミラは立ち上がった。


「私がまだ見てない」


エルナがこちらを見る。


「ノインが可能だと言っている」


「自分を動かせるかは分かっても、索が筋肉束をどこまで削ったかは見えない」


『内部圧力は正常です』


「外皮が裂けてたら、灰が入る。施設内で切れるかもしれない」


『移動開始まで四十六分です』


「二十分で見る」


『先ほど、今日一日持てばいいと判断しました』


「状況が変わった」


『了解しました』


ミラはノインの腕へ登った。


索の痕へ指を入れる。


装甲の下。


一本目。


傷は浅い。


二本目。


外皮が削れている。


だが、芯までは届いていない。


絶縁布を巻く。


その上から薄い鋼板を当て、細線で縛る。


左手第一指の駆動索は、掌側で引っかかっていた。


位置を戻す。


油を差す。


指が一度曲がる。


『出力低下、四パーセントまで改善』


「任務へ出られる」


『先ほどと結論は同じです』


「根拠が増えた」


『重要な差異です』


「そういうことだ」


出発準備が再開された。


壊れた索は捨てられた。


巻上機の制動爪は交換された。


重量台車の代わりに、実際の回収用そりが牽引車へ連結される。


都市防衛隊員八名が弾薬を確認する。


民間回収員六名が切断器、油圧持上機、滑車、鎖を積む。


小型運搬機は、二脚を不規則に動かしながら荷台の後ろへついた。


最後に、エルナがノインの足首へ新しい黄色い札を取りつけた。


封印帯ではない。


《特例外出許可・四十八時間》


所有者の名はない。


運用責任者の欄に、ミラの名だけが記されている。


「門を出たら、私の命令系統へ入る」


エルナが言った。


「任務目的に反しない限りな」


ミラが答える。


「契約書に異議権は書いてない」


「書いてなくても、壊れる動かし方を命じられたら止める」


『整備上の危険については、ミラの判断を優先することを推奨します』


エルナはノインを見上げた。


「お前は誰の命令を聞く」


『任務中の経路、人員配置、退避については、現場指揮官の命令に従います。機体制御は私が行います。損傷状態から実行不能と判断した場合、ミラへ整備判断を要求します』


「ずいぶん面倒な作業機だ」


『面倒という評価は、任務遂行に必要ですか』


ミラは額へ手を当てた。


エルナは笑わなかった。


「必要ない。省略する」


『合理的です』


南外縁の門が開いた。


車両が一台ずつ外へ出る。


灰鉄盆地の風は、昨日より弱かった。


空には低い雲が広がり、遠くの山肌まで見える。


ノインは車列の中央へ入った。


先頭に都市防衛隊の装輪車。


次にノイン。


後ろへ二台の回収車と小型運搬機。


片寄った足音と、車輪の音が並んだ。


昨日まで、ノインとミラは二人だけで進んでいた。


今は十四人と三台の車両がいる。


それでも、誰もノインの正体を知らない。


誰もミラを正式な整備士とは認めていない。


一つ判断を誤れば、都市へ戻る権利も失う。


旧第四送電中継所が見えたのは、昼を大きく過ぎてからだった。


盆地北東の岩山を削り、半分を地中へ埋めた施設。


地上に見えるのは、変電設備の骨組みと、二本の送電塔。


送電線は切れ、黒く垂れている。


正面門は閉じていた。


その前に、回収車が一台残されている。


六日前に入った班の車両だ。


運転席は空だった。


扉は開いている。


荷台の工具は、そのまま残っている。


人だけがいない。


エルナが拳を上げ、車列を止めた。


「周辺警戒。遺体と足跡を探せ」


隊員が散開する。


ドーマは置き去りの回収車へ近づき、機関部へ触れた。


「燃料は残ってる。故障で捨てたんじゃない」


ミラは地面を見た。


複数の足跡が正面門へ向かっている。


四人分。


戻ってきた跡はない。


その脇に、別の靴跡があった。


底の模様が違う。


新しい。


施設へ向かう足跡が六人分。


こちらも戻っていない。


「先の班だけじゃない」


エルナがしゃがみ込む。


「いつの跡だ」


「昨日か、一昨日。灰風の後だ」


「回収業者か」


「軍靴だ。踵に鋲がある」


エルナの表情が硬くなった。


