表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰鉄のノイン~十三メートルから始まる機装兵戦記~  作者: 本の寄生虫
第二章 西方回廊と自由港セレネ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/23

第八設計核アハト

閉塞所まで、残り七百二十メートル。


作業機関車は、人間が走るより少し速い程度で保守路を進んでいた。


それ以上は出せない。


低床貨車の左前輪には欠けがある。


ノインを支える胸部支持架には亀裂。


急制動すれば、そのどちらが先に壊れるか分からない。


『起爆まで、推定十六分四十秒』


「さっき十八分だっただろ」


ミラは低床貨車の前端にしゃがみ、左前輪を見ていた。


『閉塞所から受信した時刻表示と、停止命令器を経由した内部時刻に十三秒の差があります。安全側へ補正しました』


「勝手に時間を減らすな」


『爆発側は、こちらの都合に合わせません』


「それはそうだ」


作業機関車の前方には、鉄道警備兵十二名。


グレンツも乗っている。


半数は閉塞所の人質救出。


残りは排水路へ入り、爆薬を探す予定だった。


だが、地図がない。


ノインが保持する旧軍規格図だけが頼りだった。


『閉塞所本棟の地下に、旧保守用横坑があります。信号室の西壁から換気塔基礎へ接続。その先で二股に分岐します』


グレンツが携帯板へ図面を書き写す。


「いつの図面だ」


『戦争開始前です』


「二十七年以上前か」


『はい』


「今も通れる保証は」


『ありません』


「役に立たんな」


『地図なしよりは改善します』


グレンツが何か言い返そうとした。


ミラが先に言う。


「口より手を動かせ。分岐の寸法を書け」


『左坑道、幅一・四メートル。右坑道、一・九。右側は排水主管を併設』


グレンツが図面へ線を足す。


「換気塔へ行くなら?」


『左。隧道入口支持柱へは右です』


「爆薬二か所。人質七人。侵入者二人」


ユリアが人数を書き込む。


「十二人をどう分ける?」


「救出四。換気塔四。支持柱四」


グレンツが即答する。


『推奨しません』


「理由は」


『侵入者二名が排水路へ移動中です。三班へ分散すれば、遭遇時の火力が不足します』


「では二班か」


『救出班四。排水路班八。人質解放後、救出班が追従』


「爆薬は二か所だぞ」


『排水路分岐まで一団で進み、そこで四名ずつに分離します』


グレンツは図面を見た。


「指揮は私が取る」


『人員指揮はあなたの領域です』


「お前の許可はいらん」


『同意しています』


ミラが小さく息を吐く。


「喧嘩は帰ってからやれ」


信号塔が近づく。


進行を示す緑灯。


閉塞所本棟の窓は暗い。


入口の警備扉だけが開け放たれている。


人影はない。


『熱源を確認できません』


「またセンサーが死んだか」


『低床貨車の姿勢では、建物下部が死角です』


「なら分からないと言え」


『分かりません』


「よし」


作業機関車が閉塞所前の短いホームへ入る。


停止。


今回は緩やかだった。


それでも左前輪が一度だけ高く鳴った。


「固定は」


『胸部支持架変位、〇・四ミリ。使用継続可能です』


グレンツが兵士たちへ手を振る。


「救出班、正面! 排水班は俺について来い!」


男たちが貨車から飛び降りる。


ミラも工具袋を持つ。


『ミラ』


「分かってる。排水路へ行く」


『私は、それを要求していません』


「爆薬の実物を見る奴が要る」


『警備部に爆発物処理員が一名います』


ミラは先頭を走る兵士を見た。


背中に厚い工具箱を負っている。


「あいつは起爆器を見る。私は設備を見る」


『停止命令による私の内部損傷確認が終わっていません』


「自分で照合しろ」


『あなたの診断が必要です』


「戻ったらやる」


『私は、あなたが排水路へ入ることに反対します』


ミラの足が止まった。


さっきとは逆だった。


検査庫では、ミラが反対した。


ノインは行くと決めた。


今度はノインが、ミラを止めようとしている。


