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灰鉄のノイン~十三メートルから始まる機装兵戦記~  作者: 本の寄生虫
第二章 西方回廊と自由港セレネ

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22/23

煙のない工場

《灰走》がケルン工業区の外縁へ入ると、汽笛に返事をする工場は一つもなかった。


煙突は立っている。


給水塔もある。


貨物線は幾重にも分岐し、巨大な組立棟の間へ伸びている。


戦争中なら、一日中貨車が行き交っていたのだろう。


今は錆びた車輪止めが軌条へ置かれ、閉じた工場門に人間だけが集まっていた。


《仕事を返せ》


《工場を閉めるな》


《平和で飢えろというのか》


布へ書かれた文字が、風に揺れる。


数百人。


男。


女。


老人。


まだ少年にしか見えない者。


軍服を染め直して作業服にした者もいる。


武器はほとんどない。


だが人の壁が、駅へ入る本線を塞いでいた。


「止めろ」


オスカーの声が列車内回線へ響く。


《灰走》は駅の手前で停止した。


エルナの防衛隊員たちが窓を閉める。


砲塔車の銃身は動かさない。


動かしただけで、意味が変わる。


低床貨車に固定されたノインは、借りた偵察無人機を上げなかった。


『周辺情報が不足します』


「今日は不足したままでいろ」


ミラは工作車から降りた。


『理由を要求します』


「頭の上を旧アルディアの無人機に飛ばされた連中を昨日見ただろ」


短い間。


『了解しました』


駅前から五人が歩いてくる。


先頭は四十代ほどの大柄な男。


作業服の胸には、取り外した社章の縫い跡だけが残っている。


右手に持っているのは銃ではなく、赤い油差しだった。


「交易列車の責任者は」


「俺だ」


オスカーが答える。


「ケルン第三機装工廠、元第二組立棟職長、パウル・ゲルナー」


「元?」


「三週間前に工場が閉じた」


パウルは《灰走》を見た。


「通行を邪魔する気はない」


オスカーが線路上の群衆を見る。


「十分邪魔してるぞ」


「話を聞けば退く」


「誰に」


「交易使節にだ。セレネへ行くんだろ」


ユリアが前へ出る。


「要求内容は?」


「工場転換への融資。民生品の優先購入。西方軍需契約の突然打切りに対する補償」


「それを《灰走》に要求しても決定権はありません」


「知ってる」


「なら、なぜ止めるの」


パウルは背後の工場を指した。


「決定権のある奴は、止まった工場へ来ないからだ」


駅前の群衆から声が上がる。


「俺たちは戦争を始めろって言ってるんじゃない!」


別の声。


「でも戦争を終わらせた奴は、給料まで一緒に終わらせた!」


「砲弾を作るなって言うなら、代わりに何を作るか持ってこい!」


ユリアは黙って聞いている。


ミラは煙のない工場群を見た。


昨日までの鉱山町では、アルディア製設備を止められたために仕事が消えた。


ここでは逆だった。


戦争が続いたために仕事が増え。


戦争が終わったために消えた。


貨物車から、前の踏切で拾った片腕の女が降りてきた。


家族と西へ向かっている女。


「まだやってるのか」


パウルが彼女を見る。


「戻ったのか、エマ」


そこで初めて、ミラは女の名前を知った。


「戻ったんじゃない。通り過ぎるだけ」


「仕事なら交渉中だ」


「三か月ずっと交渉中だろ」


「今度はセレネへの列車が来た」


「列車一つ止めたら砲弾の注文が戻るのか」


パウルの顔が険しくなる。


「砲弾じゃなくていい」


「じゃあ何を作る」


「鉄道車両。農業機械。水ポンプ。何でもだ」


「誰が買う」


パウルは答えなかった。


それが問題だった。


作れないのではない。


作れる。


工員もいる。


工作機械もある。


巨大な工場も。


だが、買う者がいない。


ノインの声がミラの携帯端末から聞こえた。


『工場設備を確認できれば、転用可能品目を推定できます』


パウルの視線が低床貨車へ向いた。


「何だ、あれは」


「ノイン」


「名前を聞いてるんじゃない」


『戦術適応型設計演算核・第九試験体です』


群衆の一部がざわめく。


「アルディアの自律機か」


『はい』


「西方の工場を見て、何をする」


『設備転用の可能性を評価できます』


パウルが乾いた笑いを漏らした。


「二十七年戦争をやった側の機械が、今度は平和な工場の作り方を教えるのか」


『必要であれば』


「要らん」


即答だった。


「作り方なら知ってる。問題は注文だ」


ノインは少し黙った。


『理解しました』


「本当に?」


『いいえ。技術的な解決手段が存在しても、生産物への需要がなければ雇用は維持できない、という構造を理解したという意味です』


