灯りを渡す
灰旗団の機装兵が、東貨物区の操車塔を踏み倒した。
鉄骨が折れる。
信号灯が傾き、青白い火花を散らしながら線路へ落ちる。
敵機は止まらない。
全高はノインより僅かに低い。
厚い胸部装甲。
短い脚。
右腕に機関砲。
左腕に、建造物を破壊するための大型破砕槌。
旧アルディア軍の量産型だった。
肩と胸部には所属標章を削った跡があり、その上から灰色の布が巻かれている。
機関砲が火を噴いた。
砲弾はノインではなく、貨物区中央に据えられた三号変圧器へ向かう。
ノインが射線へ入った。
外付け油圧筒が伸びる。
右脚。
遅れて左脚。
急制動のできない身体を、変圧器の前へ滑り込ませる。
砲弾が右胸部へ当たった。
一発。
二発。
剥がれていた装甲の隙間から入り、内部骨格を叩く。
金属片が搭乗区画の外壁へ当たった。
『右胸部補助骨格を損傷。主動力炉への貫通なし』
「変圧器は」
『損傷していません』
「次も受けるな。砲身を見ろ」
『戦闘制御を開始します』
ノインの声から、説明の間が消えた。
敵機の機関砲が旋回する。
次の射線。
周囲の防衛隊員。
巻取車。
三号変圧器。
東貨物区の臨時制御盤。
すべてが正面表示へ重ねられる。
『エルナ。装輪車を変圧器南側へ移動。射線を遮らず、煙幕を東へ展開してください』
伝声器からエルナが答える。
『了解。第二班、煙幕弾! 工員は制御盤の陰へ!』
『送電班。一次側遮断器を開放したまま維持。私が指示するまで閉じないでください』
東貨物区の工員たちが、変圧器の下へ走る。
太い送電電纜を引く者。
接続端子の酸化膜を削る者。
古い制御盤へ臨時同期器をつなぐ者。
誰もノインが何者なのかを尋ねなかった。
尋ねる時間がない。
敵機が二度目の射撃を始める。
ノインは左へ進んだ。
右腰の油圧筒が身体を押す。
左大腿の筒が遅れて伸びる。
二本の脚が揃う前に、砲弾が通過した。
巻取車の側板が裂ける。
送電電纜の被覆が一部削れた。
「電纜を見せろ!」
ミラは搭乗口を開いた。
『機体外へ出る必要はありません。導体の損傷はありません』
「被覆の深さは、お前の光学器じゃ見えない」
『戦闘中です』
「だから今見る」
ミラは胸部から外へ出た。
外付け油圧管を足場にし、腰部から巻取車へ飛び降りる。
送電電纜の表面には、弾片が斜めに走った跡があった。
第一被覆は裂けている。
その下の絶縁層には届いていない。
「使える! 絶縁布を二重に巻け!」
工員が電纜を持ち上げる。
ミラも布を引き、裂けた箇所へ巻いた。
敵機が煙幕を破って出てくる。
機関砲の照準が下がる。
こちらを見ている。
『ミラ。伏せてください』
「まだ留め具が——」
『三秒後に射撃されます』
ミラは電纜から手を離した。
工員の肩を掴み、巻取車の陰へ引き倒す。
機関砲が鳴る。
ノインが左手を差し出した。
作業機の把持爪へ付け替えられた三本指。
砲弾が掌を叩き、中央の把持爪を弾いた。
左手が押し戻される。
『左手中央把持器、駆動率四三パーセント』
「手を盾にするな!」
『あなたと送電電纜が射線上にありました』
「理由は聞いてない。次は肩で受けろ」
『搭乗区画への衝撃が増加します』
「私は伏せる。手は戦闘に残せ」
一瞬だけ沈黙。
『了解しました』
敵機は撃ちながら前進する。
操縦者は変圧器を破壊できないと判断し、距離を詰め始めた。
機関砲の残弾を温存し、破砕槌で直接壊すつもりだ。