現在の都市防衛隊は、鋲付きの旧軍靴を使わない。


ノインの補助光学器が、閉じた正面門を向いた。


『微弱な認証信号を受信しています』


「施設の防衛装置か」


『一つは旧軍保安系統です。もう一つは規格が一致しません』


「誰かが通信してる?」


『暗号化されています』


エルナが隊員へ退避位置を指示した。


「保守班信号を出す。全員、遮蔽物へ」


携帯認証器が起動する。


旧軍の保守信号が、閉じた門へ送られた。


数秒。


反応はない。


その後、施設上部の監視窓で赤い光が灯った。


一つ。


二つ。


三つ。


外壁の装甲板が開く。


中から、細い砲身がせり出した。


「伏せろ!」


全員が地面へ飛び込んだ。


砲台は撃たなかった。


赤い光が車列をなぞる。


ノインの胸部で止まる。


旧軍規格の認証信号が、強くなる。


『私に対して、所属照会が行われています』


「第二級作業機として返せ」


『その識別情報は正式な軍用認証ではありません』


「偽装できるか」


『可能です。ただし、施設側の保安人格が追加質問を行う場合があります』


「答えられなければ」


『攻撃を受けます』


エルナが低い声で尋ねた。


「対応できるか」


ノインはすぐには答えなかった。


補助光学器の琥珀色が、赤い照準光を正面から受けている。


搭乗区画の表示器に、別の情報が現れた。


施設内熱源。


外壁の奥。


地下方向。


一つではない。


十七。


小さなものも含まれている。


機械の熱ではない。


人間の体温だった。


ノインの声は、ミラにだけ届いた。


『施設内部に生体反応があります』


ミラは閉じた門を見た。


取り残された回収班か。


新しい軍靴の者たちか。


それだけでは数が合わない。


「エルナには言うな」


『理由を要求します』


「まだ正確な数を見せられる理由を説明できない」


『生体反応の存在は、任務計画へ影響します』


「分かってる。私から別の根拠を作る」


『虚偽の根拠ですか』


「現物を探す」


ミラは回収車の運転席を見た。


開いた扉。


残された工具。


食料袋だけがない。


血もない。


争った痕もない。


四人は、自分で施設へ入った。


そして戻っていない。


正面門の下には、僅かな隙間があった。


そこから、細い水の筋が流れ出している。


水は濁っていない。


つい最近、内部の配管が使われた水だ。


ミラはエルナへ言った。


「中に人がいる」


「根拠は」


「排水が新しい。回収班が入って六日経ってるのに、工具も食料以外は残ってる。生きてる奴が施設の水を使ってる」


エルナは水の筋へ触れた。


指先を嗅ぐ。


「油は混じっていない」


「生活排水に近い」


ノインが内部音声で言った。


『あなたの推定は、生体反応と一致します』


「なら覚えろ」


『記録します』


施設の砲台が、再び動いた。


砲身が下がる。


照準先はノインではない。


置き去りにされた回収車の陰。


そこには、都市防衛隊員が一人伏せている。


『所属照会の猶予、推定八秒です』


エルナが銃を構えた。


「作業機。施設の質問へ答えろ」


ミラは操縦席へ滑り込んだ。


固定帯を締める。


「ノイン。中の人間を撃たせるな」


『任務目的は変圧器の回収です』


「分かってる」


『生体反応の救助は、契約に含まれていません』


「それも分かってる」


『では、現在の優先目的を要求します』


砲台の照準光が、伏せた隊員の背中で止まる。


ミラは操縦桿を握った。


「まず、扉を開ける」


『その後は』


「中を見て決める」


ノインは一秒だけ沈黙した。


『所属偽装を開始します』


旧軍の認証信号が、ノインの胸部から送られる。


閉じた門の向こうで、何かが応答した。


戦争が終わって三か月。


それでも旧軍の設備は、正しい所属と、正しい命令を求めている。


ノインが返したのは、どちらでもなかった。


生き残るために作られた、偽りの名前だった。


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