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灰鉄のノイン~十三メートルから始まる機装兵戦記~  作者: 本の寄生虫
第二章 西方回廊と自由港セレネ

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16/23

未分類意思応答体

西部鉄道隧道を抜けた瞬間、空の色が変わった。


灰ではない。


薄い青の下に、白い雲が浮かんでいる。


線路の両側には濡れた草が生え、岩肌から細い水が流れていた。灰鉄盆地では油と鉄粉の臭いを運んでいた風が、ここでは土と苔の臭いを運んでくる。


《灰走》の機関車が長く汽笛を鳴らした。


応答する汽笛はない。


代わりに、隧道西口を囲むコンクリート陣地から、青白い信号弾が上がった。


前方停止。


線路を横切る鋼製遮断柵が降りる。


その左右には、土嚢に囲まれた機関砲座が二つ。


砲身は列車へ向いていた。


『西側検問施設を確認。武装人員四十六。固定火器四門。装輪車三台』


「数えるな。余計に警戒される」


『周辺認識を停止しますか』


「声に出すなって意味だ」


『了解しました』


低床貨車へ固定されたノインは、頭部を胸側へ傾けたままだった。


琥珀色の補助光学器から見えるのは、貨車の床と遮断柵の下端だけだ。


貸与された偵察無人機も、隧道内での救助後に回収されている。


ノインは列車の振動と、車内通信、貨車脇を通る靴音だけで状況を読んでいた。


《灰走》が遮断柵の三十メートル手前で停止する。


今度はすべての制動器が正常に働いた。


だが、車輪が止まっても砲口は下がらない。


駅舎から白い腕章をつけた兵士が出てきた。


続いて鉄道局員。


最後に、長い革外套を着た男が現れる。


襟には西方協約鉄道警備部の徽章。


男は列車先頭でオスカーの書類を受け取り、数枚めくったところで手を止めた。


「リーヴァ自治評議会交易使節。装甲列車《灰走》。積荷、圧延鋼材、鉄道部品、工作機械部品」


「書いてある通りだ」


オスカーが答える。


「保線車両との接触事故あり」


「接触してない。十一メートル手前で止めた」


「負傷者を一名収容」


「西方鉄道局の保線員だ。先に医者を寄こせ」


男は列車の後方を見た。


「負傷者の移送前に、全車両を検査する」


「脚が潰れてる。検査票を待って治るのか」


「隧道内で偽の開通信号が使用された。列車側の関与を排除できない」


「こっちは殺されかけた側だ」


「それを調べる」


オスカーが一歩前へ出る。


鉄道警備兵の銃口が上がった。


エルナの隊員も動く。


両側の指が、同時に引き金へ近づく。


「負傷者だけ先に出す」


ユリアが列車から降りた。


濃紺の外套。


銀の監察徽章。


彼女が端末を開くと、鉄道警備部の男の姿勢が僅かに変わった。


「条約監察官ユリア・メーレン。緊急人命保護権限を行使します。担架一台、衛生兵二名の通過を要求します」


「監察官の到着予定は二日後と通知されている」


「予定を繰り上げました」


「認証を」


ユリアは端末を差し出した。


男は携帯照合器へ接続する。


表示が赤く点滅した。


「中央照会不能」


「隧道回線が切られています」


「なら、本人確認もできない」


「局内暗号署名は端末内にあります」


「盗難端末でも署名は表示される」


ユリアの顔から、わずかな柔らかさが消えた。


隧道内で灰色の外套を着た二人が、監察局の先行検査を名乗った。


偽の開通信号装置。


本物に見える身分証。


その情報は、すでに西口側へ届いているらしい。


「私を疑うのは構いません」


ユリアは言った。


「その間に負傷者の脚へ血が戻らなくなる」


「負傷者の状態をこちらの衛生兵が確認する」


「なら今すぐ乗せて」


革外套の男が兵士へ合図する。


西方側の衛生兵二人が、武器を置いて兵員車へ向かった。


数分後、担架が運び出される。


若い保線員の顔は白く、右脚は添え木で固定されていた。


付き添っていた年長の保線員も降りる。


隧道内でノインを警戒していた男だ。


「所属と氏名を」


鉄道警備部の男が尋ねる。


