シーン1「観測者本体」
観測領域最深部。
そこは、
空でも、
海でもなかった。
無限に続く、
巨大図書館。
棚。
棚。
棚。
どこまでも積み上がる、
無数の本。
古びた羊皮紙。
黒い革装丁。
金文字。
燃えるような赤。
そして。
全部に、
名前が書かれていた。
人間の名前。
王族。
貴族。
兵士。
花売り。
漁師。
子供。
死んだ者も。
まだ生きている者も。
この世界に存在した、
全員分。
ミレイユが、
震える声を漏らす。
「……なに、
これ……」
ベアトリクスは、
青ざめたまま、
術式盤を握り締めていた。
「人生脚本です……」
静寂。
彼女は、
目の前の棚を見上げる。
「未来予測じゃない……」
「確定記述です」
セシルが、
乾いた笑いを漏らした。
「はは」
「最悪更新し続けるの、
やめろよこの世界……」
誰も笑えない。
レオノーラは、
一冊の本へ視線を向けた。
革表紙。
そこには、
金文字で記されている。
【レオノーラ・ヴァレンシュタイン】
彼女は、
ゆっくり本を開く。
ページが、
勝手に捲れる。
幼少期。
悪役令嬢としての振る舞い。
断罪。
破滅。
そして。
観測者への反逆。
全部、
書かれていた。
ミレイユが、
息を呑む。
「そんな……」
さらにページが進む。
未来。
まだ起きていない会話。
まだ流していない涙。
まだ選んでいない決断。
全部、
既に記述されている。
セシルが、
低く呟く。
「人生が、
ネタバレ済みってわけか」
その時だった。
図書館の奥。
暗闇。
そこから、
無数の“気配”が現れる。
足音ではない。
ページを捲る音。
ざわり。
ざわり。
無数の視線。
そして。
人影。
輪郭が曖昧な、
半透明の存在たち。
顔が、
崩れている。
誰かの形をしているのに、
誰でもない。
ベアトリクスが、
息を止めた。
「……観測者」
だが。
以前のような、
圧倒的超越感はなかった。
むしろ。
疲弊していた。
空洞だった。
感情だけで動く、
亡霊みたいに。
一体が、
本棚へ手を伸ばす。
指先は、
ページを撫でながら震えている。
『次は』
『もっと感動を』
別の存在。
『もっと悲劇を』
また別の存在。
『泣きたい』
『愛されたい』
『心を動かしたい』
『忘れたくない』
声。
声。
声。
その全てが、
どこか必死だった。
レオノーラは、
ゆっくり目を細める。
「……貴方たち」
観測者たちは、
一斉に彼女を見る。
その瞬間。
レオノーラは、
理解してしまう。
神ではない。
怪物でもない。
彼らは。
“物語へ依存し続けた人類”だった。
現実を生きられなくなった者たち。
退屈へ耐えられなかった者たち。
感情を、
消費し続けなければ、
自分を維持できなくなった文明の残骸。
セシルが、
顔を歪める。
「……終わりだな」
低い声。
「物語ばっか食ってた結果、
自分の人生なくしたのか」
観測者の一体が、
震える声で呟く。
『だって』
『現実は』
『退屈だった』
別の存在。
『苦しかった』
『意味が欲しかった』
『物語の中だけが、
生きてる気がした』
ミレイユが、
小さく息を呑む。
怒れなかった。
あまりにも、
人間的だったから。
レオノーラは、
静かに本棚を見渡す。
無数の脚本。
無数の人生。
誰かが、
意味を欲しがった果て。
誰かが、
感動を求め続けた果て。
その終点が、
ここだった。
感情消費文明。
人生を、
“読むもの”へ変えてしまった世界の墓場。
そして。
観測者たちは、
まだ求めている。
次の物語を。
次の悲劇を。
次の主人公を。