「それを理解って言うんだよ」


パウルは油差しを持った手で工場を指した。


「来い。見せてやる」


工場門が開いた。


中へ入ったのは、ミラ、ユリア、オスカー、パウル。


ノインは低床貨車に残る。


代わりに、ミラの携帯端末から音声だけを繋いだ。


第三機装工廠。


入口の壁には、戦時中の生産標語がまだ残っている。


《一門でも多く前線へ》


その下へ、新しい紙が貼られていた。


《第三工廠閉鎖通知》


組立棟へ入る。


巨大だった。


天井走行機が四列。


床には機装兵の脚部を固定する治具。


一番奥には、砲塔旋回環を加工する大型立旋盤。


だが、すべて止まっている。


「戦争中は何人いた」


ユリアが尋ねる。


「この工廠だけで八千近く。関連工場を入れればもっとだ」


「今は」


「保全要員が二百ちょっと」


ミラが立旋盤へ近づいた。


主軸。


案内面。


切削油は抜かれている。


防錆油だけが塗られている。


「状態は悪くない」


「止める前に全部保全した」


「再開できる」


「砲塔を作るなら明日からな」


「他は」


「この機械で農業ポンプの羽根車を削ろうとした。大きすぎる。段取りに一日、加工に二時間。小さい工場の機械なら半日で十個作る」


次の区画。


長砲身用の深穴加工機。


鉄道車軸にも使えそうに見える。


パウルは先回りする。


「車軸も試した。加工精度は出る。一本作る電気代で、東の専門工場から二本買える」


『設備能力と需要規模が一致していません』


ノイン。


「そういうことだ」


次。


装甲板用の熱処理炉。


「農具を焼いた。百本まとめれば採算が合う。注文は三十本だった」


『設備を小型化する案は』


「金が要る」


『既存設備の一部を分割して――』


「金が要る」


『旧設備を売却し、その代金を転換費へ――』


「買う奴がいない」


ノインが沈黙する。


パウルは笑わなかった。


「戦争中は楽だった」


ユリアが顔を上げる。


「何が?」


「注文を考えなくてよかった」


パウルは止まった組立線の間を歩く。


「国が数を決める。材料を回す。銀行も金を貸す。電力は優先。鉄道も優先。作れば全部買う」


「人が死ぬための製品を」


ユリアが言う。


「ああ」


パウルは否定しなかった。


「それで食った」


静かな棟に、その言葉だけが残った。


「俺は戦争が好きだったわけじゃない。息子は東部戦線で脚を失った。弟は帰ってない。空襲で家も一度焼けた」


男は組立治具へ油差しを置いた。


「それでも、停戦の日に工員へ『よかったな』って言えなかった」


「なぜ」


ノインが尋ねる。


「翌週から仕事がないって分かってたからだ」


ミラは何も言わなかった。


「戦争が終わったら、平和の注文が来ると思ってた」


パウルが続ける。


「壊れた橋。線路。家。農機具。いくらでも作るものはある。だが橋を直す市には金がない。農家には新品を買う金がない。国は軍需代金を払うだけで空っぽだ」


『では、必要は存在するが、購入能力が存在しない』


「そうだ」


『需要がないのではなく、需要を取引へ変換できない』


「その言い方は気に食わんが、そうだ」


ミラが工場の奥を見る。


「じゃあ、何を要求してる」


「仕事だ」


「具体的に」


「何でもいい」


「それじゃ交渉できない」


「分かってる!」


初めてパウルの声が大きくなった。


「分かってるから三か月やってる!」


天井へ声が返る。


「鉄道車両なら他所が安い! 農機具なら設備が大きすぎる! 工場を半分にしろと言われた! 半分にしたら四千人はどうする!」


誰も答えない。


「兵器なら八千人で作れた!」


パウルは拳で組立治具を叩いた。


「だったら戦争があと一年続けば、少なくとも今年の冬は食えた!」


ユリアが静かに尋ねる。


「本当に、続いてほしかった?」


パウルの拳が止まる。


「……分からん」


「さっきは一年って」


「仕事だけならな」


男は目を閉じた。


「息子をもう一度前線へ送れと言われたら、嫌だ」


「弟さんの代わりに、他人の弟が行くなら?」


「嫌だよ」


「でも工場は動いてほしい」


「ああ」


「両立しない」


「知ってる」


低い答えだった。


ノインが言った。


『矛盾しています』


ミラは携帯端末を見る。


「そういう言い方するな」


パウルが先に答えた。


「いい。矛盾してる」


『どちらが本来の意思ですか』


「どっちもだ」


ノインの返答が止まった。


「戦争は嫌だ。仕事はほしい。戦争が終わってほしかった。工場は止まってほしくなかった。息子には生きて帰ってほしかった。息子の脚を吹き飛ばした奴は許せない。でも俺たちの砲弾が誰かの息子を吹き飛ばしたことも知ってる」