「西方占領鉄道局、西隧道保線第三区。班長エーリヒ・ハルト。負傷者は部下のマルク・ゼン」


「列車と接触したか」


「していない」


「負傷原因は」


「天井材の崩落だ」


「なぜ閉塞信号が開通になっていた」


「知らん。こちらは短絡器を入れた」


「列車側から信号操作を受けた可能性は」


エーリヒの視線が《灰走》の後方へ移った。


低床貨車。


固定されたノイン。


「あの機装兵が列車を止めた」


周囲の兵士がざわめく。


「自律機が?」


「制動弁を操作したと聞いた」


「見たのか」


「列車が止まったのは見た。あれが何をしたかまでは見ていない」


男は一度言葉を切った。


「だが、あれが警告を送らなければ、俺たちは列車に潰されていた」


「アルディア軍機を擁護するのか」


エーリヒの顔が険しくなる。


「擁護はしていない」


低い声だった。


「西側換気所で死んだ百十二人を忘れたわけでもない。あの手の機械を信用する気もない」


男は担架を運ぶ衛生兵を見た。


「それでも、起きたことは起きたことだ」


鉄道警備部の男は答えず、書類へ何かを記入した。


「負傷者は西口診療所へ移送。班長は事情聴取のため残れ」


「先にこいつの手術を始めろ」


「医師が判断する」


担架が検問所内へ運ばれていく。


エーリヒは最後まで見送った。


遮断柵は上がらない。


代わりに、検査班が列車へ乗り込んだ。


貨物封印。


車軸。


制動管。


乗員名簿。


武器庫。


一つずつ確認される。


第四貨物車の後端では、閉じられていた制動管の閉塞弁が調べられた。


検査員が弁の取手を布で包み、固定ねじを外す。


「取手に新しい傷がある」


ミラはしゃがみ込んだ。


「工具傷じゃない。鋼線を巻いた跡だ」


「触るな」


西方の検査員がミラの手を払った。


「調査対象だ」


「見れば分かる。取手に線を巻いて、貨物扉の開閉桿へつないだ。誰かが扉を閉めたとき、弁も一緒に閉じる」


検査員が扉の裏を照らす。


隅に、切れた細い鋼線が残っていた。


「列車が隧道へ入る前に、第四貨物車の扉を閉めた者は」


オスカーが名簿を開く。


「積荷検査の後、鉄路工員が閉めた。三人いる」


「名前を」


三人が呼ばれる。


全員、リーヴァの鉄路労働者だった。


顔色が変わる。


「俺たちは線なんか巻いてない」


「扉を閉めただけだ」


「積込み前の検査では弁は開いてた!」


ユリアが鋼線の切れ端を見た。


「扉を閉める者に細工を気づかせず、制動弁だけ閉じさせた」


『列車内部の協力者を必要としない工作です』


ノインの声が貨車間回線へ流れた。


検査員たちが一斉に低床貨車を見る。


「誰が接続を許可した」


鉄道警備部の男が怒鳴る。


「列車回線へは契約上接続済みです」


ユリアが答えた。


「制動系への介入は隧道内の緊急措置に限定しました。現在は音声回線だけです」


「その機体は何だ」


「リーヴァ都市防衛外部契約機ノイン


「形式を聞いている」


ユリアは一瞬、答えなかった。


ミラが低床貨車から降り、二人の間へ入る。


「旧アルディア製の試験機だ」


鉄道警備兵の手が銃へ動く。


「自律型か」


「自分で話す」


「それは見れば分かる。人格区分は」


『戦術適応型設計演算核です』


ノインが自分で答えた。


検問所の空気が凍った。


警備兵が散開する。


機関砲座の砲身が、低床貨車へ向きを変える。


左手の三本指には武器接続封印。


右腕はない。


固定鎖で貨車へ縛られている。


それでも兵士たちには、動けない機体ではなく、二十七年間の戦争を支えた自律兵器に見えた。


「全員、貨車から離れろ!」


鉄道警備部の男が命じる。


「制御核を停止する。記憶領域を封印し、協約軍の保管所へ移送する」


「特例通行審査を申請済みです」


ユリアが言う。


「承認記録が照会できない」


「回線が切られているためです」


「なら未承認として扱う」


「私の監察権限で、照会回復までの一時保留を宣言します」


「監察官本人の認証もできない」


「端末内署名を確認したはずです」


「盗難の可能性がある」