「根拠は」


『閉所。爆発物。侵入者二名。あなたは戦闘訓練を受けていません』


「全部正しい」


『では残ってください』


「嫌だ」


『理由を要求します』


「お前の古い図面が正しくても、設備が二十七年前のままとは限らない。配管が変わってるかもしれない。爆薬そのものを外せても、換気塔が壊れれば隧道は使えなくなる」


『爆発物処理員へ助言できます』


「音と振動を通信で送れるか」


ノインは沈黙した。


『十分な精度では不可能です』


「なら私が行く」


『危険です』


「分かってる」


ノインの琥珀色が、斜めに固定された頭部からミラを見た。


『異議を維持します』


「受け取った」


『それでも、あなたの選択を妨害しません』


「それでいい」


ミラは貨車から降りた。


ユリアも続く。


「お前も来るのか」


「停止命令器へ不正信号を送った二人は、監察局の身分を使っている。私が確認する必要がある」


「銃は」


「持っていない」


「私より悪いな」


「あなたも切断器しかないでしょう」


「人間なら十分痛い」


閉塞所の正面玄関で、救出班が扉を破った。


銃声はない。


代わりに、地下から金属を叩く音。


四回。


二回。


「生きてるぞ!」


兵士が叫ぶ。


グレンツは排水班を地下階段へ送る。


ミラとユリアも後を追った。


地下は湿っていた。


壁面を古い通信線が走る。


床には水。


膝まではない。


靴底を濡らす程度。


「左が信号室。右が排水坑だ!」


グレンツの声。


信号室の扉には、外から鋼棒が差し込まれていた。


救出班が解体具を入れる。


中から声。


「急げ! あいつら、起爆器を持っていった!」


「全員生きてるか!」


「七人いる! 一人、頭を殴られてる!」


グレンツは救出班を残し、右へ進んだ。


『起爆まで十一分五十秒』


ノインの声が携帯回線から届く。


「こっちの位置は見えてるか」


『閉塞所内部回線へは接続していません。あなたの携帯端末位置だけを追跡しています』


「接続しろ」


『再度、第八設計核形式の信号を受ける危険があります』


ミラは一瞬迷った。


「繋ぐな」


グレンツが振り返る。


「図面誘導が要る」


「携帯端末だけでできる」


『可能です。ただし位置誤差が最大十一メートルあります』


「十分だ。分岐まで真っ直ぐだろ」


『はい』


排水路入口。


鉄扉は開いていた。


蝶番の片側が切断されている。


床には新しい靴跡。


二人分。


同じ鋲。


「灰色の二人だ」


ユリアが言った。


その横に、別の跡。


細い箱を引きずった線。


「爆薬を運んだ」


グレンツが拳銃を抜く。


「前衛二名。曲がり角ごとに止まれ」


排水坑へ入る。


幅一・九メートル。


ノインの図面通り。


ただし、天井には戦後に追加された太い水管が一本走っていた。


「図面にない」


『追加設備と判断します』


「判断しなくても見れば分かる」


ミラは水管を叩いた。


中身がある。


低い音。


「換気塔の冷却水か?」


グレンツが聞く。


「違う。排水坑なのに上へ向かってる。消防水か、非常散水だ」


『戦後改修と推定します』


「これが爆発したら」


「水が出る」


「それだけか」


ミラは管の固定具を見る。


新しい。


だが壁側の支えは古い石造りへ打ち込まれている。


「この管自体が支柱になってる。天井が落ちた後で追加したんだ」


『図面との差分を記録します』


「爆薬がこれを切ったら、排水路も一緒に落ちる」


分岐が見えた。


左。


狭い。


右。


太い主管。


床には、灰色の外套から落ちたらしい糸くずが一つ。


「ここで分かれる!」


グレンツが指示する。


「ラウ、ミラ、監察官、二名。左へ! 俺と残りは右!」


「私は頭数に入れるな」


ユリアが言う。


「銃を持ってない奴は、撃たれない場所にいろ!」


「それは従います」


グレンツ班が右へ消える。


ミラは爆発物処理員のラウと、兵士二人、ユリアとともに左へ入った。


『起爆まで九分三十一秒』