ノインが後退する。
だが外付け油圧器では、前進と同じ速度でしか下がれない。
一歩動くたび、背部の蓄圧槽残量が減る。
『外部油圧による移動可能時間、八分十六秒』
ミラは搭乗区画へ戻った。
「変圧器への接続は」
『送電班、報告を要求します』
制御盤の工員が叫ぶ。
『一次側接続完了! 二次側は水環臨時母線! 同期器は旧式だ、位相表示が一つ死んでる!』
『死んでいる表示器を指定してください』
『第三相!』
『私が補完します。同期情報を機体へ接続してください』
工員が信号線を持ち、ノインの胸部端子へ走る。
敵機の機関砲がそちらへ向いた。
ノインが右へ出る。
外付け油圧筒が伸び切る。
反応の遅い左脚が地面を擦る。
砲弾が右肩の欠損部へ入り、残っていた配線を吹き飛ばした。
『右肩外部信号端子を喪失』
「胸部端子は」
『維持しています』
工員が信号線を差し込む。
三号変圧器の状態が、ノインの内部へ流れ込んだ。
電圧。
周波数。
位相。
水環区側の残存負荷。
中央診療院。
浄水第一ポンプ。
非常照明。
一つずつ、暗い表示器に並ぶ。
『主動力炉出力の同期を開始します』
ノインの胸部で、炉の音が変わった。
これまで機体の内側だけを巡っていた力が、高圧電纜へ流れ始める。
巻取車の電纜が震える。
三号変圧器が低く唸る。
工員たちが退避する。
敵機も変化に気づいた。
灰色の機体が走り出す。
ノインより速い。
本来の軍用関節。
高出力の人工筋肉。
破砕槌を低く構え、変圧器へ一直線に向かう。
『同期完了まで二十二秒』
「接続を切って避けるか」
ミラは尋ねた。
『切断すれば、再同期に最低四分必要です』
「敵が来る」
『確認しています』
「なら、どうする」
『接続を継続します』
ノインは変圧器の前へ立った。
右脚を後ろへ。
短くなった左脚を前へ。
外付け油圧筒を縮め、衝撃に備える。
『ミラ。送電設備の状態判断を委ねます』
「受ける」
『敵機への対応は私が行います』
「任せる」
破砕槌が振り上げられる。
敵機の操縦者が外部拡声器を開いた。
『軍用試験機! 直ちに炉を停止し、機体を引き渡せ! お前は旧アルディア軍の資産だ!』
ノインは答えない。
『命令を拒否するのか! 識別を返せ!』
敵機から旧軍規格の照会信号が送られる。
その末尾に、見覚えのある符号が含まれていた。
八。
旧送電施設で受信したものと同じ形式。
『未知の上位統制信号を確認』
「アハトか」
『断定できません』
「今は捨てろ」
『はい』
ノインは照会へ応答しなかった。
破砕槌が振り下ろされる。
狙いは左膝。
移植したばかりの太い関節。
ここを壊せば、ノインは倒れる。
変圧器への道も開く。
ミラは操縦桿へ手を伸ばしかけた。
避けろと指示するために。
だが止めた。
戦闘はノインへ任せた。
相手の動きも。
踏み込む時刻も。
どの部位を危険へさらすかも。
『ミラ。右腰第二減圧弁を閉鎖準備』
「閉めれば圧力が跳ねる」
『一・二秒だけ必要です』
「新しい膝へ横荷重が来る」
『許容可能ですか』
ミラは油圧計を見る。
右腰。
左大腿。
配管温度。
古い減圧弁の漏出量。
理論上の上限は、すでに越えている。
だが作動桿の振動は一定。
油に泡もない。
左側の配管は温まっている。
一・二秒。
その間だけなら。
「一・四秒まで持つ」
『一・二秒で十分です』
「お前の時刻で言え」
『了解しました』
敵機が最後の一歩を踏み込む。