パウルはノインのいない工場の入口を見る。


「どれか一つだけ選べって言われても、選べん」


長い沈黙。


『理解できません』


「そうか」


『しかし、記録します』


ミラが小さく言う。


「覚えろ」


さらに沈黙。


『……はい』


そのときだった。


組立棟の奥で、金属を殴るような音がした。


一度。


二度。


続いて、鋭い蒸気音。


パウルの顔が変わる。


「何だ」


ミラは床へ手を置いた。


「圧力管だ」


「この棟の蒸気は止めてる」


「止まってない」


もう一度。


重い衝撃。


『音声を取得しました』


ノイン。


『周期〇・九秒。液撃または蒸気配管内の圧力振動と推定します』


「どこから来てる」


パウルが走り出す。


「第三蓄圧棟だ!」


工場の裏。


煉瓦造りの低い建物。


扉を開けた瞬間、熱気が流れ出た。


中央に巨大な蒸気蓄圧槽。


戦時中、工作機械の起動負荷を平準化するために使われた設備だった。


運転停止中の札。


だが圧力計は上限近くを指している。


「何で圧がある!」


パウルが叫ぶ。


保全員が二人、弁台の前にいる。


「地域暖房の戻り管を昨日切り替えた! 逆流したらしい!」


「安全弁は!」


「固着してる!」


ミラは弁へ近づこうとした。


「触るな!」


保全員が止める。


「外殻温度が上がってる! 弁蓋が飛ぶぞ!」


『圧力値を読み上げてください』


ノインの声。


保全員が計器を見る。


「規定の一一六パーセント!」


『蓄圧槽容量は』


「四十立方!」


『蒸気温度』


「百八十九!」


数秒。


『主安全弁を開けた場合の排出量では、圧力低下まで約四分。ただし固着状態での強制操作は危険です』


「四分もない」


ミラは槽の外壁を見る。


中央部。


薄く汗をかくように水滴が出ている。


「膨らんでる」


パウルが顔色を変えた。


「破裂するか」


「分からない。でも待ちたくない」


『代替排出経路を要求します』


パウルが配管図を壁から引き剥がす。


「南が地域暖房。北が旧蒸気タービン。西は熱処理炉。東は凝縮水戻り」


『北側タービンへ逃がしてください』


「駄目だ」


パウルが即答する。


「タービンは十五年前から止めてる。軸が固着してる」


『回転させる必要はありません。排気側を開放し、通過経路として――』


「タービン内部で翼が飛べば配管ごと裂ける」


「西は」


ミラが聞く。


「熱処理炉へ入る。炉側の主弁は解体した」


「南」


「町の暖房管だ。全圧を入れたら民家の放熱器が破裂する」


「東」


「戻り水だ。蒸気を入れる設計じゃない」


ノインが数秒黙った。


『代替案を再計算します』


ミラは床へ耳を近づけた。


東側の管。


低い水音。


西。


空。


南。


水が動く。


北。


金属音。


だが一定ではない。


「北のタービン、本当に軸が固まってるか」


パウルが答える。


「回したのは終戦前が最後だ」


「十五年前じゃないのか」


「あれは発電運転だ。戦争中、非常用に空回しはしてた」


「いつ最後に」


「四か月前」


ミラは立った。


「なら使う」


『先ほどの情報と異なります』


ノイン。


「現場じゃそういうことがある」


パウルが苦い顔をする。


「でも軸受け油は抜いた」


「回転させなきゃいい。排気側は開くか」


「復水器を外したから、外気へ抜ける」


「じゃあ蒸気を通す。主軸は制動器で固定」


『固定状態で蒸気を通せば、第一段翼へ局所荷重が集中します』


「何分持つ」


『実機状態を確認できません』


「私が見る」


ミラはタービン室へ走った。


古い発電タービン。


外装は錆びている。


点検蓋を開く。


内部を灯りで照らす。


第一段翼。


表面錆。


一枚に欠け。


だが基部は残っている。


主軸を手で押す。


動かない。


完全固着ではない。


制動器が噛んでいるだけだ。


「パウル!」


「何だ!」


「制動器を残して排気を全開! 入口は一割から入れる!」


「翼が持つ保証は!」


「ない!」


『私は入口開度七パーセントを推奨します』