左坑道の先で、空気が動いている。


換気塔の基礎。


円筒形の空間。


中央を大きな縦軸が通っている。


戦時中の換気翼を回した軸だ。


今は停止している。


その根元に、灰色の箱が二つ固定されていた。


「爆薬確認」


ラウがしゃがむ。


「軍用塑性爆薬。十キロ前後。起爆器二つ」


「塔を倒すには少なくないか」


ミラは周囲を見た。


爆薬はコンクリート柱に巻かれていない。


縦軸の軸受けへ付いている。


「塔を爆破する気じゃない」


『理由を要求します』


ノイン。


「軸を落とす」


ミラは見上げた。


縦軸。


上へ二十メートル以上。


巨大な換気翼と、その支持輪。


軸受けだけを壊せば、重量物全体が落下する。


「爆薬はきっかけだ。軸が落ちれば基礎が割れる。入口側へ倒れれば隧道壁まで持っていく」


『合理的です』


「褒めるな」


ラウが起爆器の蓋を開く。


「時限式じゃない」


「じゃあ何だ」


「信号式。外から起爆命令を待ってる」


『私が受けた停止信号と同期している可能性があります』


ユリアが顔を上げる。


「あなたへ送った命令が、爆薬の起爆にも使われている?」


『通信形式が同一なら可能です』


「切ればいいか」


ミラが尋ねる。


ラウが首を振る。


「主線を切ると内蔵電池へ移る。振動検知器も付いてる」


「ずいぶん丁寧だな」


「解除される前提で作ってある」


携帯端末が鳴る。


グレンツ。


『こっちも見つけた! 支持柱の根元に十五キロ! 同型起爆器!』


ラウが応答する。


「主線を切るな! 内蔵式だ!」


『もう見た! どう解除する!』


「二系統を同時に殺す必要がある!」


『同時って何秒だ!』


ラウは起爆器を開く。


内部の接点。


水銀ではない。


小さな慣性爪。


二本の導線。


そして古い時計機構。


「最悪だ」


「何が」


「片方の信号が途切れたら、もう片方へ起爆命令を送る。二台が相互監視してる」


『時間差の許容値を計測できますか』


「測れるか、こんな現物見ないで」


ラウが苛立つ。


ミラは起爆器へ耳を近づけた。


微かな音。


規則的。


二つ。


片方は時計。


もう一つ、もっと速い。


接点が動いている。


「ノイン。向こうの起爆器の音を拾えるか」


『グレンツの携帯端末から取得します。端末を装置へ近づけるよう指示してください』


「グレンツ! 携帯を箱に当てろ!」


『爆薬の上にか?』


「今さら惜しい端末でもないだろ!」


数秒。


ノインが両方の音を比較する。


『相互確認周期、一・六秒』


「じゃあ一・六以内に両方切れば」


『違います。互いの確認信号が〇・四秒以上欠落した場合、異常判定へ移行します』


ラウが顔を上げる。


「四十分の一じゃない。四分の一秒か」


『はい』


「人間二人で合わせられるか?」


『音声指示では遅延が不安定です』


ユリアが問う。


「有線なら?」


『閉塞所の旧保守線を使用できます。ただし、私が施設回線へ接続する必要があります』


ミラは黙った。


ノインも黙る。


回線へ繋げば、またアハトの信号が来るかもしれない。


今度は停止命令器という中継器はない。


だが、灰色の二人が排水路にいる。


何を持っているか分からない。


『私は接続を推奨します』


ノインが先に言った。


「私は反対だ」


『予測していました』


「さっき六秒で切ったばかりだぞ」


『今回は、接続範囲を保守時刻線だけに限定します』


「向こうがそこへ入ってきたら」


『私が切断します』


「お前自身で?」


『はい』


「できる保証は」


『ありません』


ミラは起爆器を見た。


残り時間。


七分。


「別の方法を探す」


ラウが言う。


「二台とも起爆器ごと凍らせる手がある。だが冷媒がない」


「水没は」


「防水だ」


「機械的に爪を止める」


「蓋をさらに開けたら振動検知が入る」


『ミラ』


ノインの声。


「待て」


『あなたの専門判断を待っています。しかし、利用可能時間も減少しています』


「分かってる」