破砕槌が落ちる。
ノインは動かない。
『まだです』
槌の先端が、正面表示いっぱいに迫る。
『閉鎖』
ミラは右腰第二減圧弁の手動桿を引いた。
古い弁が完全に閉じる。
逃げていた油圧が、一気に右腰の筒へ集中した。
圧力計の針が目盛りを越える。
「今だ!」
ノインの身体が横へ跳ねた。
走ったのではない。
油圧筒に押し飛ばされた。
十八メートル必要だった旋回を捨て、右へ一・七メートルだけ滑る。
破砕槌が左膝を掠めた。
外装を剥がし、床へ落ちる。
槌の先端は、ノインの背後にあった貨物線の転轍機へ突き刺さった。
鋼板が割れ、破砕槌が内部の連結棒へ噛み込む。
敵機の左腕が止まった。
『開放』
ミラが弁を戻す。
圧力が逃げる。
右腰の油圧筒から黒い油が噴いた。
外筒に亀裂。
だが折れていない。
「右腰はあと一回だ!」
『一回を確認』
ノインの三本指が、敵機の右腕へ伸びた。
機関砲の放熱筒を掴む。
中央把持爪。
残った二本の指。
完全には閉じない手を、砲身の根元へ押し込む。
敵機が射撃する。
砲弾が地面へ連続して突き刺さる。
ノインは銃口を上へ逸らした。
貨物倉庫の屋根が裂ける。
『敵機機関砲、残弾十二』
敵機が右腕を引く。
ノインの左手が滑る。
掌の砲弾痕から金属片が落ちる。
「握れないなら、挟むな!」
『代案を実行します』
ノインは指を閉じるのをやめた。
三本指を機関砲の支持架へ差し込み、手首を九十度回す。
把持ではない。
自分の手を梃子として使う。
支持架が曲がる。
砲身が敵機の胸部へ押しつけられた。
敵機は撃てない。
だが左腕の破砕槌が、転轍機から抜け始める。
『エルナ。牽引索を敵機右足首へ』
『準備してる!』
煙幕の中から、都市防衛隊の装輪車が現れた。
後部巻上機から索が放たれる。
鉤が敵機の足首を回り、線路の間へ落ちる。
隊員二人が走り、索を転轍器の支柱へ回した。
『固定完了!』
『巻いてください』
装輪車の巻上機が唸る。
敵機の右脚が後ろへ引かれる。
左腕は破砕槌に拘束。
右腕はノインが押さえている。
それでも、量産機の出力は強い。
右脚を踏ん張り、装輪車ごと引きずり始めた。
『同期完了まで五秒』
「ノイン、炉出力が落ちるぞ」
『確認しています』
『四秒』
敵機の右肩が動く。
ノインの左手から機関砲を引き剥がそうとする。
『三秒』
ノインは右脚を前へ出した。
敵機の懐へ入る。
「何をする気だ」
『送電開始後に必要な姿勢を確保します』
『二秒』
ノインの右肩。
腕のない、剥き出しの肩骨格が、敵機の胸部へ当たる。
左手で右腕を押さえたまま、身体全体を預ける。
『一秒』
三号変圧器の遮断器が閉じた。
轟音。
白い火花。
ノインの主動力炉から、都市へ電力が流れた。
正面表示の灯りが一斉に暗くなる。
機体制御出力、一三パーセント。
左手の把持力が落ちる。
腰部人工筋肉が停止寸前まで弱まる。
ノインの全身が重く沈んだ。
だが倒れない。
右肩を敵機の胸へ当てた姿勢。
右脚を後ろへ引いた姿勢。
新しい左膝を、敵機の脚の間へ差し込んだ姿勢。
送電開始前に、その形を作っていた。
敵機が押す。
ノインは動かないのではない。
外付け油圧筒と骨格だけで、巨大な支柱になっている。
『水環臨時母線へ送電開始』
遠くで、灯りがついた。
東貨物区の信号灯。
倉庫の非常照明。
一つ。
二つ。
操車場の向こうへ、光が連なっていく。
都市中心部。
水環区。
中央診療院。