男の視線が証拠袋へ向く。


隧道で回収した偽の開通信号装置。


監察局の身分証が使われた疑い。


そのために、本物のユリアまで疑われている。


「制御核を停止すれば、記憶が損傷する」


ミラが言った。


「兵器の記録保全より、検問所の安全が優先だ」


「ノインの記憶には、隧道工作の原記録がある」


「複製を提出しろ」


『一部の記録は私の自己調整履歴と不可分です』


「なら全領域を提出しろ」


『拒否します』


「拒否権はない」


『私は、リーヴァの暫定契約上、意思確認を必要とする構成員です』


「ここはリーヴァではない」


短い言葉だった。


だが、その一言で、左腰の契約札が急に薄いものへ変わった。


所有者なし。


最終命令者なし。


二人の暗号署名。


リーヴァの壁の内側では、それを認める採決があった。


ここでは違う。


西方協約の規則では、ノインは封印対象兵器だった。


「停止命令を準備しろ」


警備部の男が兵士へ告げる。


「待って」


ユリアの声が鋭くなった。


「ノインは隧道工作事件の直接証人です」


「機械記録は証拠物だ」


「証拠物ではなく、証言主体として扱うよう要求します」


男がユリアを見る。


「何を言っている」


「ノインは偽信号を検出し、制動系へ限定的に介入し、操作記録を自分の判断で保存した。私の許可を求め、許可範囲を守り、終了後に制御を返還した」


「高度な兵器なら可能だ」


「拒否された場合にどうするかを検討し、自分の選択として介入を決めようとしていた」


「それも制御結果だ」


「人間の判断も、神経系の制御結果だと言えます」


周囲が静まる。


男の目が細くなった。


「監察官。あなたは違法人工人格を擁護しているのか」


「分類している途中です」


「規則は明確だ」


「証人を取り調べ前に停止し、記憶を損傷させれば、工作事件の立証ができなくなる」


「記録を抽出すればいい」


「抽出した側が編集していないと、誰が証明するのです」


ユリアは自分の端末を掲げた。


「隧道内の操作記録は、ノインと私が別々に保存しています。暗号署名も別です。照合できるから証拠になる。ノインを停止し、片方の記録だけを残せば証拠能力が下がります」


鉄道警備部の男はすぐには答えなかった。


安全規則。


証拠保全。


監察権限。


どれも西方側の制度だった。


ノインを通すための情ではない。


同じ規則同士をぶつけている。


「証人として扱う法的根拠を示せ」


ユリアは端末を操作した。


「条約監察手続規則、第四十二条。意思表示可能な未分類対象が条約違反事件の情報を保持する場合、分類確定まで証言能力を保全する」


「それは人間と、国籍未確定の人工補助員を想定した条文だ」


「適用対象に人間限定とは書かれていません」


「拡大解釈だ」


「禁止されていないことを、後から禁止扱いにはできません」


ミラはユリアを見た。


隧道の中で、ノインが言った言葉と同じだった。


ユリアも気づいている。


だが、顔には出さない。


『その解釈を支持します』


ノインが言った。


「お前は黙っていろ!」


『私の証言能力について協議されています』


「黙れと言われたら黙れ」


『拒否します』


兵士の一人が銃を構えた。


ミラは低床貨車と銃口の間へ立った。


「撃つなら、どこを狙うか考えろ」


「退け」


「胸を撃てば炉に当たる。頭を撃てば証言記録が損傷する。左手を撃っても止まらない」


兵士の銃口が迷う。


「脅しか」


「構造説明だ」


革外套の男が片手を上げた。


兵士たちが射撃姿勢を保ったまま止まる。


「一時証言保全を認める」


男は言った。


「ただし、検問所管理下の隔離線へ移す。主動力炉は待機出力。列車回線との接続を切断。武装封印を再確認。監察官と整備員以外、接近禁止」


「列車から降ろすのか」


ミラが問う。


「低床貨車ごと側線へ移す」


オスカーが即座に首を振る。


「その側線は死んでる。転轍器が錆びて動かん」


「作業員を出す」


「この列車は二日遅れてる。いつまで止める気だ」


「照会回復までだ」


「何時間だ」


「不明」


オスカーの顔が険しくなる。


