第3話
ゴブリンとの遭遇のあと、俺たちは街を目指していたが、段々と日も暮れてきた。
いや、この世界の物理法則が分からないのだから、日没という表現が正しいのかも定かではないが、とにかく夜のように辺りは暗くなってきた。
「今日はこのあたりで休もう。もう街は目と鼻の先だが、俺は休みたい」
手ごろな岩を見つけて腰を下ろす。すでに、街との距離は残り三割程度になっていた。
「その、ごめんなさい。私のこと気を使ってくれたこと……。私のせいで何度も休憩を挟んだから街にたどり着けなかった」
「馬鹿言え、俺は休みたいから休んでいたのだ。勝手なことを言うな」
彼女は自分の足をさすりながらくすっと笑う。
「やっぱりヒール履いてきたの、失敗だったわ」
失敗も何も、こうなることは誰も予想できなかったのだから、彼女が反省することは無い。
「無駄に体力と霊力を消耗するのは避けたい。そうだな、明日は俺の背中に乗るといい」
「嫌よ。わたし、重いもの」
「重くなんかないさ。俺は子泣き爺を肩車したことだってあるんだ」
「そんなのと比べてもしょうがないわ。今ダイエット中だから、少し待って」
「少しってどのくらいだ」
「目標としては、半年で五キロ落とすわ」
バカバカしい計画に俺は呆れかえる。半年も待っていられるわけがない。だが、彼女は誰に似たのか頑固なので、俺はさっさと提案を諦めた。限界になったら、きっと自分から頼んでくるだろう。
「くだらん話をしていたら、もう夜も更けてきた。俺が見張っているから君はそこで休め」
地面に広げた上着を顎でしゃくる。はっきり言って上等な寝床とは言えないが、無いよりはましだろう。
「うんうん、いいの。先にあなたが休んで。私が見張りするから」
そう言って、彼女は座りながら自分の膝をポンポンと叩いて示した。
「……その手はどういう意味だ?」
「膝枕よ」
何故かしたり顔の彼女は当たり前のように言い切った。一体どういう思考を辿ったら膝枕になるのか。
「気が進まないな」
「嘘よ。男はみんな膝枕が好きって、ちゃんと書いてあるんだから」
そういいながら、彼女が取り出したのは例の結婚情報誌だった。なんでこんなところにまで持ってきているんだ。
彼女が開いたページには『男性が恥ずかしがって言えない、本当は彼女にしてほしい事ベスト10』の文字。
「ちなみにそのランキングの一位は何て書いてあるんだ?」
「えーとね、『裸エプロン』って書いてあるわ」
くだらんランキングだ。俺は頭を抱えたい衝動に駆られる。裸エプロンじゃあ、天ぷらも危なくて作れない。
「俺の好みとそのランキングは一致していないな。だいたい君も褒められたもんじゃないね、マス・メディアなんかに踊らされて。最近は『自分は踊らされていない』なんて吹聴している輩ですら、足では忙しくタップダンスをしている始末だ。人に乗せられるのは、己が無い証拠さ。俺を見てみろ。誰の意思にも従わず、己の道を突き進んでいる。止められぬこと俺の如しさ」
「じゃあ、あなたのして欲しいことってなによ」
「そうだな……強いて言うなら、エプロン抜きの裸エプロンだろうか」
「まあ、呆れた。それってただの裸じゃない」
「まあな。……ただ、今日は俺も疲れているし、せっかくだから君の厚意にあずかろうかな」
呆れ気味の彼女の膝に、横になって俺は頭を乗せた。
「いろいろ文句言ってたくせに、やっぱり私の膝枕、嬉しいんじゃない」
「断るのも気が引けただけさ」
今日は突拍子もない事が起きすぎて、緊張しっぱなしだったせいか、横になるや否や耐え難い睡魔に襲われる。目を細めた彼女が、俺の頭を撫でるのに文句を言う気力も無く、そのまま俺は目を閉じて、いつの間にか眠ってしまった。
翌朝、目が覚めると、彼女はすでに起きていた。いつの間に作ったのかプチ氷山を出現させ、中をくり抜いてお手製のシャワー室を作り、それを浴びている最中らしかった。
頭を上げると、身体が僅かに痛む。昨晩は一応寝てはいたが、同時に霊力の陣を展開して、一晩中敵襲を警戒していたので、あまり体が休まらなかったのだろう。実のところ、俺はまだ宇宙人の出現可能性すら考えていて、張り詰めた緊張が体力を消耗させている。もう少し体力を温存しなければいけない。
その点、彼女は呑気なものだ。今も彼女お手製の氷シャワー室から、鼻歌なんかが聞こえてくる。外からは分からないだけで、実は女という奴は案外こういう場面で真の強さを発揮するのかもしれない。
しばらくして、彼女が氷山から出てきた。
「あら起きていたの」
「さっき起きたところだ。君は休めたか?」
「ええ、あなたが寝付いてからしばらくして私も休んだの。そうだ、私のシャワー室使う? 氷水しか出ないけれど」
