シーン1 「ルフレ最終思想」
王国中央劇場は、もう劇場ではなかった。
半壊した天井から、赤黒い空が覗いている。
巨大魔法陣の光が、裂けた梁を照らし、崩れた客席へ長い影を落としていた。
誰も座っていない。
空席。
なのに。
歓声だけが響いている。
拍手。
喝采。
すすり泣き。
期待。
見えない観客たちの熱狂が、劇場そのものへ染み込んでいた。
まるで世界全体が、一つの巨大な舞台へ変わってしまったみたいだった。
舞台中央。
ルフレ・ノクスは、静かに立っていた。
黒い外套は破れ、指先には魔力暴走の焼痕が走っている。
目の下には濃い隈。
呼吸も浅い。
明らかに限界だった。
だが。
彼の瞳だけは、奇妙なほど澄んでいた。
恍惚。
幸福。
救済を見つけた信徒みたいな光。
レオノーラ・ヴァレンシュタインは、その姿を見て眉を寄せた。
「……まだ、止まりませんのね」
ルフレは、小さく笑った。
「止まれませんよ」
掠れた声。
けれど穏やかだった。
「だって、今が一番、美しい」
その瞬間。
劇場全体へ、ぞわりと歓声が広がった。
見えない観客たちが、彼の台詞へ酔っている。
ルフレは、ゆっくり両腕を広げた。
「美しい終幕こそ、人類最大の幸福だ」
静かな声だった。
怒鳴りでも、狂叫でもない。
祈りだった。
彼は、本気で信じている。
人間は、物語によって救われると。
「人は、終わり方を求める」
舞台照明みたいな光が、彼へ集中する。
「どれほど苦しくても」
「どれほど絶望しても」
「意味ある結末なら、耐えられる」
赤い緞帳が、熱風もないのに揺れた。
劇場そのものが、彼の言葉へ呼応している。
「だから人類は、物語を愛した」
ルフレは笑う。
寂しそうに。
優しく。
「悲劇を愛した」
「恋を愛した」
「喪失に泣いた」
「英雄へ憧れた」
「人は、“感情を動かされること”を望んできたんです」
レオノーラは、黙って彼を見ていた。
否定できない部分があるから。
人は、本当に物語を愛してきた。
救われてきた。
だから厄介だった。
ルフレは続ける。
「美しい最終幕は、祝福なんです」
彼の目尻に、涙が滲む。
「世界が滅ぶとしても」
「最後に、誰かが涙を流してくれるなら」
「誰かの心へ残れるなら」
「それは、幸福でしょう?」
その言葉へ。
客席の見えない歓声が、さらに膨れ上がった。
喝采。
拍手。
熱狂。
空そのものが震える。
巨大魔法陣が、脈打つ。
まるで。
観測者たちが、ルフレへ拍手しているみたいに。
レオノーラは、静かに言った。
「そのために、人間を苦しめるのですか」
ルフレは否定しなかった。
ただ。
穏やかに笑った。
「苦しみのない物語は、心を動かしません」
沈黙。
その一言には、恐ろしいほどの真実味があった。
幸せだけの物語は、記憶に残りにくい。
痛みがあるから、人は泣く。
喪失があるから、愛は美しく見える。
ルフレは、それを知りすぎていた。
だから壊れた。
「私は、人間が嫌いなんじゃない」
彼は呟く。
「むしろ逆です」
照明が明滅する。
舞台袖から、無数の脚本用紙が舞い上がった。
「人間の感情が、好きなんです」
「誰かが誰かを愛して」
「失って」
「泣いて」
「叫んで」
「それでも前を向く瞬間が」
「たまらなく、美しい」
歓声。
拍手。
拍手。
拍手。
ルフレは、まるで観客へ応える役者みたいに一礼した。
「だから私は」
彼は両手を広げる。
「最高の終幕を、完成させたい」
その瞬間。
舞台中央へ、巨大な演出術式が展開した。
赤。
金。
紫。
幾重もの魔法陣が、劇場全域を覆う。
客席。
天井。
舞台袖。
全部が光り始める。
歓声が増幅する。
世界中の“期待”が、ここへ集まってくる。
空の巨大魔法陣が、歓喜するように脈動した。
どくん。
どくん。
どくん。
世界そのものが、興奮している。
レオノーラは理解した。
ルフレ・ノクスは、もう一人の人間ではない。
彼は。
“物語そのもの”の代弁者になってしまったのだ。