「わからないことのために交易列車を止めるのか」


「違法兵器を積んで国境を越えようとした列車だ」


「書類は出してある」


「承認を確認できない」


『列車全体を停止する必要はありません』


ノインが言った。


ミラが振り返る。


「何を言う気だ」


『低床貨車だけを切り離し、隔離側線へ移動させてください。《灰走》は先行できます』


「お前を置いていくのか」


『交易品の到着遅延は、リーヴァの送電設備へ影響します』


「修理部品の選定はどうする」


『必要寸法と材質記録は、あなたへ送信済みです』


「現物を見た方が正確だと言っただろ」


『はい。しかし、列車全体を停止するより損失が小さいと判断します』


「隧道の向こうで一人残されることも含めてか」


『ユリアが残ります』


ユリアがノインを見る。


「私は残ると、まだ言っていません」


『証人保全を主張した監察官が、対象を置いて先行する可能性は低いと推定しました』


「勝手に決めないで」


『訂正します。残留を要請します』


ユリアは数秒黙った。


「残ります」


「私も残る」


ミラが言った。


『あなたはセレネで部品選定を行う必要があります』


「お前の現物を見ながら寸法を取り直す必要がある」


『記録値があります』


「右腰の曲がりは記録値より五ミリ内側だった。左膝の接続環は、列車の急制動でまた歪んでる。今の寸法を見ないで部品を買えば、合わない」


『セレネ到着後の再計測でも間に合います』


「お前が到着すればな」


『検問所で解体される可能性を指摘していますか』


「そうだ」


ノインは沈黙した。


「私が残れば、勝手に外板を開けさせない」


『あなたが拘束される可能性があります』


「旧軍歴はもう名簿に書いてある。今さら隠れられない」


『危険です』


「分かってる」


『交易使節の任務を優先すべきです』


「それはお前の判断だ」


『はい』


「私は残る」


二人の結論が違った。


どちらも同じ任務を見ている。


どちらも相手の危険を減らそうとしている。


それでも、同じ答えにはならない。


『根拠を提示しました。再検討を要求します』


「検討した」


『結果は変わりませんか』


「変わらない」


ノインの琥珀色が、固定鎖の隙間からミラへ向く。


『あなたの意思を確認しました』


「従うのか」


『従うという表現は不適切です』


「じゃあ何だ」


『異議を維持したまま、受け入れます』


ミラは短く息を吐いた。


「それでいい」


低床貨車の切り離し作業が始まった。


連結器。


制動管。


信号線。


暖房管。


最後に列車回線。


一本ずつ外される。


ノインの内部表示から、《灰走》の各車両情報が消えていく。


工作車。


客車。


兵員車。


貨物車。


最後に機関車。


オスカーの声だけが伝声器から残った。


『三日待つ。それ以上は交易期限に間に合わん』


「二日で追いつく」


ミラが答える。


『何で追う』


「それを考えるのは、置かれてからだ」


『お前はいつもそうだな』


「予定にないから止められるって言ったのはそっちだ」


オスカーが笑った。


『違いない』


エルナが低床貨車の脇へ来る。


「私は列車を守る。ミラ、お前はノインを守れ」


「役割を決めるな」


「違うなら後で直せ」


エルナはユリアを見る。


「監察官を信用していいのか」


ユリアが答えた。


「信用を要求しません。私の行動記録を残します」


「ノインと同じことを言う」


「監察対象から学ぶこともあります」


連結器が外れた。


《灰走》がゆっくり前へ動く。


低床貨車だけが、その場へ残る。


鉄の車輪が遠ざかる。


貨物。


工員。


防衛隊。


リーヴァの札をつけた列車が、西方の線路を先へ進んでいく。


ミラは小さくなる最後尾を見た。


不安がないわけではない。


だが、オスカーもエルナも、自分たちの判断で進んだ。


止める理由はなかった。


鉄道警備部の作業機関車が後方から連結される。


低床貨車を隔離側線へ押す。


錆びた転轍器が動く。


最初は半分。


作業員が槌で叩く。


もう一度。