「ああ。後で使わせてくれ」
氷水で頭をシャキッとするのも悪くない、と思って入ったが、途中から余りに寒くなってきたので、霊力でちょうどいい温度に加熱しながら使わせてもらった。
シャワーから出た後、すぐに出発した俺たちは昼前ごろまで歩き、ついに街の門が見える距離にまでやってきた。
「やっとここまで来たわね」
「ああ」
遠くからでは分からなかったが、街は全体を人間の身長の数倍の高さの柵で覆われ、入り口が対になるように2か所開いていた。円城都市とでもいうのだろうか。
「割と人の往来が激しいわ」
「ああ。人間とおぼしき生命体……に近い何かが沢山いるな」
「あれは普通に人間よ。……でも随分変わった格好ね、あの人たち」
出入りする人々の服装は、元居た現代地球のどの地域のものとも、かけ離れていた。
「あの街の建築様式や恰好に似たものを、俺は昔見たことがある」
「昔って?」
「五百年くらい前だったかな。あんまり詳しくは覚えていないが、西方に物見遊山したときに、あんな風に街を丸く囲っていたような気がする」
「へえ、じゃあここは過去ってことかしら」
「いや、残念ながらそうじゃない。……落ち着いて聞いてくれ。俺の予想では、ここは異世界だ」
「異世界? すごいわね」
彼女があまりにも簡単に俺の予想を受け入れたので、面食らってしまった。
「すごいの一言で済む話じゃあない。いいかい、もう元の世界に帰れないかもしれないんだ。俺たちはここで暮らしていくしかない」
「私はあなたがいれば、どこでも都よ。あなたは嫌? こんなことになって」
「別に嫌ってこともない。俺はあの世界も飽きてきた所だったしな。心残りは、ぬらりひょんの奴に別れの一つも言ってやりたかったって事だ」
「ならいいじゃない。新天地で生活していきましょうよ。案外ここも悪くないかもしれないわ。人間だってあんなにいるわけだし」
異世界という尋常ならざる事態に、彼女は全く悲観していないようだ。正直驚いた。彼女は妙にドライなのか、それとも女という奴は皆こうなのか、肝の太い事この上ない。
いずれにせよ、来てしまったものはしょうがない。俺も腹を決めねば。
「じゃあ街に入りましょうよ」
「待て待て」
「どうしてよ、新天地で暮らす決意をたった今したばかりじゃない」
急かす彼女を俺は押しとどめる。
「いいか、あの人間たちがどういった存在かまだ分からない。奴らが恐ろしい力を有しているかもしれないし、あるいはとんでもない文化や常識を持っていることも考えられる」
「とんでもない文化って?」
「例えば女を焼いて食うカニバリズムの信仰はどうだ。君があの街に入ったら、とっ捕まって焼いて喰われるかもしれないぞ」
「そんなの嫌だわ。困る」
途端に不安がって、首を振る彼女を尻目に俺は続ける。
「そうだろう。ここのところ肉料理が続いているから、俺だって困る」
「なんであなたも、私を美味しく頂くつもりなのよ」
彼女の小さな抗議を俺は無視して、彼女の方へ向き直る。
「とにかく、だ。油断はできない。俺の元を離れるな。最悪の場合、あの街を俺がすべて焼き払って離脱する。多少霊力を消耗するが仕方あるまい。万一はぐれたら、俺たちが来た方向に戻るんだ。必ず迎えに行く」
「あなたって普段は適当なのに、こういう時は随分慎重に進めるのね」
「ああ。正直に言えば、俺一人なら別にここまで警戒しない。ただ今は、君を失いたくないんだ。今後どうなるか予想がつかない。だから俺の言うことを聞け、いいな」
「な、なによ急に……。わかったわ」
彼女の肩を両手で抱く、俺の真剣な言葉に気圧されたのか、彼女は素直に頷く。本当に分かっているのだろうか。
警戒心の足りていない、なんだか嬉しそうな彼女を無視して街を見つめる。いざとなったら、あの街ごと速やかに灰にせねばならない。
俺は息を深く吐く。そして、体の芯に力を入れて、奥底の霊力まで活性化させる。比肩する者がいなかった地球では、もはや忘れかけていた本気の感覚だ。二百年前の九尾と天狗の弑逆の時だって苦戦はしなかった。だが今回はどうなるか分からない。
俺の口元が思わず笑いに歪む。どうしても、昂揚を抑えることが出来ない。ああ、彼女の為に警戒しているのは本当だ。それはウソじゃない。だが、「緊張」も「不安」もただの建前で、本当は露も感じていない。俺は……只ひたすらに期待しているのだ。なにせ俺と渡り合える敵が、この世界にはいるかもしれないのだ。
俺は口元を一撫でして、思わず漏れた笑みを消し去る。幸い、彼女には見られずにすんだ。今後は、もう少し表情に気をつかわねばなるまい。
そんなことを心に秘めながら、俺は人でごった返す街の門の一つに歩みを向けたのだった。