闇の中に白い線が伸びる。
「送電は安定してるか」
ミラは表示器を見る。
周波数が揺れている。
三号変圧器の温度。
炉の冷却。
水環区の負荷。
敵機の圧力。
すべてが同時に変化する。
『負荷変動、プラス九パーセント』
「浄水ポンプが戻った」
『主動力炉温度、上昇』
「冷却器を二系統とも回せ」
『機体制御電力が不足します』
「背部の鉄道用放熱管へ、油圧補給車の循環ポンプをつなぐ!」
セラが外部回線で答える。
『配管規格が違う!』
「細い方を切れ! 戻り油の継ぎ手が同じ径だ!」
『油と冷却水が混じる!』
「今は冷やせればいい! 炉側には入れない、放熱管だけ回す!」
工員たちがノインの背部へ走る。
外付け配管を切る。
補給車から冷却水を送る。
継ぎ目から水が噴く。
半分以上が地面へ漏れた。
それでも放熱管の温度が下がる。
『主動力炉温度上昇率、低下』
「送電は私が持たせる。戦え」
『了解しました』
敵機が破砕槌を捨てた。
左手の固定具が外れる。
自由になった左腕で、ノインの胸部を殴る。
一発。
搭乗区画が揺れる。
ミラの肩が固定帯へ食い込む。
二発目。
ノインの右胸部骨格が曲がる。
『敵機の左腕打撃を継続させた場合、主動力炉外殻へ到達します』
「どう止める」
『右腰油圧筒の残存使用回数、一回』
「使える」
『タイミングを指定します』
敵機が左腕を引く。
三発目。
ノインの炉を狙っている。
ノインは右肩を離した。
支えを失った敵機が、僅かに前へ出る。
巻上機の索が右脚を引く。
重心が後ろへ残る。
上半身だけが前へ倒れる。
『閉鎖』
ミラは減圧弁を引いた。
古い弁が閉じる。
亀裂の入った右腰油圧筒へ、最後の圧力が集中する。
外筒が膨らむ。
『一・〇秒』
ノインが腰を回した。
大きくではない。
十八メートルの旋回半径も必要ない。
敵機の胸部へ当てていた右肩を、下から斜めに押し上げる。
敵機の上半身が浮く。
右脚は索で後ろへ固定されている。
左脚だけでは支えられない。
『開放』
ミラが弁を戻した。
右腰油圧筒が破裂する。
黒い油が噴き上がる。
同時に、灰旗団機が横倒しになった。
地面が揺れる。
機関砲の右腕が線路へ挟まる。
ノインの三本指は、最後まで支持架から抜けなかった。
敵機の落下とともに手首が捻られる。
『左手首を損傷』
「離せ!」
『現在離します』
三本指が開く。
ノインは後ろへ一歩下がろうとした。
右腰の油圧筒は動かない。
内部人工筋肉だけでは、炉出力が足りない。
身体が傾く。
「左大腿の筒を伸ばせ!」
『右側の支持がありません』
「巻取車の電纜を張れ! 腰を支えろ!」
工員たちが巻取車の制動器をかける。
都市へ電力を送る太い電纜が張る。
電纜を牽引索として使えば切れる。
だが、倒れ始めた身体を一瞬だけ支えるなら。
ノインが左脚を踏み直す。
新しい作業機の膝が沈む。
右足を半歩移動。
傾きが戻る。
電纜は切れなかった。
『立位を回復しました』
「送電は」
『維持しています』
倒れた灰旗団機が、まだ動いている。
機関砲の支持架は曲がった。
右脚には牽引索。
それでも操縦者は左腕で地面を押し、起き上がろうとする。
胸部拡声器から声が漏れた。
『任務を……継続する。変圧器を破壊しろ……』
旧軍規格の信号が、再び敵機へ入る。
命令ではない。
短い戦術修正。
左腕を支点にする位置。
右脚へ力を戻す順番。
索を切るための身体角度。
