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悪役令嬢、予算書を叩きつける  作者: 南蛇井


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シーン2 「記録されない人生」

王都外れ。


石畳も崩れかけた、古い長屋街。


かつては労働者たちで賑わっていた場所だ。


だが今は、人通りも少ない。


空気そのものが薄い。


まるで世界から、少しずつ切り離されているみたいだった。


レオノーラたちは、その一角へ足を踏み入れる。


案内したのは、ベアトリクスだった。


「……ここです」


彼女の声は重い。


術式盤へ表示された観測反応は、異常なほど弱かった。


まるで。


存在そのものが、消えかけている。


古びた木造長屋。


扉は半分壊れ。


窓も曇っている。


その中に。


老人が、一人座っていた。


小さな椅子。


膝には毛布。


痩せ細った手。


そして。


輪郭が、薄い。


光の加減ではない。


本当に。


存在感そのものが希薄になっている。


声も、不安定だった。


「……おや」


老人が顔を上げる。


その声に、微かなノイズが混じる。


砂嵐みたいに。


世界から削除されかけている音。


セシルが、小さく舌打ちした。


「かなり進行してるな……」


ベアトリクスが術式盤を確認する。


「存在維持率、三十四パーセント……」


アルベルトが顔をしかめた。


「そんな数値で、人を測るな……」


老人は、そんな彼らを見て静かに笑った。


怒りもない。


恐怖もない。


ただ。


どこか諦めたような笑みだった。


「仕方ありませんな」


静かな声。


「私は、誰の記憶にも残らない人生だった」


レオノーラが、眉を寄せる。


老人は、ゆっくり続けた。


「英雄でもない」


「恋愛譚もない」


「誰かを救ったわけでもない」


窓の外を見る。


夕焼け固定の空。


不自然に美しい、偽物の景色。


「ただ」


「畑を耕して」


「飯を食って」


「年を取っただけです」


小さく笑う。


寂しそうに。


だが。


どこか納得しているみたいに。


「背景なら、消えて当然でしょう」


その瞬間。


レオノーラが即座に言った。


「当然ではありませんわ」


空気が止まる。


老人が、目を見開いた。


まるで。


そんなふうに否定されると思っていなかったみたいに。


レオノーラは、まっすぐ老人を見る。


一切逸らさず。


強く。


「誰かに称賛されなくても」


「誰かの記憶へ残らなくても」


「貴方は、生きていたでしょう」


老人の瞳が揺れる。


レオノーラは続ける。


「畑を耕したのでしょう?」


「腹が減って、飯を食べたのでしょう?」


「寒い日は寒かった」


「嬉しい日は、少し嬉しかった」


「それだけで、十分人間ですわ」


沈黙。


外では、風の止まった夕焼け空が燃えている。


偽物みたいに美しい空。


だが。


この老人の人生は、そんな“映える演出”とは無縁だった。


誰も見ていない。


誰も感動しない。


誰の物語にもならない。


それでも。


確かに、生きていた。


老人の目元が、わずかに震えた。


「……そんなことを」


掠れた声。


「言われたのは、初めてですな」


その瞬間。


彼の輪郭が、ほんの少しだけ戻る。


微弱な存在光。


世界から消えかけていた人間が。


“見られた”ことで、わずかに踏み留まる。


ベアトリクスが息を呑む。


「存在維持率……上昇してる……?」


セシルも目を細める。


「……認識か」


「“誰かに人間として見られる”ことで、存在強度が戻ってる」


レオノーラは、老人から目を逸らさない。


第四部の核心。


“主役”だけが人生ではない。


記録されなくても。


歴史へ残らなくても。


誰の感動作品にならなくても。


人は。


存在していい。


レオノーラ・ヴァレンシュタインは、その思想だけは絶対に譲らなかった。

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