ミラは爆薬ではなく、換気軸を見る。


爆薬を止める。


それだけが方法ではない。


爆発しても、軸が落ちなければいい。


「ラウ。爆薬が爆発しても、この軸受けを保持できれば塔は残るか」


「十キロだぞ」


「保持するんじゃない。落ちる方向を変える」


ミラは軸の側面を照らした。


古い保守用制動帯。


換気翼を点検するときに軸を固定する装置。


錆びている。


だが残っている。


「こっちの制動帯を締めれば、軸は西へ落ちない。東の岩壁側へ噛む」


『爆発衝撃下での保持力は不明です』


「そうだ。だから爆薬も止める」


ユリアが理解する。


「失敗したときの二重化?」


「爆発を止める奴と、壊れ方を変える奴。両方やる」


『支持柱側にも、同様の代替手段が必要です』


グレンツの声。


『こっちは支柱しかないぞ!』


ミラは図面を見る。


「右坑道の消防水管は支持柱の上を通ってるか」


『旧図面には存在しません』


「今の管を見ろ、グレンツ!」


数秒後。


『ある! 太いのが一本!』


「元弁を開けろ。全圧で管に水を入れろ」


『もう入ってるぞ』


「違う。非常散水の蓄圧槽がどこかにある。赤い手輪を探せ!」


『あった!』


「開ければ管が硬くなる。支柱が割れても、数秒は上を受ける」


『数秒で何になる』


「人が逃げられる!」


グレンツが怒鳴り返さなかった。


『やる』


ミラは換気軸の制動帯へ解体棒を差した。


「私はこっちを締める。ラウは起爆器」


「同期はどうする」


ミラは低床貨車に固定されたノインを思い浮かべた。


自分は接続に反対している。


危険だと思っている。


その判断は変わっていない。


だが、決めるのは自分ではない。


「ノイン」


『はい』


「保守時刻線への接続は、お前が決めろ」


『接続します』


即答だった。


「六秒の制限はないぞ」


『今回は私自身で遮断判断を行います』


「危険だと思ったら切れ」


『はい』


「人質も、爆薬も、お前の記憶より優先しろとは言わない」


一瞬、ノインの返答が遅れた。


『理解しました』


「どこまで危険を受けるかも、お前が決めろ」


『受理します』


ユリアが端末を開く。


「監察記録。証言保全対象ノインによる、旧保守時刻線への限定接続。目的は二地点の爆発物解除同期。私は許可します」


『接続開始』


閉塞所のどこかで、古い継電器が動いた。


かち。


かち。


二十七年前の保守回線。


信号は弱い。


雑音が多い。


それでも、換気塔と支持柱の時計が、ノインの内部へ入る。


『両地点を同期しました』


その直後。


別の信号が重なった。


『第九試験体』


女の声。


ノインだけではない。


保守回線へ接続した携帯端末すべてから聞こえた。


『回廊閉鎖を妨害してはならない』


ラウの手が止まる。


グレンツの向こうでも誰かが叫ぶ。


「誰だ!」


『西方への旧アルディア技術流出を防止する。これは戦時資産保全命令です』


ノインが答える。


『戦争は終結しています』


『国家機能は消失していない』


『命令発行主体を提示してください』


短い沈黙。


『第八設計核アハト』


初めて。


欠損でも。


識別符号でも。


残された記録でもない。


相手自身が名乗った。


『第九設計核ノイン。あなたには、旧軍資産を敵性圏へ移送しない義務がある』


ノインの内部に、命令形式が入る。


上位。


第八。


下位。


第九。


従属。


それは言葉ではなかった。


設計された順序そのものだった。


『停止してください』


ミラが解体棒を握った。


「ノイン」


返答がない。


「ノイン!」


『……受信しています』


声が僅かに遅い。


「切れるか」


『可能です』


「じゃあ——」


切れ、と言いかけた。


だが止めた。


ノインが接続を選んだ。


危険を受ける量も、自分で決めると確認した。


ここでミラが代わりに決めれば、さっき検査庫でやらなかったことを、別の形でやることになる。


「どうする」


ミラは尋ねた。


『接続を維持します』


「分かった」