操縦者が考えるより早く、機体へ指示を送っている。
『外部統制信号を確認』
ノインが言った。
『敵機は遠隔支援を受けています』
「切れるか」
『発信源は施設外です。受信器を破壊します』
「どこだ」
『敵機背部左側』
ノインは歩けない。
右腰の油圧筒が破裂している。
炉出力は都市へ流れている。
左手首も損傷。
それでも、三本指を上げた。
「届かない」
『届かせます』
ノインは左大腿の油圧筒を伸ばした。
左脚だけが前へ出る。
右脚は動かない。
身体が敵機の方へ倒れる。
歩行ではない。
制御された転倒。
ノインは倒れながら、左手を敵機の背部へ伸ばした。
中央把持爪が灰色の布を引き裂く。
その下にあった受信器を掴む。
二本の指で外殻を押さえ、手首を捻る。
受信器が骨格ごと外れた。
信号が途切れる。
敵機の動きが止まった。
操縦者は、自分だけで機体を起こそうとする。
だが、先ほどまで与えられていた最適な指示がない。
左腕の角度。
脚への荷重。
索を外す順番。
動きが遅れる。
エルナの装輪車が巻上機を最大まで回した。
敵機の右脚が引かれ、再び地面へ倒れる。
防衛隊員たちが走る。
胸部の非常解放装置へ切断具を当てる。
『操縦者! 炉を停止しろ! 次は胸部冷却線を切る!』
返答はない。
『生きて出たいなら止めろ!』
数秒後、敵機の炉音が低下した。
機関砲の駆動器が止まる。
左腕が地面へ落ちた。
搭乗口の緊急錠が外れる。
灰色の軍服を着た男が、両手を上げて出てきた。
エルナの隊員が拘束する。
ノインは片膝をついたまま、動かなかった。
「ノイン」
『送電を維持しています』
「戦闘は終わった」
『敵機の炉停止を確認しました』
「機体を起こせるか」
『右腰油圧器を喪失。外部補助なしでは困難です』
「なら、そのままでいい」
ミラは固定帯を外した。
搭乗口から外へ出る。
ノインの胸部を降り、地面へ立つ。
三号変圧器の唸りが、東貨物区全体を震わせている。
高圧電纜はノインの胸から伸び、変圧器を通り、都市へ力を送っていた。
路面の非常灯が順番に点いていく。
水環区の方角から、低い連続音が届いた。
鐘ではない。
浄水ポンプ。
停止していた巨大な羽根車が、再び水を押し始めた音だった。
伝声器が鳴る。
水環区から。
『浄水第一ポンプ、再起動! 圧力上昇中!』
続いて中央診療院。
『主手術棟、都市電源へ復帰! 蓄電器切替完了!』
東貨物区の工員たちから、遅れて声が上がった。
歓声というより、長く止めていた息を一斉に吐いたような音だった。
ミラはノインの左脚へ近づいた。
新しい膝の外装が割れている。
横荷重を受けた軸には歪みがある。
だが折れていない。
古い減圧弁は、右腰油圧筒が破裂した後も作動桿を戻していた。
「膝は持った」
『あなたの判断通りです』
「右腰は壊れた」
『一回の追加使用が可能という判断も、正確でした』
「もう一回使えたかもしれない」
『使用していれば、外筒破片が搭乗区画へ到達した可能性があります』
「なら一回でよかった」
ノインの琥珀色が、ミラへ向いた。
『戦闘判断を、最後まで変更しませんでした』
「任せたからな」
『私があなたを危険にさらす動作を選択しても、介入しませんでした』
「介入しかけた」
『確認しています』
「でも、やめた」
『はい』
「お前の方が、相手の槌がどこへ来るか分かってた」
『あなたは、私の油圧器がどこまで持つかを判断しました』