ノイン。


「何で」


『第一段翼の推定劣化を安全側に補正』


「七じゃ圧が落ちる前に槽が持たない!」


『では九パーセント』


「十二」


『高すぎます』


「実物は翼より外殻の方が厚い。壊れるなら中からだ。破片は外へ出にくい」


『確証は』


「ない」


パウルが二人の会話を聞いている。


「どっちだ!」


ノインが答える。


『私の推奨は九パーセントです』


ミラも答える。


「私は十二」


「割れたら?」


「私の方が危険は高い」


「でも圧は早く抜ける」


「そうだ」


パウルが圧力計を見る。


針がさらに上がった。


「十二だ」


『異議があります』


「聞いた」


ミラは主弁の脇へ立った。


「実機判断は私だ」


短い間。


『受理します』


パウルが排気弁を全開にする。


ミラが入口弁を開く。


五。


八。


十二パーセント。


蒸気がタービンへ流れ込んだ。


建物全体が震える。


第一段翼へ当たる音。


激しい。


だが外殻は持つ。


「圧力!」


「一一二!」


「下がってる!」


『入口十二パーセントを維持』


十秒。


二十秒。


タービン室の温度が上がる。


「一〇八!」


「もっと開けるか」


パウルが聞く。


「駄目だ」


今度はミラが即答した。


「翼の音が変わった」


『周波数変化を確認。一枚以上の変形が発生している可能性』


「十二で止める」


蒸気が白く外へ噴き出す。


長く眠っていた排気塔から、白煙が上がった。


工場門の外。


抗議していた数百人が見上げる。


止まっていた煙突の一つから。


三か月ぶりに煙のようなものが出ている。


「一〇二!」


「九八!」


圧力計の針が規定範囲へ戻る。


「入口閉じろ!」


ミラが弁を戻す。


十二。


八。


四。


ゼロ。


タービンの振動が止まった。


排気塔の白煙も薄くなる。


誰もすぐには話さなかった。


パウルが蓄圧槽へ近づく。


外殻。


まだ熱い。


だが水滴の筋は増えていない。


「持った」


ミラはタービンの点検蓋を開いた。


第一段翼。


二枚曲がっている。


一枚は先端が欠けた。


「タービンは終わったな」


パウルが言う。


「元から発電には使ってなかっただろ」


「非常用には残してた」


「蓄圧槽と工場が残った」


パウルはしばらく壊れた翼を見ていた。


「何か一つ残すには、別の何かを捨てるしかないのか」


ミラは答えなかった。


ノインが言う。


『常にそうとは限りません』


「今日はそうだった」


『はい』


「戦争も同じだったのか」


『質問の範囲が広すぎます』


パウルが笑った。


今度は少しだけ、本当に笑った。


「便利だな、その答え」


『最近学習しました』


工場門へ戻ると、抗議していた人々がまだいた。


だが、線路上の人間は少し減っている。


白い蒸気を見た者たちが、第三工廠の周囲へ集まっていた。


「再開するのか!」


「炉を動かすのか!」


「仕事が戻るのか!」


パウルは門の前へ立った。


しばらく何も言えなかった。


やがて首を振る。


「戻らん」


群衆が静まる。


「今のは事故だ。蓄圧槽が破裂しかけた。非常排気を使っただけだ」


誰かが怒鳴る。


「じゃあ、また止めるのか!」


「ああ」


「いつまで!」


「分からん!」


パウルも怒鳴り返した。


「俺にも分からん!」


人々の顔。


期待。


怒り。


落胆。


パウルは続ける。


「でも、列車は通す」


ざわめき。


「何でだ!」


「こいつらはセレネへ行く。リーヴァで止まりかけた水を直す部品を買いに行く」


「俺たちの仕事は!」


「だから要求書を持たせる!」


ユリアが顔を上げる。


パウルが彼女を見る。


「決定権がないのは分かってる。だから、セレネの交易評議会と工業金融局へ渡してくれ」


「受領記録は出せる」


「それでいい」


「融資を保証はできない」


「分かってる」


「注文も」


「分かってるって言ってる」


男は線路上の仲間を見た。


「ここで列車を三日止めても、仕事は戻らん」