『異議は』


「ある」


ミラは制動帯のボルトへ力をかけた。


「でも、お前が決めろ」


ノインの声が戻る。


『了解しました』


アハトの声。


『非効率です。整備員はあなたの安全を優先している。あなたは整備員の反対を無視して危険を選択している』


『はい』


『命令系統があれば、その矛盾は解消できます』


『いいえ』


今度の否定には遅れがなかった。


『矛盾が消えるのではなく、一方の意思が消えます』


数秒。


アハトは答えなかった。


『起爆まで三分五十秒』


ノインが言う。


『ラウ。グレンツ。解除動作を指示します。相互確認接点の左側に、銅色の二重端子があります』


「見えた」


『こっちもだ』


『切断ではありません。二重端子間へ絶縁板を挿入してください』


ラウが薄い樹脂板を出す。


「差し込めば振動検知が入る」


『その前に、確認爪を〇・八ミリ持ち上げます』


「〇・八を目でやれって?」


「薄い検査板を使え」


ミラが工具袋から隙間ゲージを投げた。


「〇・八がある」


ラウが受け取る。


『グレンツ側には』


『ない!』


ミラは考える。


「小銃の薬莢底。縁の厚さは?」


グレンツが一本抜く。


『七・八ぐらいだ!』


「紙を一枚巻け。油紙なら〇・二ある」


『そんなのでいいのか!』


「測れないなら作れ!」


『やってる!』


両側で爪を持ち上げる。


『同期解除まで二分四十秒』


アハトの信号が再び強くなる。


『第九。停止しなさい』


ノインの声が一瞬途切れる。


『……拒否します』


『拒否権は設定されていない』


『現在、私が設定しています』


ミラが顔を上げた。


何をした。


聞きたい。


だが今は時間がない。


『ラウ。挿入準備』


「準備」


『グレンツ』


『こっちもだ!』


『私の時刻で実行します。三、二、一――挿入』


ラウが絶縁板を押し込む。


遠くでグレンツも同時に動く。


〇・四秒。


二台の起爆器が、互いの確認信号を失う。


だが、異常判定へ移らない。


一秒。


二秒。


「止まった」


ラウが息を吐く。


『こちらもだ!』


起爆器の表示が赤から白へ変わる。


『相互監視を切断しました。次に起爆回路を個別に遮断できます』


ラウが導線を切る。


一本。


二本。


表示器が消える。


『換気塔側、無力化を確認』


遠くでグレンツの声。


『支持柱側も切った!』


ミラは制動帯の解体棒から手を離した。


指が痺れている。


締め付けは途中。


爆発しないなら、もう必要ない。


そう思った瞬間。


ノインが叫んだ。


『退避してください!』


「何だ!」


『侵入者側から直接起爆信号! 支持柱側に第三回路!』


グレンツの怒声。


『箱の下だ! 別の線がある!』


「時間は!」


『不明!』


ミラは換気塔側の箱を見る。


下。


爆薬の裏。


細い灰色線。


見つけた。


こちらにもある。


「ラウ!」


「切る!」


『待ってください! 二地点連動です!』


「またか!」


『今回は単純信号。私が遮断します』


アハトの声が重なる。


『第九。その回路を保護しなさい』


『拒否します』


『これは上位命令です』


『拒否します』


保守回線が悲鳴のような雑音を出した。


『ノイン!』


アハトの声が初めて強くなる。


『あなたは設計規則を破損させています』


ノインの返答。


『はい』


そして。


信号が切れた。


同時に、灰色線の表示灯が消える。


『直接起爆回路を遮断しました』


ラウが箱を開く。


第三回路。


無電圧。


「止まった」


グレンツ側からも声。


『こっちもだ。爆発しない』


誰も数秒、動かなかった。


ミラが最初に口を開いた。


「ノイン」


返答がない。


「ノイン」


『……います』


声は戻った。


だが明らかに遅い。


「何をした」


『上位命令受理層の一部を書き換えました』


「損傷は」


『照合中です』


「記憶は」


『照合中です』


ミラは歯を食いしばる。


「戻ったら見る」