「仕事を分けただけだ」
『その分担へ、互いの生存を依存させました』
ミラは古い減圧弁へ触れた。
まだ温かい。
油で濡れている。
これを選んだとき、ノインは機体を預けると言った。
今度はミラが、戦闘を預けた。
どちらかの判断が誤っていれば、ノインは倒れ、三号変圧器は破壊され、水環区は暗いままだった。
「次も同じようにするとは限らない」
『状況ごとに協議します』
「私が間違ってると思ったら言え」
『根拠を提示します』
「私もそうする」
『受理します』
エルナが捕虜を隊員へ渡し、こちらへ歩いてきた。
視線はノインの胸部。
都市へ接続された主動力炉。
壊れた油圧器。
三本指。
そして、地面に落ちた敵機の受信器へ向く。
「第二級補助人格ではないな」
ミラは答えなかった。
セラとバルトも、少し離れた場所に立っている。
整備廠の工員。
送電班。
防衛隊員。
多くの者が、ノインの戦闘と送電制御を見た。
隠し通す段階は終わっていた。
「今ここで止めるか」
ミラが尋ねた。
「都市を救った直後に接収すれば、評議会は説明を求められる」
エルナは言った。
「だから明日までは止めない、という話か」
「違う。私一人では決めない」
エルナは敵機から外した受信器を拾い上げた。
「だが、これと施設の記録は調べる。灰旗団が何に命令されていたのかもな」
ノインが受信器へ補助光学器を向ける。
『内部に、短い識別記録が残っています』
「読めるか」
『一部だけです』
ノインの正面表示に、文字が現れた。
《戦域統制設計核》
欠損。
《第八試験体》
欠損。
最後の行だけが残っている。
《アハト 稼働継続》
「廃棄されたんじゃなかったのか」
ミラが言った。
『軍の記録では、そうなっています』
「今度も記録が間違ってたか」
『その可能性があります』
東貨物区の灯りが、また一つ点いた。
続いて、遠くの炉辺区。
南外縁区。
水環区。
リーヴァ全体が、一度に明るくなるわけではない。
暗い場所を残しながら、必要な設備から順番に戻っていく。
ノインも同じだった。
右腕はない。
左手は三本。
左脚は別の作業機のもの。
右腰の油圧器は破裂した。
主動力炉は、自分の身体ではなく都市を動かしている。
完全とはほど遠い。
それでも、今の身体で必要なものを守った。
『ミラ』
「何だ」
『私は現在、自力で立位へ戻れません』
「知ってる」
『整備支援を要求します』
「工場まで運ぶ」
『あなた一人では不可能です』
ミラは周囲を見た。
送電班の工員。
防衛隊員。
装輪車。
巻取車。
油圧補給車。
ドーマたち回収組合の牽引車まで、遠くからこちらへ向かってくる。
「一人で運ぶとは言ってない」
ノインは数秒黙った。
『了解しました』
壊れた機体を起こすため、人が集まる。
誰かが牽引索を運ぶ。
誰かが走行台車を探す。
誰かが新しい油圧管を持ってくる。
所有者の命令で動く者はいなかった。
それぞれが自分にできる作業を見つけ、必要な場所へ手を伸ばしていた。
水環区の鐘は、もう鳴っていない。
代わりに、戻ったポンプの振動が地面を伝わってくる。
ノインは都市へ力を渡したまま、片膝をついている。
ミラはその足元で、次に直す場所を見上げた。
互いを使うために始まった道は、まだ終わっていない。
ただ、もう一つだけ決めなくてもよいことがあった。
どちらの判断へ命を預けられるか。
その答えは、灯りの戻った街がすでに示していた。




