30 誕生日プレゼント
皇太子の生誕祭当夜。
外からは華やかな喧騒が聞こえてくる。
人気のない厨房でひとり、オーブンの扉を開けると、チョコレートの甘い香りが部屋中に広がった。
「よし、美味しそうに焼けた」
綺麗な仕上がりに、思わず口角が上がる。
皇女殿下に頼まれて作った、皇太子殿下宛のオレンジピール入りのチョコレートのケーキだ。
さすがにケーキを一緒に作るタイミングはなかったけれど、皇太子殿下への手紙は悩みながらも懸命に書いたようで。
丁寧に封蝋と印の施された手紙も一緒に預かった。
まだ忙しいのであろう皇女殿下を待ちながら。
あの日もそうだったなと思い返すのは、15年前のことだった。
厨房でクッキーを焼きながらセティを待って、アレシオ殿下に渡しに行って…。
あの日と同じお祭り、同じ場所、同じ人たち…。
もし、真理恵のままこの場所にいたらどうだっただろうと、そんなことを考える。
あの日、どうして私は、死んだのか。
どうして私は今、ルルリエ・ベルフォートとしてここにいるのか。
「…セティが女神の生まれ変わりだっていうなら、私は一体なんなのよ…」
誰も、答えてはくれないのだけれど。
***
しばらくして、厨房へと皇女殿下が駆けてくる。
彼女が身にまとっていたのは、月光を纏ったような白いドレスだった。
柔らかな布地は歩みとともに静かに揺れ、裾に施された金糸の刺繍が、まるで夜空に瞬く星々のように光を返す。
式典の後、着替えもせずにきたようだった。
変わらないなぁと内心で笑ってしまう。
「ごめんなさい…!遅くなって…」
「いいえ。ちょうど、ラッピングも終わったところですし」
事情を話してアレシオ殿下の側近に確認したところ、この時間には一度皇子宮に戻る予定らしい。
彼女の手が、そっとペンダントを握るのがわかった。
「緊張されてますか?」
「え?……そうね……さっきまで、式典ですぐ隣にいたのにね」
近くて遠い人だから、と皇女殿下は独り言のように言った。
「……でも、こうして直接贈り物を渡したいなんて思えるようになったのは、ルルリエのおかげよ」
「私は何もしていません。お手紙、きっと喜んでくださいますよ」
私の言葉に、彼女は儚げに笑う。
「そうだといいのだけれど」
***
「……やっぱり、避けられているのかしら」
落ち込んだように小さく呟く皇女殿下の背中を「そんなことありませんよ」と軽く支える。
側近に確認した時間からだいぶ経ったのだけれど、未だに皇太子殿下は皇子宮に戻ってこない。
一度皇女宮に戻りますか…?と言おうとしたところで
「セレスティア!」
よく通る、低く耳心地の良い声だった。
びくっと皇女殿下の肩が跳ねる。
振り返ると、アレシオ殿下が肩で息をしながら走ってきたところだった。
「すまない……使節団との話が…長引いて……」
「いえ……あの…私…」
白い指先が小さく震えていた。
こうして向き合うのも、視線が合うのも久々なのだろう。
緊張か、萎縮か、皇女殿下は声すら上手く出ないようだった。
「大丈夫です」と、思わず彼女の震える指先を握る。きゅ…と僅かに握り返された。
「お誕生日、おめでとうございます。……ペンダントも、ありがとう」
「ああ…。わざわざ、その為に?」
「はい……えっと、お祝いを…お渡ししたくて……」
言いながら、声がだんだん小さくなり、比例するように顔に赤みが指していく。驚いたように皇太子殿下の目が見開かれ、そして柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、セレスティア」
「っ…」
びくっ、と身体を震わせた後、私の背中に隠れてしまう皇女殿下。
ぎゅっ、と私の服を握りしめていた。
「お手紙と、チョコレートのケーキです」と私がケーキの入った籠と手紙を差し出すと、彼はとても嬉しそうにそれを受け取った。
「ありがとう、あとで必ず目を通すよ」
再び式典の会場に戻らなければならない、と皇太子殿下は申し訳なさそうに言う。
こくりと頷いた皇女殿下に何かを言いかけて、彼はそのまま踵を返して会場へと戻っていった。
***
部屋に戻り、ひとり。
夜着への着替えも済ませ、セレスティアは寝台の中に潜り込む。
先ほどまでの兄とのやりとりを思い出すと、未だに指先が震える気がする。
あんなふうに最後にしっかり視線を合わせて言葉を交わしたのは、名前を呼ばれたのは、15年も昔のことだ。
どうして兄があんな態度になったのかは分からない。
これから先だって、一気に改善できるとも思えない。
それでも、受け取ってくれた。
名前を呼んで、笑ってくれた。
それだけで、今は十分だ。
「……ありがとう、ルルリエ」
震える指先をそっと握ってくれたルルリエが、
真理恵と重なる気がした。