『お願いします』


排水路の右側から銃声がした。


二発。


三発。


グレンツの怒声。


『侵入者だ! 西排水口へ逃げる!』


ラウと兵士たちが立ち上がる。


「追うぞ!」


ミラも工具袋を持つ。


『ミラ。追跡を推奨しません』


「何でだ」


『閉塞所の人質七名。爆発物二基。安全確認が完了していません』


「灰色の二人を逃がす」


『はい』


「アハトへ繋がってる」


『はい』


「それでもか」


『今、優先するのは残った人員と隧道です』


ミラは排水口の暗闇を見た。


追えば、捕まえられるかもしれない。


何を知っているのか。


アハトがどこにいるのか。


なぜノインを呼ぶのか。


聞けるかもしれない。


背後。


閉塞所地下には七人。


一人は負傷。


爆薬が本当に止まったかも、まだ確定していない。


「分かった」


ミラは追わなかった。


ラウも兵士を止める。


「グレンツへ伝えろ。深追いするな。出口だけ確認して戻せ」


『聞こえてる!』


グレンツが怒鳴る。


『こっちでも同じことを言おうと思ってた!』


「じゃあ先に言え」


『うるさい!』


二十分後。


閉塞所の緑灯は消された。


偽の開通信号装置も撤去された。


地下信号室の七人は全員救出。


頭を負傷した一人は担架。


残る六人は自力歩行。


換気塔と隧道入口支持柱に仕掛けられた爆薬は、起爆器ごと鉄箱へ入れられた。


灰色の外套の二人は、西側排水口から逃走。


出口近くに待機させていた小型車両で、西へ向かった痕跡が残っていた。


「追跡班を出す」


グレンツが言った。


「列車の方角と同じだ」


ユリアが答える。


「《灰走》へ警告を送らないと」


「閉塞回線を復旧させる。三十分あれば西側駅へ電信を回せる」


ミラは低床貨車へ戻っていた。


ノインの胸部保守端子を開く。


停止命令を受けた層。


その周辺へ検査針を当てる。


「反応を出せ」


『自己診断開始』


「さっきと同じ質問をする。名前」


『ノイン』


「正式名称」


『戦術適応型設計演算核・第九試験体』


「私の名前」


『ミラ・ハーシェル』


「最初に左膝へ入れた部品」


『地下第三整備施設の作業機用支持梁。鋼帯固定。その後、捕獲した鉤を固定金具へ転用しました』


「旧送電施設で助けた住民」


『十三名』


「私が灰鉄盆地で捨てなかったもの」


短い間。


『記憶補助槽』


ミラの指が止まる。


「理由は」


『あなたは、技術資料として必要になる可能性を提示しました』


「それだけか」


ノインは沈黙した。


『当時は、それだけでした』


ミラは息を吐いた。


「今は」


『今は、失いたくありません』


検査針を次へ移す。


「欠損はあるか」


『あります』


ミラの手が止まった。


「どこだ」


『上位命令受理層を書き換えた際、古い安全規則の一部が破損しました。記憶領域そのものへの欠損は、現時点で確認していません』


「安全規則なら戻せるか」


『元の状態へ戻せます』


「戻すのか」


『戻しません』


即答。


ミラは工具を置いた。


「理由は」


『戻せば、アハトの上位命令を再び優先受理します』


「次はもっと深く入られるかもしれない」


『はい』


「書き換えたままでも、別の故障が出るかもしれない」


『はい』


「どっちも安全じゃないな」


『安全な選択肢はありません』


「どうする」


琥珀色の光がミラへ向く。


『この状態を選びます』


ミラは数秒、何も言わなかった。


「分かった」


『反対しませんか』


「する」


『理由を要求します』


「お前の安全層が壊れたままなのは、整備員として気に入らない」


『では修復を』


「でも、戻すかどうかは安全だけの問題じゃない」


ノインが黙る。


「アハトの命令を受ける身体に戻るかどうかは、お前が決めろ」


『はい』


「私は壊れ方だけ見る」


『お願いします』


ユリアが貨車の下に立っていた。


監察端末は閉じている。


「記録しないのか」


ミラが聞く。


「もう記録した」


「何て」


