シーン2 「誘惑」
翌日。
王都は、明らかにおかしかった。
レオノーラ・ヴァレンシュタインが城門を出た瞬間。
風が吹いた。
柔らかく。
絶妙な角度で。
彼女の銀髪だけを、美しく揺らすみたいに。
同時に。
空の雲が割れる。
光が差す。
真っ直ぐ。
舞台照明みたいに、彼女へ降り注いだ。
花弁が舞う。
季節外れの薔薇。
誰も撒いていない。
なのに。
完璧なタイミングで。
完璧な量だけ。
空間へ散っていく。
通行人たちが足を止めた。
兵士が振り返る。
貴族が息を呑む。
子供が目を輝かせる。
ざわめきが、静かに収束していく。
視線。
全部。
レオノーラへ集中していた。
まるで世界全体が。
「この人物を見ろ」
そう命令しているみたいに。
◆
さらに異常なのは、“音”だった。
どこからともなく。
微かな共鳴音が聞こえる。
旋律とも違う。
だが。
感情だけは理解できる。
高揚。
期待。
登場演出。
完全に、BGMだった。
セシルが頭を押さえる。
「……最悪だ」
青ざめた顔で、空を見る。
「世界そのものが、演出し始めてる」
レオノーラは無言だった。
だが。
内心では、既に理解していた。
これは偶然ではない。
物語構造そのものが。
彼女中心へ、再編され始めている。
◆
その影響は、周囲の人間へも及んでいた。
会議室。
本来なら議題は港湾都市の物流停止についてだった。
だが。
気付けば全員。
レオノーラの発言を待っている。
彼女が何を言うか。
何を選ぶか。
どんな表情を見せるか。
そればかり気にしている。
老貴族が咳払いをした。
「……レオノーラ様は、どうお考えで?」
別の官僚も続く。
「貴女の判断に従います」
「きっと正しい答えを選ばれる」
不自然だった。
以前の彼らは、もっと現実的だった。
もっと自分で考えていた。
なのに今は違う。
世界が。
人々の感情配置を、“主人公中心”へ書き換えている。
ミレイユが、不安そうにレオノーラを見る。
「……みんな、変です」
「レオノーラさんのことしか見てない……」
その声に。
レオノーラは返事をしなかった。
返せなかった。
◆
そして。
最も危険なのは、“結果”だった。
成功率。
それが異常化している。
暗殺者が潜伏していた路地へ入る直前。
偶然、荷車が転倒。
進路変更。
回避。
失われたはずの資料。
偶然、風で机の下から出現。
最重要情報入手。
崩落しかけた塔。
偶然、支柱一本だけが残存。
奇跡的生還。
全部。
“都合が良すぎた”。
セシルが吐き捨てる。
「物語が、レオノーラを勝たせ始めた」
その言葉に。
誰も反論できなかった。
◆
夜。
レオノーラは一人、窓辺へ立っていた。
巨大魔法陣。
空の“目”。
それが静かに脈動している。
見られている。
愛されている。
期待されている。
その感覚が、肌へまとわりついて離れない。
そして。
彼女は、ほんの少しだけ理解してしまう。
主人公は、楽だ。
世界が味方する。
人々が愛する。
意味を与えられる。
存在理由を、保証される。
孤独にならない。
忘れられない。
消えない。
それは。
あまりにも甘美だった。
だからこそ。
レオノーラは、自分の指先を強く握り締める。
この誘惑は危険だ。
一度受け入れれば。
もう、“見られる人生”から降りられなくなる。
巨大魔法陣が、嬉しそうに脈動した。
まるで。
彼女が少し揺らいだことを、喜ぶみたいに。




