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悪役令嬢、予算書を叩きつける  作者: 南蛇井


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最終章『物語の後で』Opening 「劇的さの消えた世界」

春の朝だった。


王都へ、

柔らかな陽射しが降っている。


雲はゆっくり流れ、

風は静かだった。


ただの朝。


どこにでもある、

普通の一日。


かつてなら。


空が輝き。


花弁が舞い。


運命が劇的な出会いを演出していたかもしれない。


だがもう、

そんなものは存在しない。


“劇的補正”。


それは、

世界から完全に消えていた。


偶然は、

物語みたいに重ならない。


角を曲がった瞬間、

運命の相手とぶつかることもない。


空から恋愛イベントが降ってくることもない。


絶体絶命から、

奇跡的逆転が起きることもない。


世界を救う使命も。


選ばれた主人公も。


もういない。


最初、人々は戸惑った。


静かすぎたからだ。


誰も突然覚醒しない。


伝説の武器も見つからない。


宿命の敵も現れない。


人生が、

あまりにも普通だった。


ある若者は、

「何も起きない」と嘆いた。


ある貴族は、

「刺激が足りない」と酒を飲んだ。


かつての世界は、

感情へ意味を与え続けていた。


悲劇も。


恋も。


喪失も。


全部。


“物語”として輝いていた。


だが今は違う。


誰も、

人生を演出してくれない。


だから人々は、

自分で選ばなければならなくなった。


恋人たちは、

劇的告白ではなく。


少しずつ、

少しずつ距離を縮めていく。


商人は、

失敗を繰り返しながら店を続ける。


大儲けなどしない。


潰れかける日もある。


それでも、

次の日も店を開ける。


学生たちは、

未来へ悩み続けていた。


正解はない。


保証もない。


誰かが、

「君は特別だ」と言ってくれることもない。


だからこそ。


自分で決めるしかない。


人生は、

以前よりずっと不格好になった。


遠回りも増えた。


失敗も増えた。


けれど。


本物になった。


王都の片隅。


石畳の細い路地。


そこに、

小さな喫茶店がある。


派手な店ではない。


看板も地味。


客席も少ない。


昼時を過ぎれば、

静かなものだった。


店内では、

カップの触れ合う小さな音が響いている。


レオノーラ・ヴァレンシュタインは、

そこで働いていた。


白いエプロン。


まとめた髪。


手には湯気の立つカップ。


かつて。


“悪役令嬢”と呼ばれた少女。


世界を壊し。


物語を終わらせ。


観測者と対峙した存在。


だが今の彼女は、

ただの店員だった。


貴族社会の中心でもない。


世界を変える舞台でもない。


英雄譚とも無縁。


普通の店。


普通の仕事。


普通の日々。


窓際の席では、

老人が静かに新聞を読んでいる。


若い恋人たちは、

ぎこちなく会話している。


商人が、

売上の愚痴をこぼしている。


誰も、

世界を救わない。


誰も、

主人公ではない。


けれど。


レオノーラは、

その光景を嫌いではなかった。


むしろ。


少しだけ、

気に入っていた。


彼女は窓の外を見る。


普通の空。


演出のない風。


誰にも見られていない世界。


その静けさへ、

レオノーラは小さく目を細めた。

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