軌条が側線へ開いた。


『転轍器先端に隙間があります』


「三ミリだ。低速なら越えられる」


『貨車左前輪の踏面に、制動時の損傷があります』


「二ミリまでなら持つ」


『二・六ミリメートルです』


「なら一度止めろ」


鉄道警備部の男が振り返る。


「勝手に作業を指示するな」


「脱線してノインが倒れたら、あんたたちの砲台へ炉が向く」


作業機関車が停止した。


ミラは線路へ降りる。


左前輪を調べる。


制動靴が砕けたとき、踏面の縁が欠けている。


数字だけなら危険。


だが欠けは外側。


転轍器を通るときに軌条へ触れる場所ではない。


「そのまま通せ。速度は人の歩幅以下」


鉄道警備部の男が問う。


「危険ではないのか」


「危険だ。脱線する危険より、ここで車輪を交換して夜になる危険の方が大きい」


「夜になると何がある」


「灰色の外套が二人、閉塞所へ向かったんだろ」


男の顔が変わる。


「西口閉塞所との連絡は、まだ戻っていない」


「そいつらが消えたと思うか」


誰も答えなかった。


低床貨車が転轍器へ乗る。


左前輪。


隙間を越える。


一度、車輪が鳴る。


ノインの固定鎖が張る。


脱線しない。


貨車は隔離側線へ入った。


三方をコンクリート壁に囲まれた短い線路。


正面には閉じた検査庫。


背後では、鉄製の遮断柵が下りる。


鉄道警備部の男が書類を持ってきた。


「一時証言保全対象。名称、ノイン。分類、未確定自律兵器」


「兵器は消せ」


ミラが言う。


「武装回路を持つ」


「今は武器がない」


「軍用設計核だ」


「証人なんだろ」


男は書類を見た。


「分類欄を空白にはできない」


ユリアが手を出す。


「未分類人工人格」


「人格と確定していない」


「だから未分類です」


「兵器性を落とせない」


「なら、別欄へ《旧軍用機体に搭載》と書いて。証言主体の分類と、身体の用途を一つにしないで」


男はしばらく書類を見ていた。


やがて線を一本引く。


《未確定自律兵器》


その文字を消す。


上へ書き直す。


《未分類意思応答体》


備考欄。


《旧アルディア軍用機体に搭載》


正式な人格ではない。


法的な人間でもない。


それでも、単なる証拠物や兵器とは異なる欄が作られた。


「仮の呼称だ」


男が言う。


「審査結果によっては消える」


『理解しました』


「署名は監察官が行う」


『私の署名欄はありませんか』


「ない」


『証言保全対象本人の同意を確認する欄を追加してください』


「規則にない」


『私を意思応答体として記録するなら、応答を記録してください』


男は額を押さえた。


「面倒な対象だ」


「慣れる」


ミラが言った。


ユリアが小さく息を吐いた。


「私も同じことを言われました」


書類の下へ、細い線が一本引かれる。


《対象の同意》


ノインの暗号署名が印字された。


次にユリア。


最後に鉄道警備部の男。


隔離検査庫の扉が開く。


内部は暗い。


天井走行機。


診断端子。


機体固定用の鎖。


壁際には、停止命令器が三台並んでいる。


ミラは工具袋を持ち上げた。


「ノイン。入るぞ」


『はい』


「記憶は渡すな」


『必要範囲は私が判断します』


「外板を開けるなら私を通せ」


『整備判断はあなたへ委ねます』


ユリアが二人の後ろに立つ。


「私は、手続き違反がないかを見る」


「違反があったら」


「止めます」


『私たちをですか』


「検査官を含め、違反した側を」


三人は検査庫の中へ入った。


扉が閉じる。


外では、西口閉塞所との通信がまだ戻っていない。


灰色の外套を着た二人も見つかっていない。


《灰走》は先へ進んだ。


ノインとミラは残った。


同じ列車を選んでも、同じ場所へ同時に着くとは限らない。


それでも、どちらかが相手の意思を曲げたわけではなかった。


異議を残したまま。


危険を理解したまま。


別の結論を受け入れて、次の扉へ入った。


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