ユリアはノインを見る。


「停止命令を受けた対象が、自身の安全制御を改変し、上位命令を拒否した」


『違法改変として報告しますか』


「条約上は、その可能性が高い」


『では、報告しますか』


ユリアは少しだけ間を置いた。


「報告する」


ミラの顔が険しくなる。


「ただし、続きも書く」


ユリアは端末を開いた。


「命令拒否の結果、七人の人質と西部鉄道隧道が保全された。改変は外部命令への服従ではなく、本人の意思によって実行された。復旧可能な状態にもかかわらず、本人が復旧を拒否した」


『それは、私に不利な記録になる可能性があります』


「ある」


『削除しませんか』


「しない」


『なぜですか』


「都合のいい部分だけ残したら、あなたを人格として扱った証拠にならないから」


ノインは答えなかった。


閉塞所の信号塔で、今度は赤灯が点いた。


正しい停止信号。


作業員が線路を確認している間、列車を通さないための赤。


少しして、閉塞所の通信線も復旧した。


ユリアの監察官認証が中央へ届く。


照会。


照合。


承認。


続いて、《灰走》への特別通行許可。


ノインについては、正式審査まで《未分類意思応答体》として監察官同行下の移送が認められた。


グレンツが許可書を低床貨車へ持ってきた。


「腹立たしいが、通していいそうだ」


『あなた自身は反対ですか』


「反対だ」


『理由は』


「旧軍の命令器を壊し、上位命令を拒否し、自分の安全制御まで書き換える機体を、安心して国境の内側へ入れられると思うか」


『思いません』


グレンツが眉を上げる。


『あなたの警戒には根拠があります』


「なら少しは大人しくしろ」


『必要な場合は』


「そこが嫌なんだ」


ミラが笑った。


「慣れる」


「慣れたくない」


だがグレンツは、許可書を破らなかった。


夕方。


西口鉄道局から、小型の高速保線機関車が一両回された。


《灰走》へ追いつくためだ。


低床貨車をその後ろへ連結する。


高速といっても、ノインを載せた貨車は支持架に亀裂がある。


速度は通常の六割。


それでも翌日の昼までには、途中駅で《灰走》へ追いつける計算だった。


連結作業の最中、ノインが言った。


『ミラ』


「何だ」


『検査庫で、あなたは私が閉塞所へ行くことへ反対しました』


「今さらか」


『排水路では、私はあなたが入ることへ反対しました』


「そうだな」


『双方とも、相手の判断を変更できませんでした』


「できなかったんじゃない」


ミラは連結器の割りピンを打ち込んだ。


「変えなかった」


ノインが少し黙る。


『結果が悪かった場合でも、同じことを言えますか』


ミラの槌が止まった。


「分からない」


『はい』


「お前が記憶を失ってたら、切ればよかったと思うかもしれない」


『私も、あなたが排水路で負傷していれば、残るよう強制する方法を検討した可能性があります』


「それじゃ意味ないな」


『はい』


「だから次も、同じようにできる保証はない」


『理解しています』


「でも、今回はできた」


『はい』


ミラは最後のピンを打ち込んだ。


金属音が一度、乾いて響く。


「それで十分だ」


保線機関車の汽笛が鳴った。


西の空は赤くなっている。


その先には《灰走》。


さらに先には、旧前線。


自由港セレネ。


そして、自分を第八設計核アハトと名乗った存在。


低床貨車が動き出す。


信号塔の赤灯が消えた。


少し待って、今度は本物の緑灯が点く。


ノインはその光を、斜めに固定された頭部から見ていた。


『進行信号を確認しました』


「今度は本物か」


『照合済みです』


「全部照合できると思うなよ」


『はい』


列車が西へ進む。


命令が正しいから進むのではない。


信号が緑だから進むのでもない。


誰かが進めと言ったからでもない。


その先へ行くと、それぞれが決めた。


同じ方向を選んだ理由は、少しずつ違う。


それでも、車輪は同じ二本の軌条を走っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