シーン1「劇的依存」
王都の朝は、静かだった。
静かすぎるほどに。
かつてなら、朝焼けには必ず意味があった。
希望の始まり。
嵐の前触れ。
運命的出会いの演出。
だが今は違う。
空は、ただ青いだけだった。
風が吹く。
市場の布が揺れる。
パン屋の煙突から、白い煙が上がる。
それだけ。
誰も世界を救わない。
誰も宿命へ選ばれない。
誰も涙ながらに愛を告白しない。
王都は、
“普通”になった。
――そして人々は、
その普通に耐えられなくなり始めていた。
広場の噴水前。
若い男が、
ぼんやり空を見上げていた。
「……なあ」
隣の友人へ、
疲れた声で言う。
「最近、何も起きなくないか?」
友人は苦笑した。
「平和なんだから、良いことだろ」
「いや……」
男は言葉を探す。
「なんていうか……空っぽなんだよ」
噴水の水音だけが響く。
「昔はもっと、こう……」
「毎日が特別だった気がする」
その瞬間。
男の視界へ、
何かが流れ込んだ。
光。
まるで夢みたいな景色。
崩れゆく世界。
炎。
涙。
剣を掲げる英雄。
運命的な抱擁。
命を賭けた告白。
胸が、
強く震える。
そして。
誰かの声が、
甘く囁いた。
『物語が戻れば』
『人生は、再び輝く』
男の呼吸が止まる。
脳裏へ、
さらに映像が流れ込む。
喝采。
拍手。
愛される感覚。
“特別な誰か”になれる幻想。
「……っ」
男は胸を押さえた。
涙が出そうになる。
それほど、
魅力的だった。
同じ頃。
王都各地で、
似た現象が起き始めていた。
夢を見る者。
幻覚を見る者。
「もし物語が戻れば」
その誘惑。
英雄になれる。
恋が生まれる。
奇跡が起きる。
人生へ意味が宿る。
観測者たちは、
再び囁き始めていた。
静かな日常の隙間へ。
“退屈だろう?”
と。
王都中央通り。
巨大な壁面へ、
誰かが落書きをしていた。
『幸福だけでは、退屈だ』
通行人たちが立ち止まる。
誰も消さない。
むしろ。
どこか、
共感してしまっている。
劇場前では、
閉鎖されていたはずの舞台へ、
再び人が集まり始めていた。
「昔の方が楽しかった」
「毎日が濃かった」
「意味があった」
危険だった。
人々は、
苦しみを忘れ始めている。
いや。
違う。
苦しみへ“意味”が与えられていた感覚を、
恋しがり始めている。
ルフレ・ノクスの思想。
それは死んでいなかった。
“劇的であること”への依存。
“感動的な人生”への渇望。
物語中毒。
夕方。
王都の丘。
レオノーラは、
静かな街を見下ろしていた。
煙突の煙。
帰宅する人々。
子供の笑い声。
平和だった。
間違いなく。
なのに。
その平和が、
人々を不安にしている。
背後で、
セシルが舌打ちする。
「来やがったな」
彼は空を睨む。
薄く、
文字が浮かんでいた。
『退屈を恐れよ』
観測者たちの囁き。
セシルは、
苦々しく笑う。
「連中、
よく分かってやがる」
「人間はな」
「平穏だけじゃ、
自分の人生を信じ切れねぇんだよ」
レオノーラは、
静かに目を閉じた。
分かってしまう。
刺激は甘い。
劇的な人生は、
麻薬みたいに人を酔わせる。
誰かに見られ、
評価され、
意味を与えられる快感。
それは確かに存在する。
だからこそ。
戦わなければならない。
“何も起きない日”を、
生きるために。