群衆の中から声。


「じゃあ何のために集まった!」


パウルは答える。


「忘れられないためだ」


静かになった。


「戦争が終わった。よかった。そう言ったら、次の日から俺たちが消えたみたいになった」


工場。


八千人。


止まった旋盤。


使われない炉。


「だから、ここにいるって見せるために集まった」


線路から、一人が退く。


次に二人。


やがて人の壁が割れ始めた。


《灰走》の通る幅が開く。


ミラは最後尾へ戻った。


低床貨車のノインは、工場門を見ていた。


『ミラ』


「何だ」


『パウルは、戦争継続を望んでいたのですか』


「本人が分からないって言ってただろ」


『はい』


「なら分からない」


『戦争が継続すれば雇用は維持された可能性があります』


「そうだな」


『しかし、人的損失も継続します』


「そうだな」


『都市経済だけを評価すれば、戦争継続が有利だった期間が存在する可能性があります』


ミラはノインを見る。


「機能があることと、正しいことは別だ」


ノインは黙った。


「戦争には仕事を作る機能があった。工場を動かす機能も。国が金を集めて、物を必ず買う仕組みもあった」


『はい』


「だから正しい、とはならない」


『では、その機能だけを戦争以外へ移せばよい』


「簡単に言うな」


『技術的には可能です』


「金と法律と、誰が払うかと、誰を先に助けるかが残る」


『技術問題ではない』


「そういうことだ」


ノインは煙の止まった工場を見る。


『私は、解決案を提示できません』


「今日はそれでいい」


『役に立っていません』


「蓄圧槽を破裂させなかった」


『それは設備事故への対処です』


「全部一度に直せないなら、一個ずつやれ」


少し間。


『あなたも、ケルン工業区の雇用問題を解決できません』


「当たり前だ」


『それでも気にしている』


「悪いか」


『いいえ』


汽笛が鳴る。


《灰走》が動き始めた。


工場門の前で、パウルが油差しを片手に立っている。


交易使節へ渡す要求書は、ユリアの鞄に入った。


列車が駅を抜けようとしたとき、エマが貨物車からミラを呼んだ。


「一つ言っとく」


「何だ」


「あの工場に、昨日変なのが来てた」


ミラの顔が変わる。


「どんな」


「灰色の外套の男が二人」


ユリアも振り返った。


「何をしていた?」


「集会で喋ってた」


「内容は」


エマは線路脇へ視線を落とす。


「停戦は一時的なものだって」


ノインの琥珀色がエマへ向く。


「正統な軍が東で再編されてる。戦争が戻れば工場も再開する。兵器を作れば、また全員働けるって」


「パウルは」


「追い出した」


「いつ」


「今朝」


ミラが前方を見る。


線路は西へ続いている。


「どっちへ行った」


「車で西」


ユリアが端末を開く。


「西口閉塞所から逃げた二人と一致する可能性がある」


『アハトとの接続者である可能性もあります』


ノイン。


「《灰走》より先にいるな」


『はい』


「セレネへ向かってると思うか」


『目的地は断定できません』


「でも同じ方向だ」


『はい』


煙の止まった工業都市が後ろへ下がる。


パウルたちは戦争を始めたくて線路を塞いだわけではない。


仕事が欲しかった。


そこへ、戦争を続けたい者が「仕事を戻せる」と言いに来た。


ミラはその組み合わせが気に入らなかった。


『ミラ』


「分かってる」


『まだ何も言っていません』


「灰色の二人を追うなら、《灰走》の任務と分けて考えろ、だろ」


短い間。


『その通りです』


「攻撃目標も任務目的も事前に協議する」


『はい』


「見つけても勝手に追わない」


『あなたもです』


「分かってる」


『確認しました』


《灰走》は速度を上げる。


西の空には、工場の煙ではない細い黒煙が一本だけ見えていた。


道路を走る車両のものだった。


距離は遠い。


追いつけるかどうかは分からない。


それでも二本の軌条は、その煙と同じ方向へ伸びていた。


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