シーン3「小さな幸福」
夕暮れ。
王都の空は、
静かな橙色に染まっていた。
かつて港湾都市を覆っていた、
“永遠の夕焼け”とは違う。
演出ではない。
ただ、
一日が終わる色。
風が吹き、
雲が流れ、
陽が沈む。
それだけの景色。
市場通りでは、
店じまいが始まっていた。
花屋の少女が、
小さな桶へ水を替えている。
昔、
“背景人物”として消えかけた少女。
今はもう、
誰も彼女を背景とは呼ばない。
少女は、
売れ残った花を見つめて、
少し困った顔をした。
「うーん……」
考えて。
そして突然、
くすりと笑う。
「まあ、
明日また売ればいっか」
誰も見ていない。
拍手もない。
感動的な音楽も流れない。
ただ、
少女が笑った。
それだけ。
港では、
漁師たちが網を片付けていた。
「今日は少なかったな」
「その代わり、
波は穏やかだった」
疲れた顔で笑い合う。
そして。
家へ帰る。
小さな食卓。
焼き魚の匂い。
子供が今日あったことを喋り、
母親が呆れた顔で聞き、
父親が笑う。
英雄はいない。
世界も救われない。
でも。
確かに、
そこには幸福があった。
学園都市では、
学生たちが帰り道を歩いていた。
「進路、
どうする?」
「まだ決めてない」
「怖くない?」
「怖いよ」
夕風が吹く。
誰も、
運命に選ばれていない。
だからこそ。
自分で悩んでいる。
自分で選ぼうとしている。
その不格好さが、
妙に人間らしかった。
レオノーラは、
王都の丘からそれらを見下ろしていた。
隣では、
ミレイユが静かに街を眺めている。
「……地味ですね」
ぽつり。
少しだけ、
困ったように笑う。
「ええ」
レオノーラも笑った。
「地味ですわ」
風が髪を揺らす。
遠くで、
鐘が鳴る。
ただの夕刻を告げる鐘。
世界崩壊の予兆でも。
運命の始まりでもない。
それでも。
人々は帰路を急ぎ、
明日の支度を始める。
ミレイユが、
小さく呟いた。
「……でも、
なんだか安心します」
レオノーラは、
静かに目を細めた。
誰にも記録されない幸福。
歴史へ残らない人生。
感動的ではない日々。
けれど。
だから価値がない、
とは思わなかった。
むしろ逆だった。
拍手されるためではなく。
見られるためでもなく。
“生きたいから生きる”。
それだけの幸福。
レオノーラは、
沈みゆく夕陽を見ながら、
静かに言った。
「幸福は――」
風が吹く。
「拍手されなくても、
成立しますわ」
その言葉を証明するみたいに。
街のどこかで、
誰かが笑った。




