ラスト「シナリオ核」
地下観測室。
世界中を覆っていた断罪劇の熱狂から切り離されるように、そこだけは冷たく静まり返っていた。
術式盤の光が、青白く明滅する。
ベアトリクスは、ほとんど倒れ込むような姿勢で解析陣へ向かっていた。
髪は乱れ、指先は震え、目の下には深い隈。
それでも彼女は、止まらない。
止まれなかった。
「……おかしい」
掠れた声。
無数の術式層。
崩壊した運命律。
断罪劇を強制していた演出構造。
そのさらに奥。
今まで、絶対に開かなかった領域がある。
セシルが眉をひそめる。
「またヤバい顔してるな、お前」
「静かにしてください……」
ベアトリクスは震える指で空間へ術式を展開する。
光が走る。
世界構造図が、幾重にも分解されていく。
都市。
感情流。
観測層。
運命補正。
物語演算。
その全ての中心。
そこに――あった。
巨大な“本”。
否。
本の形をした、世界法則。
観測室の空間中央へ、黒いページ群がゆっくり展開する。
紙ではない。
光。
記録。
因果。
人生。
それらが重なり合って、“脚本”の形を取っていた。
ミレイユが息を呑む。
「……なに、これ」
ページが、勝手に捲れる。
そこには。
【王都炎上】
【主人公覚醒】
【悪役令嬢断罪】
【涙の別離】
【自己犠牲】
世界で起きた出来事が、最初から“文章”として記述されていた。
いや。
違う。
文章になったのではない。
文章通りに、世界が動かされていた。
セシルの顔から血の気が引く。
「……冗談だろ」
ベアトリクスが、ゆっくり呟く。
「運命律中枢……」
「世界演算核……」
「これが……」
一拍。
「“原初脚本”です」
沈黙。
その瞬間、観測室の空気そのものが重くなる。
まるで。
世界の心臓を覗いてしまったみたいに。
レオノーラは静かに、その脚本を見上げた。
黒いページは脈動している。
まるで生き物だ。
いや。
実際、生きているのかもしれない。
人類の感情。
観測者の期待。
“盛り上がり”。
それら全てを燃料にして、世界を動かしてきた存在。
ベアトリクスの声が震える。
「これがある限り……」
「世界は、必ず“物語”へ戻されます」
ページが捲れる。
次の記述が現れる。
【最終断罪】
【悪役令嬢、絶望】
【世界崩壊】
【感情収束・最大】
観測室の温度が下がる。
セシルが吐き捨てる。
「最後まで、盛り上げる気かよ……」
その時だった。
原初脚本の中心部。
そこへ、亀裂が走る。
レオノーラが目を細める。
「……壊れておりますの?」
ベアトリクスは、息を止めた。
解析式を走らせる。
何重にも確認する。
あり得ない結果を、何度も否定する。
だが。
答えは変わらなかった。
彼女はゆっくり顔を上げる。
「違う……」
「これは……」
掠れた声。
「壊せます」
全員が凍った。
セシル。
「は?」
「原初脚本は完全固定構造じゃない……」
ベアトリクスの指が、震えながら術式盤をなぞる。
「観測と感情によって維持されている以上……」
「逆算すれば……」
「干渉可能です」
ミレイユが、小さく呟く。
「……消せるの?」
ベアトリクスは答えない。
代わりに。
術式盤へ、赤い文字が浮かび上がった。
【原初脚本】
【破壊可能】
沈黙。
世界が止まったみたいな静寂。
そして。
空が、震えた。
巨大観客席の残骸が、ざわめき始める。
無数の視線。
無数の感情。
観測者たちが。
気付いた。
自分たちの“脚本”へ、
人類が手を掛けようとしていることに。
空の向こうから、無数のノイズ混じりの声が漏れる。
『やめろ』
『それは物語だ』
『壊すな』
『終わらせるな』
レオノーラは、静かに原初脚本を見つめた。
そこには。
彼女自身の名前も書かれている。
【悪役令嬢】
定められた役。
消費される人格。
誰かに期待された人生。
だが。
彼女は、ゆっくり笑った。
いつもの。
あの、誇り高い悪役令嬢の笑みで。
「――ようやく、舞台裏へ辿り着きましたのね」




